海を歩く
夜の帳もおり、静寂の中に遠く離れた町の喧騒が僅かに聞こえてくる。眼前に広がる海は昨晩までの嵐が嘘のように、穏やかな母の姿を見せ、凛とした空気が冬の訪れが間近に来ている事を知らせている。見上げれば、遥か銀河まで見渡せるかのように、澄んだ空が広がっている。月は姿を見せず、星たちは生き生きと輝き、漆黒の空を虹彩に染め、幻想的で優しい空間を作り出している。重厚な交響曲を思わせる光の共演だ。堤防の上で仰向けになり、海の声を聴き、星とともに悠久の時を思う。風や匂い、目に映る光。五感のすべてを開放し、自然のエネルギーと一体になる。それで大抵の悩みは取るに足らないことだと思い至る。そうしていざ帰ろうかという頃、煌々と灯りをともし、作業をしている人影を見つけた。
近づくと、老人は黙々と作業を行っていた。薪をくべた竈には赤々とした炎が揺らめいている。時折、パチッ、パチッと乾いた音が響く。直径50センチほどの鍋を火にかけ、廃材となった鉛を次々に入れていき溶かしていく。暫くして溶けた鉛の上に不純物が浮いてくると、それを掬い捨てていく。この作業を繰り返し、純度の高い鉛を精製していく。鉛の融点は約328度。老人との間には3メートルほどの距離があったが、それでも汗がにじみ出る程の熱気が辺りを包んでいる。
錘を作っているんだよ__。
不意に老人が呟いた。滾る鍋から視線を逸らすことなく作業を続けている。その真剣な空気に言葉を返せずにいると、それを意に介さず老人は次の作業へと移っていく。
直径が4センチで長さ15センチにカットされた鉄パイプに、それを貫く細い鉄製の棒を差し込む。それを固定し鍋で溶けている鉛を料理用のおたまで掬い注いでいく。融点以下の温度になると固まり始めるので、手早く3回鉛を流し込む。その後、水を張った桶に浸して熱を取り完成する。錘は、水の沸点を越えている。桶に入れると爆発的な沸騰とともに湯気が立ち込める。その錘が20個を数える頃には太陽が顔を出していた。
かれこれ3時間は老人の作業に見入っていたようだった。なぜそこまで強い興味を魅かれたのかは未だに謎だ。
ほれ、と一言言って、老人はおたまを渡してきた。少し戸惑いはあったが、見様見真似で鍋から鉛を掬い、パイプに注いでいく。が、想定外の重さに面喰い、掬った鉛がぼたぼたと地面にこぼれていく。地面に張り付いた鉛が鈍い光を放つ。四苦八苦しながらようやく一本作ると、老人は、見るとやるとは違うだろう。と言い、真一文字に結んでいた口から歯をこぼし、笑った。この後、冷えた錘から鉄製の棒を引き抜き、代わりに先端にイカ用の仕掛け針が付いた棒を差し込んでいく。お互いに言葉を交わすことなく、淡々と時間が流れていく。
作業も一段落し、老人は作業小屋から徐にビールを持ってきた。勧められるまま受け取り、口をつける。聞けば今日の作業はこれで終わりらしく、これから来る別の漁師に残りの仕掛けを作ってもらい、眠たくなるまで宴会をする様だ。時計の針はいつもなら通勤の車の中にいる時間だが、昨日から会社には行っていない。気兼ねなくこちらも付き合うことにした。
酒の肴に、と老人は色々な話を聞かせてくれた。中学を卒業してから、先代に弟子入りし漁師になったこと、初めてカジキマグロを仕留めた時のこと、潜り漁で大きなサメに遭遇したことなどなど。酔いが回ると饒舌になり、時間を忘れて盛り上がった。老人が語る内容に驚かされつつも、目じりに深く刻まれた皺や、焼けた肌、鍛えられた腕が其の全てが真実であることを物語っている。太陽が真上に来る頃、宴会はお開きとなり、老人は最後に、明日も来い、と言い残し眠りについた。二つ返事ではい、と答えほろ酔いの気分のまま家路についた。
家に着くと日は傾き夕方になっていた。一人、こんなに充実した一日はいつ以来だろう?小学校の夏休み以来な気もする。先週まではこんな日が訪れるのは、あと30年は先だろうと思っていたが、突然降って沸いた事態にたじろぎつつも、楽しむ方向に切り替えが出来てきたか、などと考えているうちに深い眠りに落ちていた。
順風満帆な人生を送っていたと思う。我ながら。県下でも有数の進学校を卒業し、名のある大学へ進学。就職難と言われていたが、第一希望の会社へと就職することもできた。順調に仕事をこなし、チームを任され、部下とともに成果を上げる楽しみもあった。何より将来を約束していた女性もいた。何の因果か、自分の力の及ばない所で事態は急転直下していた。気付いた頃には万事休す。手の施しようが無い所まで悪化してしまっていた。社運を賭けたプロジェクトに、初めて責任者という立場で参加し、意気揚々と仕事に取り組んでいた。上がってきた報告に偽りがあるなど、微塵も思わなかった。結果重大な契約違反となり、莫大な損失を出してしまった。先方へ頼み込み何とかプロジェクトは存続させて貰えたが、条件は私の解任と今後一切関わりを持たないことだった。ほぼすべての業務が何らかの関わりを持つので、会社からは責任者からの降格のみならず、懲戒の話も出てきた。自分の中で、何かが切れる感じがした。全ての引継ぎを終え、自主退職の道を選び、人生で初めてレールから外れた。
そんな中出会った老人に、私は自由に生きる、自分の力で道を切り開く強さを感じたのかもしれない。
そういえば、時間を聞いていなかったな__。
日没と同時に眠りについたからか、朝の4時には目が覚めていた。起きてすぐに支度をし、作業小屋に行けば会えるだろうと、車を走らせた。途中、昨日のお礼もかねてビールとつまみを買って行く事にした。作業小屋に着くも、老人の姿はなかった。が、時間はたっぷりある。暇つぶしがてら、港に停泊させてある漁船を見に行くことにする。こうして漁船を間近で見るのは初めてだが、ここは個人操業が多いからか、船は全体的に小ぶりな感じがする。それが大きいのか小さいのかは判断できないが。大体15~25メートルくらいの長さで、幅は4メートル程の船が15隻並んでいる。船首から岸に向かってロープが左右に伸び、鉄製のビットに繋がれている。船尾のほうは水中からロープが伸びており、両舷でしっかり固定されている。船には仕掛けを巻き取るのであろう電動式のローラーや、銛、大きな釣竿など、色々な道具が各船に装備されていて、見た目では何に使うのか分からない道具もあった。
まじまじと観察していると、おう、来たか、色白。と老人。この日から私は色白と呼ばれる事になる。声のほうへ目をやると、何やら工具を持ち出し、船の整備をしているらしい老人が目に入った。なるほど、今日は機械いじりか、と思い少し気が重くなった。私の最も苦手とする分野だ。足場の危うい手製の橋を渡り、老人の船へと乗り込み、さっそく作業を手伝った。と言っても、工具を渡し、掃除をするくらいしかできないが。
今日は無線機を直すらしい。一人で遠洋に行くときに、この無線が最後の命綱になる。冬が始まると、翌年の春まで、はるか東の太平洋で操業する為、出港して帰港するまで約20日、陸に居るのは月のうちせいぜい2日で、出港準備を整えたらすぐに出港、という生活を半年間繰り返す。狙いは「ソデイカ」という、規格外の大きさを持つイカで、一杯1万円前後の値が付く高級品。これを半年で約2500杯水揚げし、年収のほぼ全てをこの時期に稼ぐ。遠洋に行くため、携帯はもちろん使用できず、唯一交信が可能なのが無線のみ。3~4隻で船団を組み操業するのでお互いの交信用と最も重要な海上保安庁の定期無線を聞くためだけのもので、陸との交信は海上保安庁への緊急無線以外、一切出来ない。船団と言ってもお互いの距離は30㎞ほど離れて操業しているため、お互いの現在地を確認し操業海域が被らないように確認を行う。また、定時連絡を行うことでお互いの無事を確認するためにも無線は欠かせない。老人は慣れた手つきで無線を分解し、配線などを確認している。
手伝えることは無さそうだな、と思い、船の上を探索する。左舷側の一角に4メートルはある竹竿が40本ほど積み上げられている。竹には黄色いテープが巻きつけられており、細くなった先端には50センチ四方の黒い旗と、ライトが取り付けられている。それを手に取って観察していると、作業が終わったのか老人が使い方と操業方法を説明してくれた。昨日作っていた錘に長さ500メートルの仕掛けを付け海に投入し、最後に浮きと竹竿を取りつけ目印にし、これを狙った海域で船を走らせながら、30本投入する。仕掛けの投入に半日、回収に半日かかるので、夜間はライトで旗の位置を目視確認する。時速5㎞で航行しながら仕掛けを流すので、単純に計算しても最初の仕掛けと最後の仕掛けは20㎞ほど離れてしまう。全ての仕掛けを投入したら、また先頭へ戻り、一本一本回収していく。
仕掛けには針が3か所に付いているので、一本の仕掛けの最大漁獲は3杯。上手くいけば一日で90杯の水揚げになる。ここまで説明して、老人は笑い、そんな事はあり得ないけどな、と私の背中を強くたたき、飯にしよう、とさっさと船を降りて行った。漁師は加減を知らないと言う事を学んだ瞬間だ。
ジンジンと熱を持った背中をさすりながら、老人の後に続くと今朝上がった魚を使って、あら汁と刺身が用意されており、遠慮なく頂いた。魚の出汁がきいたあら汁を一口飲むと心が洗われていく気がした。まともに料理らしい料理をしたことがなかった私には、どこか懐かしい、祖母の香りを思い起こさせる味だった。刺身は本州ではあまり見慣れない、青い皮を持つ、ブダイという魚の一種で、高級魚とされている魚だ。
長年住んではいたが、この時初めてこの魚の旨さを知った。老人曰く、この魚は取れたてを捌いた刺身が一番美味しいらしく、時間がたつと並以下の魚になってしまうそうだ。この時から、私はちょくちょく魚屋でこの魚を購入してはいるが、あの時の刺身の味を超える物には未だ出会っていない。しばし刺身を堪能していると、老人はまたビールを取り出してきた。私はビールとつまみを買ってきた事を思い出し、慌てて取りに行く。老人に手渡すと、色白よ、ぬるいビールは何の価値もないぞ、とギロリとこちらを見て、またしても背中をバシっと叩いてから、ありがとうな、と言って白い歯をこぼす。返す返す、漁師という人種は手加減を知らない。少し涙がにじんだが、老人が持ってきた冷えたビールで乾杯。今日は他の漁師も合流し、ソデイカ用の仕掛けの作り方を教わり、酔った手つきながら、二つの仕掛けを作った。途中漁師連中から、不器用だな、とか、糸の結び方も知らないのか、などなど罵声を浴びせられ笑われながらも、私のおぼつかない仕事ぶりがいい酒の肴になったようで、酒はどんどん進み、買ってきた分もあっという間になくなってしまった。
つくづく漁師とはよく酒を飲む人種でもある。
仕方なく歩いて5分ほどの昔ながらの商店に買出しに行くことにした。老人もこいつ一人には任せられん、と一言。買い物ぐらいできますよ、と返したが、周りは笑いながら、年寄りの言う事は聞いておけ、と言うので、一緒にいくことにした。道中、他愛のない話をしながら歩いていた。暦は秋の半ばを告げているが、相変わらずこの島の季節はあいまいだ。未だにじりじりと太陽が照り付けている。老人はふと黙り込み、今まで見たことのない真剣な表情で、次の仕事はどうするんだ?と聞いてきた。
独り身には十分とは言えないがいくらかの貯金もあるし、一か月ほどはゆっくりしてから、次を考えたい、と返す。それを聞いてから老人は、よし、明日から船の免許取ってこい、と突然言ってきた。訳が分からず、黙って考えていると、ソデイカ漁、連れて行ってやる。と続けた。これまでの人生なら、こんな唐突な話、考えるまでもなくお断りをしていたのだが、この時はなぜか、それも悪くないな、と思っていた。私が考え込んでいると、おう、着いたぞ、とどう見ても普通の民家の中へ入っていく。訳が分からず付いて中に入ると、商店の勝手口から中へ入っていた。代々続く商店でこの辺りの漁師や顔見知りはこうして入店し、なんとツケで商品を持って帰る。老人は一通り買い物をすますと、な、一人じゃ無理だろ、と背中を叩く。が、こちらも何度もやられてばかりは癪なので、ひらりと躱した。躱した拍子に足がもつれ、尻もちをついてしまう。見上げる形で老人と目が合った瞬間、二人とも心の底から大笑いした。なぜだか私は、老人の船で漁に出ることをこの時決意した。
酒を抱え、漁師たちのもとに戻り、宴会を再開する前に、高々と老人に弟子入りすることを宣言した。沈黙が流れ、空気ががらりと変わり、皆一様に真顔で、私を見た。これは、やはり無理な話か、と思ったが、そのうちの一人がぽつぽつと語りだした。酒の勢いで入れるほど甘い業界じゃないぞ、海に出たことがない優男が通用すると思うのか?お前には向いていない。皆、賛同し頷いている。なぜか、頭に血が上り、やってみないうちから否定することは誰にでもできる。結果を待つのもまた勇気だ。と鼻息荒く宣言した。どこか、否定されることが許せなかったのだと思う。暫く沈黙が流れ夏の終わりに最後の力を振り絞る蝉の声がうるさく響く。すると、一人の漁師が、まずその真っ白な肌を黒くする事から始めないとな、と言い笑った。それを合図に、それはそうだと、皆も笑い出した。
どうやら私は受け入れられたようだ。丁度そこへ、老人が戻ってきた。どうやら熱くなった私たちをよそに、電話を掛けに行っていたらしい。予約を取ったから、明日ここへ行って来い、と教習所のパンフレットを渡された。ここの所長がどうやら老人の後輩にあたる人らしい。分かりました、と返事をし、とりあえず、漁師見習いとしては受け入れられたようですよ、と報告した。老人は表情を変えず、当然だ、そう仕組んだからな、と言って、笑う。この老人、意外とムカつく。そこからは皆人が変わったように優しくなった。正確には厳しさのほうが上だが。
そこからの一か月は忙しい日々だった。
皆、丁寧に仕掛けの作り方や、天気図の見方、操船方法などを教えてくれたが、二回目以降、全て理論は教えた、あとは盗め、という感じで二度同じことは教えてくれない。その厳しさから、海で生きる、という事がどれだけ大変なのかを感じ取る。ちょうど十一月に潜水士の試験もあるので、それも取ってこい、という老人のお達しもあり、生まれて初めて、スキューバダイビングというものに挑戦した。漁師のネットワークはこれでもか、というほど幅広く、ダイビングショップの経営者のもとで、手伝いをすることを条件に、ライセンスを取得し、空いた時間は船の操船練習をし、夕方からは漁師たちと仕掛け作りや、整備の仕方、ロープワークを教わる。夜になると潜水士と小型船舶の勉強、と休む間もなく、目まぐるしい日々が過ぎていった。20日も経つ頃には、肌も黒くなり、心なしか腕も太くなってきた。
相変わらず、老人は色白、としか呼んでくれないが。
一日も休みなくこんなに働いたのは初めてだったが、体は疲労していくものの、精神的にはとても充実していた。
無事に船舶免許と潜水士を取得し、このころには夜間の潜り漁にも参加させてもらえるようになった。とはいっても、船上での見張りや、水揚げの手伝い程度だが。この潜り漁がソデイカ禁漁中の主な収入源となる(禁漁中にマグロを獲りに行く漁師もいる)が、これがなかなかに過酷だ。参加する漁師は3~4人。いずれもベテランぞろいだ。日没後に出港し、30分ほど走りポイントへ向かう。ポイントに着くと強烈な水中ライトを装着し、タンクを背負い我先にと飛び込んでいく。ここから約80分はそれぞれのライトの光を船で追いかける。このライトは、漁師のお手製で、車のライトをベースに、小型のバッテリーを組み込み、それをアクリルのケースで完全防水にし、水中から空まで光の筋が伸びるほどの強力さを誇る。見失えば、即事故に繋がるので、気を抜けない。この間、潜った漁師たちは各々狙いの水深へ降りていき、水中銃を使い次々と魚を仕留めていく。胴体を傷つけると値が下がるため、頭を狙い一撃で決める。水揚げされた魚を見ると、見事に頭を撃ち抜いており職人技と言わざるを得ない。レジャーと違い、漁師たちには水深の制限というものがない。自分の体が許す限り、理論的に安全とされる水深をどんどん攻めていく。記録を見ると水深50メートル越えは当たり前で、想像もつかない世界だ。中には、岩陰に潜った獲物を探して、タンクを脱いで岩の隙間に潜り込み、手掴みする強者もいるらしい。さすがに、そこまで深く潜ると、そのまま水面へ上がることができなくなる。俗にいう減圧症を発症してしまうからだ。簡単に説明すると、水中で圧縮空気を呼吸すると、空気中に含まれる窒素が大量に血液中に溶け込んでいく。窒素は不活性ガスなので、代謝には使われず、体内に蓄積されていく。陸上であれば吸い込んで体に取り込んでも何の問題もないが、水圧がかかる水中では、一度体に溶け込んでしまうと体の外に排出されにくくなり、どんどん蓄積していく。この状態で一気に浮上してしまうと、それまで血液や筋組織、肺などに溶け込んでいた窒素が水圧から解放されて、一気に気泡化する。そうなると、体中に激痛を伴うしびれをきたし、呼吸に障害が出るなど、様々な重篤な障害が表れる。最悪の場合は死に至る事もあるので、応急の対策として減圧チャンバーを備える船もある。
これだけのリスクがあるため、漁師たちが深い水深で大物を狙えるのはせいぜい30分程。残りは浅い水深で窒素の排出を待ちながら、目につく魚を突いていく。これを一晩で3回繰り返し、一人当たり5万円ほどの水揚げとなる。そこから出港の経費を差し引き、手元には大体4万円ほど。日当で考えると、いいのかもしれないが、背負うリスクはとてつもなく大きいうえ、毎日同じ漁獲があるとは限らない。シビアな世界だが、これも漁師の醍醐味だという。最近はほとんど潜ることはないが、かつて老人はこの潜り漁のエキスパートだったらしく、そこまで減圧理論が完成していなかった時代に、独学で減圧理論を作り上げ、周りの漁師たちに説明し、減圧症の発症を低減させた、という嘘か本当かわからない武勇伝があるほどの職人だったらしい。私が毎日忙しく過ごす中、見かける老人は毎日ビールを飲んでいたので、にわかには信じがたいが。
余談だが、後に私もこの潜り漁に参加する様になる。その時の様子は改めて、余裕があれば後述したい。
そんな日々を過ごす中で、いよいよ、ソデイカ漁解禁の日となる。が、老人含め、港の漁師たちはなかなか出港しようとしない。老人にそれを訪ねると、色白よ。と言ってしばらく間を置き、海はとても神聖なものでな。長く陸を離れるにしても、最初からケチがついてはいけない。お前の故郷はどうか知らないが、漁師というものは長く積み重ねられてきた旧暦にしたがって生きている。その暦が指し示す吉日が来るのを待っているのだよ。と答える。それにな、と続けて、解禁されて10日だろ?と聞いてくる。確かにその通りだが、と思っていると、今朝方解禁日に出港した船が、3日しか操業できず帰って来ているのだよ、と付け加える。物事万事焦りは禁物だという事らしい。最後に、それに明日はスナックのお姉ちゃんと同伴だからさ、と笑う。言わなければ格好良く終われたのに、と思いながら、来る日に備えて準備をする。
他の漁師に聞くと、毎年探索がてら、解禁日に出港する船がいて、ほぼ毎回嵐が発生し漁にならない。老人は長年の経験からか、最良の出港日を判断することができるそうだ。確かに、つたない知識だが、天気図を見ても暫く波は高く、天候も好ましくない。解禁日の近海は波ひとつない穏やかな天候だったが、やはり外海は相当な荒れ模様だったらしい。その辺りの知識と勘には敬服するものがある。その経験を買われて、港の出港日は老人が決めているそうだ。ただ現在、その噂の老人はへべれけになりながら、私に迎えの電話を掛けてきているのだが 。
スナック同伴から4日後。
老人がついに重い腰を上げ、出港の音頭を取った。ソデイカ漁師総勢30名を前に、明朝3時に出港、波は外洋に出るまでは荒いが、漁場に着く40時間後は最高の状態だ、と宣言し、色白、食糧買いにいくぞ、と言い、買出しに向かう。出向いたスーパーであれやこれやと買い物し、会計は15万近くに達していた。缶詰と米をメインに、日持ちのする根菜類、糖分補給と万が一のための飴類、あとはカロリーメイトやウィダーなどの携帯健康食品と調味料だ。中でも味噌と醤油だけは外せない。航海中に釣った魚であら汁や、刺身を食べるのに必要不可欠だ。老人曰く、飯を食べる暇なんぞないから覚悟しておけ、と脅されたが、肥満気味の体にはちょうどいい。減量がてら頑張ります、と返しておいた。が、そんな生易しいものではなかった。ふと、酒は買わなくていいのか?と気になって聞いてみたが、漁最終日に海の神様にささげる酒は持って行くが、ソデイカ漁の期間中は縁起を担ぐ意味で、すべての漁師が航海中は禁酒している。過去の事故は飲酒を絡めたものが最多のため、老人が提案し、以降守り続けられている習慣だそうだ。今更ながら、偶然にも私はすごい人に出会い、弟子入りしたのではないか、と思ったが、酒で酩酊している老人も見ているので、この航海が終わったら改めて判断しよう、と考え直した。
日付が変わり午前3時、とうとう出港の時を迎える。船には船首両舷の船底に配置してある燃料タンクに約一tの燃料とその上にある保冷設備に約500㎏の氷、そして飲料用と炊事用で船尾船底に約一tの真水を積んでの出港だ。喫水は空の状態から40センチも上がり、航行ギリギリの高さだ。左右に配置した燃料タンクが均等に減るように、供給バルブを調整し、エンジン点火。40年物の古いエンジンだが、手を加え整備をし、尚も現役を続けている。大きな振動とともに、船全体が鼓動をする。船を固定していたロープが解かれ、徐々に岸を離れていく。待ちに待った出港だ。
エンジン音が響くので、いつもよりも大きな声で色白!もう逃げられないからな!と老人が叫ぶ。望むところですよ!と返し、徐々に離れていく岸を見つめ、私はこれから始まる、未知の世界への期待感に心躍らせていた。港を出るとすぐに南進し、島影を左に見ながら進む。とても穏やかな海で、老人が行きは時化る。と言っていた事は間違いだったか、と思い、訪ねてみると、今にわかるさ、との返事。とにかく足の遅い漁船は時速5キロほどでゆっくりと走る。南の岬を越えるまでに4時間近くかかり、その間は私が舵を握り進んでいく。
岬を越えて、東へ針路を変えてから、私は地獄を見ることになる。老人がそろそろ代わるぞ、と言い、それに従い、船室を出る。事前に代わった後はトローリングの仕掛けを流せ、と言われていたので、その準備をしていると、突然船首が上へ持ち上げられる。感じたことのない違和感に、何事だ?と考えていると、今度は急激に船首が下へ引きずられる。声にならない声をあげ、慌てて船室へ向かうと、不思議そうな顔で老人がこちらを見る。その間も船は上下に揺られている。私の顔を見て老人は笑いながら、ようこそ、4メートルの波の世界へ、言い忘れていたが、漁の期間中は常にこんな感じだぞ、と続け、もうちょっと波が高いと思ったのだがな~と悔しがる。
その姿にピンときて、老人に出港をずらしたのは、敢えて波の高い時を選んだからですか?と聞く。老人は意地の悪い笑みを湛えて、そうだよ、しかし予想より波が低かったわい、と言って、また笑い出す。あきれたというかなんというか。老人らしいが、あとで何か報復してやろうと思い、トローリングの準備に戻る。 マグロ用のルアーを流す簡単な仕掛けだが、ここでマグロがヒットすれば、すぐさま引き返し、マグロを水揚げして大金ゲットというボーナスステージだ。しかも、デビュー戦の新人が乗る船は今までもマグロを仕留めることが多くあったため、周りの漁師たちからも、今回はすぐ帰港だな、と、からかわれていた。その気になった訳ではないが、やはり期待はしてしまう。
ヒットした時点でベルが教えてくれるので、放置してあとは本でも読もうかという時に、体に異変が起きる。初体験の揺れと、鼻を突く重油の匂いにやられて、激しく嘔吐をしてしまう。老人が水を差し出し、思ったよりも持ったな、といい、漁場に着くまでは、見張りしかやることがないから、しばらく休め、と言ってきた。絶えず迫りくる吐き気が限界を迎えたため、その言葉に甘え、船尾でうずくまった。ここからまる三日間。
ろくな食事もとれずに船酔いと戦うことになる。船は未だ、4メートル持ち上げられては、すぐさま4メートル下がる、を繰り返している。ふと船首を見るとその先には次の波が壁のように迫ってくる4メートルの頂上から見えるのは、見渡す限りの荒れた海だ。次から次へと襲い掛かる灰黒い波の壁は、人間を絶望させるのに十分な畏怖を抱かせる。地獄だ、と思ったが後の祭り。帰りたくても帰れないのだ、と覚悟を決めた。老人はその間も涼しい顔で波に対して船が直角になるよう操船を続ける。海で怖いのは、三角波と追い波だ。どんなでかい船でも一発で沈んでしまう。それだけ避ければ何とかなるさ、と言っていた老人の言葉を思い出す。
正確には覚えていないが、15時間ほど揺られた後に、波が今までの半分以下まで落ち着いてきた。老人がこれからしばらく、だいたい四日はこんな感じだろう、と言い煙草を差し出す。気持ち悪くてそれどころではない。断ると、だまされたと思って吸ってみろ、楽になるから、と。分かりました、と言い煙草を受け取り、一本吸う。だまされる。老人は隣で腹を抱えている。言い返したいが、嘔吐でそれどころではない。一通り出し尽くす頃には、気力も残っていなかった。波が落ち着いてからは、船は自動操舵に切り替わり、何をするともなく、ただ時の流れが過ぎ去るのを待つだけの時間が訪れた。唯一の娯楽はラジオだったが、FM波は陽気な女性DJのたんたん、たんたん誕生日~♪と言う奇妙な歌を最後に、言葉を伝える事をやめた。
ただただ響くエンジン音と風の音、そして、照り付ける太陽の光。ただ待つ、と言うのは簡単なようでとても難しい。ちらちらと時計を見ては、まだ一分も経っていない事に驚かされる。この状況の中、たった一人で何をしているのだろう、と気になり、久しぶりに口を開く。高々5時間声を発していないだけで、喉は発生を忘れたかのごとく、咳き込んでしまう。気を取り直して訪ねてみると、海と空の声を聴いているんだよ。と返事が来る。曰く、40年以上この仕事をしていると、水平線の先の空の色や、風の吹き方、波の具合で、どんな変化があるのか、最低でも半日前には察知できるそうだ。こればかりは、長年の経験則にはかなわない。近頃では、衛星を使いどんな外洋でもインターネットを使用できる設備を備えた船もあるそうだが、データは経験にはかなわんよ、と老人は鼻で笑う。老人はある程度データは必要だが、最後は人の勘が一番ものを言う。俺たちが漁師になりたての頃は、こんな上等な設備はなかったし、天気予報も決まった時間にしか流れない。そんな中海で生きていくには、先輩たちの経験を聞き、自分で応用し、判断していくことが重要だった。一つの判断ミスで永遠に帰る事が出来なくなる時代だ。俺が今、港の最年長で、同い年がいないのも、皆海に散ったか、体を壊して再起不能になったかのどちらかだ。お前は恵まれているよ。潜り漁にしても、ソデイカにしても、な。だから、死に物狂いでついてこい。
これまで、まともに海のことを教えてくれなかった老人が、この時初めて仕事への姿勢を説いてくれた。いきなりこんな話をされては、さっきのいたずらも水に流さなくてはならないではないか。それにしても、船は進まない。GPSで航跡を確認するも、20時間かけて、まだ80㎞も進んでいない。予定の漁場はこれよりまだ100㎞は先だ。波が高かったからか、航海は思うように進んでいないようだ。
老人はこれも想定内だ、と言い、眠れるなら今のうちに寝ておけ。ただ、船室は余計に酔うから、船室の前にある物置の下に寝袋しいて寝な、と言いそのまま操船に戻って行った。私は言われた通り、物置の下へと移動した。ここは普段老人が使っている場所で、一番波の影響が少なくなるようになっている。その中に潜り込み、気持ち悪さと戦いながらも、しばしの眠りへと落ちていった。
起きると、辺りはすでに暗くなっていた。時計を見ると3時間ほど眠っていたようだ。海は先ほどよりも穏やかになっている。船は夜間の航行用にライトを灯し、右舷に緑、左舷に赤のライトが点灯している。すでに陸の明かりを目にする事は出来ない。急に心細くなってくる。子供じゃあるまいし、と自分に言い聞かせる。それでも胸に刺さる小さな痛みは消えない。この年でこんな感情を抱くとは、と困惑した。結局、私が寝ている間にトローリングの仕掛けは回収されていた。マグロはやっぱりと言うか、仕掛けにはかからなかった。これも地道に行け、と言う神様の意思なのだろうと思う。私にギャンブルは向いていない 。
エンジン音の向こう側に、かすかに聞こえる波の音。何気なく船の縁に移動し、海を眺める。全ての光を吸い込んでしまいそうな、漆黒の闇が広がっている。その姿を見て、老人が甲板のライトを消す。良~く見てみな、こんな海でも光はあるのさ。その言葉通り、波が打ち付ける様子を見ていると、水面が微かだが確かに淡く緑色に光っている。暫くその光景に見とれていると、船首から船尾まで、船を取り囲むように海が光っている事に気付く。波が当たると光り、数秒で消えていく。決して強い光ではなく、闇に消え入りそうな光だが、なぜか心が休まる。夜光虫と言うプランクトンの一種で、衝撃を受けると、光って威嚇する。その光が、船全体を包み、穏やかな空間を作り出している。ふと、空へと目を移す。雲は形を成していなく、朧月が世界を優しく包む。遥か東に見える木星がその存在を誇示するかのごとく、一際明るい光を放つ。あの星を目指せば東に進んでいることは間違いない、と老人は言う。闇に目が慣れてくる頃、控えめに主張している星たちも目に入ってくる。一つ、また一つと夜空に光が生れていき、銀砂を細かくちりばめたような世界が視界に広がる。淡く黄色を帯びた星団もあれば、銀白色の輝きを放つ星団、珊瑚色に染まる星団、そのすべてが重なり合い、荘厳な光の共演を繰り広げている。陸で眺めるのとは全く違う、神秘に彩られた世界だった。私はこの光景を生涯忘れないと思う。我を忘れて見入っていた。
気が付けば午前3時。出港から24時間が経過していた。船室に入り、航跡を確認する。ようやく100㎞を越えてきた所だ。目的地まであと半分だ。ここでこの航海初めての食事をとる事にする。ガス窯で炊いた米に、買ってきた豚肉と野菜を使って豚汁を作る。航海中、肉を食べられるのは最初の二日くらいしかないので、味わって食べる。が、さすがに完食はできず、具を少し食べ、汁を飲み干す。吐き続けた体に染み渡る旨さだ。老人も旨そうに食べている。食事も終わり、老人と操船を代わり、休んでいた分の仕事をする。
老人は船室へと入り眠りに落ちる。そういえば、24時間寝てなかったな、悪いことをした、と反省しつつ、自動操舵の舵がずれていないか、レーダーに他船舶の影は映らないかを見つつ、無限に流れていく時間に身をゆだねる。聞こえるのはエンジンと波と風の音。たった一日なのに、街の喧騒が懐かしく感じる。そうして、本当に長い夜は過ぎていく。
翌朝、夜通し船の番をしていたので、老人と変わり、仮眠をとる。が、やはり慣れるにはもうしばらく時間がかかりそうで、2時間もすると目が覚める。昨日と変わらない一日がまた始まる。厄介なのは船の速度が何をするにも中途半端と言う事だ。釣り糸を垂らすには速過ぎるし、速度を上げるとエンジンが悲鳴を上げる。結局はトローリングの仕掛けを投入して、ただ待つ、と言う時間を過ごす。少しはましになったが、まだ吐き気は襲ってくる。天気は昨日より回復し、青空が広がっている。季節はもう冬に入ろうかという時期なのに、南の方では季節外れの入道雲が勢いよく成長している。真っ青に広がる空に、白い雲が映える。さすが亜熱帯気候と言ったところか。老人は雲を見て、風向きを確認しだした。どうやら、単発の低気圧で大きな影響は出ないらしい。言葉通り、やや北寄りの西風を受け、船は昨日よりも幾分早く進んでいる。海上保安庁からの定期無線も明日もこの調子だと言っている。日が出ているうちに、と老人は漁具の最終チェックを行う。仕掛けを巻き取る機械を動かし、イカを捌く際に使う水道モーターが正常に作動するかなど、念入りにチェックして回る。作業を手伝いながらも手元の作業になるとどうしても気持ちが悪くなる。この日何度目かの嘔吐の後、御飯代わりのゼリーを流し込み、空腹を紛らわせる。一通り作業も終わり、航跡を見ながら、老人は明日の夜明け前に、仕掛けを投入するぞ、と言ってきた。漁場の手前だが、操業しながら、ベストな海域を探すようだ。この日は昼過ぎに老人が就寝、8時ごろに交代し、操業まで睡眠をとった。この日から何とか船室で眠れるようになったので、一畳ほどのベッドで一日ぶりにまともに眠る事が出来た。
翌朝は4時に目が覚めた。6時間ほどぐっすりと眠れた。体はかなり軽く、船に乗って初めて食欲がわいた。外に出ると老人が朝食にと、インスタントの味噌汁と、おにぎりを用意してくれていた。朝日が昇るのを眺めながら、二人並んで食事をする。大自然に囲まれて、これ以上ない贅沢な食事を終え、老人はこれがのんびり食べる、最後の食事だぞ、と言って、職人の顔になる。いよいよソデイカ漁が始まる。
潮の流れを読み、自動操舵に切り替える。魚探で確認すると水深は1500メートルを超えている。一本当たり5分で投入し、休む間もなく次を投入。これをひたすら繰り返すが、タイミングを間違えると、先に投入した仕掛に絡まり、使えなくなる。30本を投入すると時間は正午近くになる。これがこの漁法で一番効率の悪い所だが、そこを早くやろうとすると、仕掛け同士が絡まり、時間を無駄に浪費する。陸の上でもそうだが、漁師たちは二度手間を極端に嫌う。効率を上げるために試行錯誤を繰り返す。その背景にあるのは現場でいかに効率よく結果を出すか、と言う所から来ているのだとこの漁で思い知らされる。最後の仕掛けを投入したら、また先頭まで戻り、今度は回収作業を始める。この時ばかりは私の目の良さが役に立った。自慢じゃないが、左右ともに2・0はある。それ以上は測ったことがないからわからないが。もう一つ。特殊能力ではないが、遠くにピントを合わせようとすると、近距離は全く見えなくなるが、ズームがかかった様に、3㎞くらい先が鮮明に見えるようになる。これはかなり役に立った。基本的に航跡をたどって先頭まで戻るわけだが、当然、投入した場所に鋳掛が留まっている事はなく、潮の流れでかなりの距離流される。その状況で目印となる竹竿の旗を探すには予想された潮の流れから見当をつけても、広範囲を探す事になるのだが、竹竿につけた黒い旗の意味がここで初めて分かった。空と海の青さで、水平線の境すらあいまいな世界で、黒は非常に目立つ。よく、水難にはオレンジと言われるように、オレンジが目立つと思われがちだが、それは救命具のような大きなものに限られると思う。意外だったが、ピンポイントで探す場合は黒が効率的だと感じた。先頭の旗をいとも簡単に見つける私に、初めて老人は褒め言葉を掛けてくれた。あ、そうですか、と軽く返しておいたが内心とてもうれしかった。
そうして、いざ先頭の仕掛けを確認すると、老人が即座にイカが食いついているから、慎重にあげるぞ、と声を掛ける。どうやら、旗と一緒につけた浮きの沈み具合で、獲物がいるのかいないのか判断できるらしい。私にはさっぱりだが。船尾に取り付けた、3段階で調整できる巻き上げ機を低速で巻き上げ、イカが逃げないようにする。しかし、仕掛け自体が500メートルもあるので、巻き上げには時間がかかる。水面を注視しながら巻き上げの速度をコントロールしていると、鮮やかなオレンジ色をした1メートルほどの影を水中で確認した。老人はすぐさま巻き上げ機を止め、まだ水中に伸びている仕掛けを手繰り寄せ、急いで船首へと移動していく。慌てて後を追いかける。船首の中ほど、右舷側の壁を取り外し、半身を海へ出しながら仕掛けを手繰っていく。少しして、水面にソデイカが姿を現す。一の針にしっかり食いついている。私の初遭遇の感想は、こんなに大きなイカがいるのか、と言う困惑だった。釣りにも興味がなかった私は、魚屋で売られているサイズしか知らなかった。その10倍以上の大きさは許容範囲外だ。そんなことを考えていると、老人が大声で、カギジャー、と叫ぶ。はっと我に返り、先端にフックが付いた棒を老人に手渡す。この道具を使ってイカの急所に引っかけ、弱らせてから船に引き上げる。上手く急所を突くとオレンジの体色が瞬時に白くなり、イカは動かなくなる。その状態でやっと船に引き上げるのだが、イカの重さは約12㎏。
それを老人はいとも簡単にあげていく。上げた後はスピード勝負。胴体を縦一直線に包丁で開いていく。深く刃先を入れ過ぎてしまうと、墨袋を破り、身が真っ黒になり売値が下がる。上手く包丁が入ったら、そこからは手開きで作業を行う。胴体と足は手で簡単に引き離せる。胴体の中身を手で剥いで海に捨てる。足の部分は拳大の目玉に手を入れくり抜き、足の付け根中央にあるくちばしも引き千切る。これで保存前の下処理は完了し、1メートルほどの胴体は専用の袋に、足はまとめて大きな袋に入れ、海水と氷を混ぜた保冷用のプールの中に入れる。船に上げて、ここまで3分。これが終わるとまた仕掛けを手繰っていき、残りの二の針、三の針にイカが付いていないか確認し回収する。この時は一本目の仕掛けに幸先よく3杯のイカがかかっており、一気に船上は忙しくなった。こうしてイカがかかっている場合は仕掛けの回収までに早くても30分はかかる。一連の作業は出港前にシミュレーションしていたが、実際の海は勝手が違う。常に震度3の揺れの中にいるようなものなので、思うように体を動かせない。
二本目以降の仕掛けは私が回収していったが、まず、イカを船に上げる事が出来ない。何度もカギジャーを使い急所を狙うが、なかなかうまくいかない。何とか波と揺れのタイミングを見計らって無理やり船に引きこんだが、老人からは0点、という厳しいお言葉。そこから解体し、二の針、三の針と確認するが、食いついた形跡はあるものの、足だけが残されており、本体はいない。時間を掛けすぎて、逃げられたな、2万の損だ、と叱責を受ける。二本目の仕掛けだけで1時間は使ってしまった。これはいつ終わるかわからんな、と老人は笑いながら言う。その言葉通り、すべてを回収するころには日付が変わってしまった。その間、水分は口にするが、食べている時間はなく、ひたすら同じ作業を繰り返す。この日の漁獲は23杯。初めてにしては上出来だそうだが、ほかの漁師の無線では、3隻中最下位と言う結果。しかも、時間は午前2時。次の仕掛け投入まではあと二時間。寝る暇がない。そのまま起き続け、また仕掛けを投入していく。老人はその間、仮眠をとるから、昼前に起こせ、と言って船室に消える。黙々と作業をしていたが、昨日よりは手際もよくなり、正午前にはコーヒーを飲む余裕もできた。老人を起こすと、先頭に戻るまで時間があるから、仮眠を取れ、と言ってくれたので、二時間ほど眠る。起きたらまた回収作業に移る。この辺りが一回目の疲労のピークだった。体が慣れていないというのもあるが、精神的に参っていたのが大きかった。気力でこの日を乗り切り、作業はまだまだ老人にはかなわないが、何とか日付が変わるまでに終える事が出来た。
ここから5日間、海況にも恵まれ、順調な操業が続いた。4日目からは、すべて一人で操業するようになったが、船上での動きも軽くなり、体も慣れてきて、多少の揺れではびくともしなくなったし、何よりイカを仕留めるコツを覚えたのが大きかった。初日に比べるとぐんと効率が上がり、夜9時には作業を終わらせられるようになってきた。こうなると、しっかり休む時間が取れる分、効率も上がる。老人からはこれでようやく飯が食べられるわ、と軽く嫌味を言われたが、明日からは、もう一日寝ていてもいいですよ、ご老体にはきついでしょうから、と返した。お互い、頬がこけ、髭だらけの顔を緩ませ、久しぶりに笑った。
漁獲もこの日までで130杯となかなかの好成績だ。だが、ソデイカ漁について回る邪魔者、ムラサキイカと言う30㎝くらいのイカがすでに120杯は上がっている。これもお金になるから、と老人は言うが、次から次へと上がって来ては、下処理に時間をくう。イライラしている私を見て、老人は青いな、と鼻で笑い、確かにこいつは一杯あたり、100円くらいだ。色白よ、お前は道に100円が100枚落ちていても拾わないのか?と言う。確かに、それなら拾いますけど、と返すと、それと同じことだ、小さい額でも現金に換えていく。それが漁師として生きていく鉄則だ。潜り漁の時も皆、大物以外も仕留めてくるだろ?その一匹の価値は小さくとも、後々大きな利益をもたらしてくれるとわかっているんだ。目の前の獲物を確実に利益に変えて行く事、そしてその先の利益を見据えないと漁師としては半人前のままだぞ。頭では分かっているが、こうも手間がかかるとどうしてもそのまま海へ戻したくなる。多少のいら立ちを覚えながらも、この日はちょうど折り返しだ。久しぶりに口にした炊き立ての白米の味は想像以上の感動を与えてくれた。
老人は早々に船室にこもり、眠りについた。船は明日の操業ポイントへと向かっている。航路とレーダーを見ながら、見張り役をする。時折入ってくる仲間からの無線に応え、お互いの状況を確認する。空高くにはか細く光る三日月。明日は新月か、とぼんやりと考える。今日で陸を離れて9日。会社勤めでは一生経験することはなかっただろう経験を、たった九日で数多く経験した。一日の睡眠時間は陸に居る時よりもはるかに少ないが、充実している。自分がこんなにタフだったとは、と驚かされる。心地よい疲れは、ふわふわと宙に浮くような不思議な感覚を与えてくれる。一人で操業できた自信が余裕を生んでいる。ここにきて、気力、体力ともに最高な状態だ。船室から出て、船首に向かう。
さすがに12月も近くなってくると、夜は肌寒く感じる。遥か西方に自分が帰る場所があるはずなのに、今はこうして肌で自然を感じる事が出来るこの場所に幸せを感じている。海は偉大だな、と改めて思う。これまでも様々な顔を見せてくれた。その姿に恐怖もしたが、今はこんなにも穏やかな気持ちにさせてくれる。一つ間違えれば、一気に生命の危機に陥る状況だが、『死』が現実味を帯びるにつれて、『生』はどんどん輝きを増していく。星の終わりの最後の輝きのように、強く儚い光だが、私に経験したことのない高揚を与えてくれている。濡れ羽色のベールに包まれた空を眺めながら、そんなことを考えていると、東の空が朱鷺色に染まり出し、次第に茜色へと移り変わる。10日目だ。二人分のホットコーヒーを淹れていると、老人も船室から出てくる。淹れ立てのコーヒーと煙草を朝食代わりにし、仕掛けの準備へと移る。老人が突然、今日は10本だけにしておけ、後に時化るぞ。と言ってくる。ふと海を見ると、静かに水を湛えたプールのように波ひとつもない水面が広がっている。そういえば、明け方から船が全く揺れていなかったことを思い出す。なぜです?と問いかける。昔の人は良く言ったものだな。これが嵐の前の静けさと言うやつだ。南西の空を見てみな。夜が明けたばかりなのに、あそこだけ空の色が暗く淀んでいるだろう。そして今の時期は大陸から強烈な西風が吹く。遅くても今日の夜にはあの低気圧が移動してくる。大荒れになるぞ。いつもの冗談を言っている顔ではない。目つきが職人のそれになっている。分かりましたと応え、作業に移る。
いつもの3分の1の仕事だ。やはり昼過ぎには回収も終わってしまう。が、作業中から嫌な感じがまとわりついていた。昨日までは好調だった漁獲がこの日に限ってまったくイカが上がらない。それどころか、あまりの多さに辟易していたムラサキイカすら上がってこない。海の中でも異変が起きている。これから来る嵐に備え、どこかへ避難してしまったようだ。その間も海は不気味な静けさが漂っている。時間がたつにつれ、背筋に流れる汗が、冷たくなっていく。本能が危険を察知しているようだ。嵐への対策をあらかた終わらせても、海は静かなままだった。朝方遠くに見えていた雲の塊は、やはりこちらへ向かってきているようだ。無線からは最大風速18メートルの嵐で、波も8メートルに達する見込み、と連絡があったが、この静けさを見ると、にわかには信じがたい。嵐が来るまでは、とこの日出港してから初めてエンジンを切る。こいつも少しは休ませないとな、と老人は笑う。
風の音も、波の音も、まったくしない無音の世界。時間さえ止まってしまったような錯覚に陥る。心臓の鼓動がやけに体に響く。日が高いうちに休めるのは久しぶりだった。やる事もないので、試しに、と釣竿を垂らしてみる。が、もちろん反応は無い。プールのような海を眺めながら、見渡す限り、何も見えないその光景に、地球は本当に大きいな、と感じる。気のせいか水平線は丸みを帯びているようにも見える。そんなことを考えていると船のすぐそばの水面が波立ち、パシャッという音とともに、水面に背鰭が現れる。初めて見る野生のイルカだった。おそらく、オキゴンドウと呼ばれる大きめのイルカだ。物珍しいのか、船に興味を示し、着かず離れずの距離でこちらの様子を伺っている。垂らしていた釣竿を引き上げ、水面を見ていると、次から次へとイルカが姿を見せる。おそらく40頭ほどの群れだった。群れの長だと思われる、左目と背鰭に傷を負ったイルカと目が合う。
しばらくして、害はないと判断したのか、船の周りで遊びだした。私は気が付くと海へと飛び込んでいた。なんだか誘われたような気がした。目を開くも、海水で視界はぼやけたまま。一度水面に上がり、大きく息を吸う。勢いよく頭から潜り、2回大きく手をかく。目を開けても何も見えないな、と目を閉じ、海に身を任せる。耳にはイルカたちが発するキュイ、キュイ、と言う声が響く。水深は1000メートルをゆうに超えている。この海域、水深では何が起きてもおかしくない。が、不思議と恐怖は感じなかった。心地のいい子守唄を聞いているような感じがした。体中の緊張を少しずつ解き放っていく。肌と海の境界線が曖昧になる。イルカたちも、不思議な格好をした得体のしれない生き物に興味津々で近づいてくる。息を止めているのも忘れて、イルカたちと戯れる。体が海に溶けていく。重力から解放された自由な空間がそこにはあった。時間にして一分ほどだったと思うが、永遠に続くかと思えるほど長く感じた。幾度か潜水を続け、最後に顔を出したのは20分ほどした頃か。飽きたのか、イルカたちは尾ひれを高く上げ紺碧の海へと潜っていった。過酷な環境の中、究極の癒しをもらう事が出来た。
束の間の休息を終えると、老人の予告どおり、海は大きなうねりを伴い、激しく波打つようになってきた。エンジンを再点火し、波に合わせて操船しながら、ひたすら嵐が過ぎ去るのを待つことになる。時はすでに夕闇の時刻に差し掛かっている。周囲を照らすライトなどは装備していない。仮にあったとしてもこの雨では使い物にならなかっただろう。あっという間に日は沈み、宵闇に包まれていく。視界は悪く、波の状況さえ見えない状態だが、船の傾きがその波の大きさを伝えてくれる。船の隅々まで神経を集中し、波に対して船が直角になるように舵を切る。これだけの大波を横からくらっては、船は水平を保てず、簡単にひっくりかえる。しかも、波の姿は見えていない。判断を間違えると、一気に事態は最悪の展開になってしまう。恐怖に飲まれかけた私に、老人は落ち着いた様子で語る。ここまで荒れてしまっては、思考は意味をなさないぞ。頭の理屈は捨てて、感覚を研ぎ澄ませろ。感じたままに操船しろ。それが正解だ。その刹那。大波を乗り切り、波を下っていたはずの船がドン、と言う音と共に、真下から突き上げられ、急激に左へと傾く。たった数秒だが、船は確実に水平を失っていた。船室の壁に体が叩きつけられる。舵にかけた右手だけは離さずに、何とかコントロールを試みる。返す波で今度は右の壁へと吹き飛ばされる。舵が効かない。意図する方とは逆に船が流れてしまう。私は見る見るうちに青ざめた。これが三角波の怖さか。と改めて海の怖さを実感する。これまでどんな大波でも、一定のリズムで同じ方向から来ていた。だが、今回の波はそれとはまったく違う。船尾が持ち上げられたかと思うと、次は右舷前方が持ち上がる。水面に次々と波の山が表れ、船を弄ぶ。予測が効かない。船は水面に浮かぶ枯葉のように翻弄され、ミシミシと木をねじ切るような不気味な音を響かせている。とたんに『死』と言う単語が頭を埋め尽くす。次第に筋肉の緊張は高まり、息は浅く早くなり、体中に経験したことのない気味の悪い汗が噴き出す。膝は上半身を支える事で精いっぱいで、この揺れの中では踏ん張る事すらできない程震えている。心臓は尋常ではない速さで鼓動し、喉の奥は締め付けられ、口はカラカラに乾いている。思考は完全に機能を果たさなくなっていた。今まで出来ていた事が一つ一つ出来なくなっていく。恐怖や絶望、無力感。ありとあらゆる負の感情に飲み込まれてゆく。視界は狭まり、舵を持つ右腕は見当違いの方向へ舵を切っている。物凄い風と波の轟音が響いていたはずだが、私の耳は聴くことをやめていた。どこか、映画のワンシーンを無音で見ている感覚に陥り、完全にパニックを起こしてしまった。船は自らの持つ復元力で何とか航行を続けているが、操る人間が平常心を保っていなければ、沈没は時間の問題だ。船の力だけで、何とか次の大波を乗り越えたが、私は切ってはいけない方向へ舵を切ってしまう。老人が鬼の形相でこちらを見て、叫んでいる。が、口が動くだけで声は聞こえない。全てがモノクロのスローモーションで再生されていく。迫りくる大波に怖気づき逃げるように波に背を向けてしまった。船は船尾が持ち上げられ、船首がどんどん水中へ潜って行ってしまう。もう操船どころではない。甲板は海水で溢れ、海と船の境が分からなくなるほど、波を被っている。この波を何とか乗り切ってくれ、と願うしかない。自然の驚異をまざまざと見せつけられる。一生分の運を使い果たしたのか、何とか船は水平を維持し、奇跡的に沈まなかった。
後に老人から、あれは海の神様の洗礼だ。沈まなかったのはお前にまだまだ生きろ、と言う事だったんだと思う、あの状況で沈まない船を俺は聞いたことがない、とまで言われてしまった。
もう舵すら握れなくなってしまった私に、波で吹き飛ばされるのとは違う方向から、強い衝撃が飛んできた。船室の外に投げ出され、唇からは生暖かい血がしたたり落ちている。見上げた操船席には老人が陣取り、懸命に船を安定させようとしている。ぼーっとしていた頭が、つい数秒前の記憶をリプレイする。何をどうしていいかわからなくなった私に、老人が渾身の左フックを浴びせていた。切れた唇の痛みが、私を正気に戻してくれた。一部始終を思い出し、はっと我に返る。それに気づいたのかはわからないが、老人は舵を操りながら、少しは頭が冷えたか?青二才。と言って高らかに笑う。こんな海こそベテランの真骨頂だ、と言わんばかりに、次々に波を乗りこなしていく。先ほどまでは、大きく左右に振られ、悲鳴を上げていた船が、今ではビッグウェーブをとらえたサーファーのように、気持ち良さそうに波の合間を縫って航行している。ようやく落ち着きを取り戻した私の世界に、音が還ってくる。気が付けば体の震えも止まっている。そこからは老人が7時間にわたり嵐と格闘を続けた。暗黒の雲の隙間にオリオン座を確認するころ、ようやく長い戦いに終止符が打たれた。低気圧の中心を抜けたのだ。
いいか、色白よ。お前は最初の波に怖気づき、歯車が一つずれた。その後修正を試みたが、これが見当違いで、また歯車がずれる。一度ずれた歯車は簡単には戻せない。海の上で、一つミスをするという事は、そのまま死に直結するという事だ。身に染みて分かっただろう。肝心なのは死に飲まれぬ事だよ、海と俺たちの命のやり取りなんだ。ここが際の際、という時に、どれだけ冷静で居られるか、
が死線に活路を見出すことになるんだ。と嵐の後老人は諭してくれた。殴ったことはお前を正気に戻すのに必要だったが、悪かった、と謝罪も受けた。激しい安堵感で、立つことすらままならなかった私は、頷くだけの返事を返し、気づけば涙が頬を伝っていた。
嵐の中心を抜けたが、波はまだまだ高い。これでは仕事にならない、と今日一日の休業が決まった。船室に入り先に休ませてもらう。
ベッドに横になり、天井を見上げ、考える。
重いな__。
これまで生きてきた人生は、決められた事をそつなくこなしていれば、結果が帰って来て、評価が上がる。それを繰り返し、組織の中で上に上がっていけた。それはそれで充実していたと、思い込んでいた。だが、それは間違いだった。確かに、死ぬほどの恐怖を味あわされたが、こんなに生きていることが愛おしくなる感覚は初めてだった。老人は幾度もこんな修羅場を潜り抜けてきたのだろう。その発言の一言一句が脳に刻み込まれている。
情けない__。
自分の無力さを痛感し、海を舐めていたことを思い知らされる。悔しさと安堵感が入り混じる不思議な感覚のまま、気がつくと眠りに落ちていた。
ジンジンとした唇の痛みで目を覚ました。外に出ると空を覆い尽くしていた雲は消え、青く澄んだ空が広がっている。波もだいぶ落ち着いてきた。老人を探すと、船首で仰向けになり、空を眺めながら煙草の煙を燻らせていた。こちらの気配に気づくと、回収頼んだぞ、俺は寝る、と船室に入っていく。どうやら予想より早く波が収まったので、仕掛けを投入した後だったようだ。この日は久しぶりの釣果を得た。あの嵐を乗り越え、こうして操業で来ている事がとても嬉しく、ありがたいことに思えた。生きているという事を強烈に実感した。現場の人間はここまで命を懸けて、食卓へと命を繋げている。いつもより少ない仕掛けを回収し、海を眺めながらこの仕事を一生の仕事にしたい、と決心した。
この日で出港して11日。今日の成果でイカは150杯。ようやく折り返しだ。いつの間に起きていたのか、老人はとっておきだぞ、とにやりと笑い、お気に入りのタバコと共に、コップ一杯の泡盛を手渡してきた。お前の顔を見れば、何を考えているかなんぞお見通しだ、海に生きる覚悟を決めたんだろ?その祝い酒だ。今日だけは特別だ。味わって飲めよ、と言い、自分のコップを一気に飲み干す。あれだけ酒は厳禁だと言っていたくせに、と怪訝なまなざしを投げつけると、安心しろ、俺のは水だ、青二才。と笑う。老人に勧められるまま、泡盛に口をつける。切れた唇に染みて、少し痛かったが、独特の香りと、強めのアルコールが口の中に広がる。あぁ、久しぶりだな、と心地よい刺激に身をゆだねる。喉を駆け下り、胃に入ったアルコールが、一瞬の間をおいて五臓六腑に染みわたる。久しぶりの娯楽だった。たった一杯だったが、時間を掛けてゆっくりと味わう。色々な思いが胸に渦巻き、溢れだした感情が涙となって零れ落ちていく。とめどなく流れる涙は、これまでで最も純粋で、決意のこもったものになった。老人にこの仕事に誘ってくれた礼を言い、改めて、修行させてください、と頼む。
老人は煙草の煙を大きく吐きだし、一瞬の間をあけて、死ぬ気でやれよ、と短く答える。その顔はとても照れくさそうに見えた。よし、と老人が声を上げ、じゃあこれから帰港するぞ、といたずらっぽい笑みを浮かべる。拍子抜けした私に、老人は嫌味っぽく、昨日甲板に水を被り過ぎたせいで、保冷用の氷がだいぶ溶けてしまった。海水を抜いて調節してみたが、もってあと三日だろう、これでは帰港するしかあるまい、と残念がる。が、目は笑っている。少しイラッと来たが、いかんせん酔いが回っていてはうまく頭も回転しない。すみませんでした、と一言だけ返し、船は一路西南へと針路を定め、海の神様へ泡盛を奉納したあと、時速五キロの航海を開始した。
その間、先に帰る旨を仲間に伝える無線で、あの青二才が、と楽しそうに語る老人により、帰港後ヘタレという新たな汚名を着せられることになる。とにもかくにも、初めての航海は日程の割にはまずまず、と言う結果を残し、二日後の明け方に港へと帰港した。海と自然の怖さを存分に味わうことができるものとなった。しかし、慣れとは恐ろしいもので、陸に上がっても体が揺れている感じがする。陸酔いと言うそうだが、これがなかなかに気持ちが悪い。老人は平然と宴会を始めている。曰く、今日で酒を存分に飲んでおけ、三日後に出港するぞ、だそうで。ビールを二本飲み干し、泡盛をロックで一杯飲んだ頃、激しい眠気に襲われ、そのまま眠りについていた。
その三日後。老人の言葉通り、船は遥か東の太平洋を目指して航行を開始した。結局、このシーズンは14回漁へと出港することとなった。そこで私が見た景色はこの人生を実に豊かなものにしてくれた。水平線に上る紅く大きな満月、夜と朝の間に現れる萌葱色の閃光。自然とはかくも見事なり、と言わざるを得ない光景を目にし、そのすべてが心の中に刻み込まれている。その年、私と老人は例年以上の釣果を上げ、私はやっと準組合員として登録されるに至った。
10回目のシーズンを迎える頃、正組合員となった私の傍らに老人の姿はなかった。4年目を境に、老人は私に船の全権を譲り、自身は近海漁のための船を新調した。ゆくゆくはその権利も譲ってくれるらしい。一度、なぜそこまで面倒を見てくれるのかと聞いたことがある。曰く、お前は俺と女房の希望なんだ。俺には家業を継ぐ人間はいないからな、と言葉少なに語った。その時はあまり気にしなかったが、後に仲間の漁師から、奥さんが出産時に亡くなったこと、懸命の看護もむなしく、間もなく長男も他界したことを聞かされた。あの時の老人は見ていられなかったよ、こぼす。だが、そんなことを微塵も感じさせない老人に対し、私も深く詮索することはしなかった。いつしか日常になった太平洋での操業を終え、いつも以上の釣果を自慢しようと帰港した矢先。老人が入院したことを聞かされた。
水揚げを仲間に頼み、片付けもそこそこに病院へと直行する。真っ白に彩られた個室。白いカーテンが揺れる窓辺に活けられた時期外れのヒマワリが際立つ。訪れた私を見て、老人は素っ気なく何しに来た?と一言。いや。と言うのがやっとで、沈黙が包む。何とか強がって、殺しても死なないような人間が入院とは、どんな顔をしているのか気になりましてね、と返し無理に明るく振舞い、笑った。そんな私の心情を察してか、老人はとうとうと自分の仕事の尻拭いを他人に任せるとはどういう了見だ、水揚げまで責任を持て、と厳しく叱責した。その声に生気を感じる事が出来なかった。本能的に、もう老人と過ごせる時間は多くはないな、と悟り、その場で次の出港は一回見送る事にした。が、この老人は腐っても鯛、私の考えを見透かしたように、お前の釣果は組合長から聞いている。今年に限れば、去年より成績が悪いだろ?だから、俺の事は気にせずに、さっさと漁の準備をして来い。穴を空けたら許さんぞ、と語気を強める。
その頃には私も老人の気持ちを少しは汲み取れている。老人は最後まで老人だな、と覚悟を決める。言いようのない不安と無力感が押し寄せてくるが、いつもと同じように出港の準備をし、見舞いから二日後には漁場へと船を走らせていた。
結果、帰港の頃には老人の通夜も葬儀も終わっていた。
主のいなくなった老人の家。仏間に小さな祭壇と香炉。そして遺骨と遺影が置いてある。
最後まで付き添った組合長曰く、最後まで私の身の振り方を案じていたようだった。これを託された、と手渡された多数の書類に目を通す。老人の持つ権利を、弁護士を通じて証書にしたもの、それを全て私へ譲渡する旨の書類。そして、私に充てられた封筒が一通。裏面には『伊禮 栄庫』と力強い署名が記されている。最後まで、人生を投げずに、責任を全うした力強さが、その書名から見て取れる。託された責任の重さを感じる、見事な署名だった。組合長に一人にしてもらえますか?とお願いし、仏間で老人と別れの酒を酌み交わす。
思い出すのは過酷な現場での楽しいことばかりだ。今でも青二才、と呼ぶ声が聞こえてくる。真っ黒に焼けた顔で、煙草を吹かし、いたずらっぽく笑う顔が浮かぶ。老人が好きだった赤ラークに火をつけ、ともに吸う。封筒を開ける。中に入っている手紙に目を通す。
『俺には、学がない。手紙の作法はわからんが、人生で初めて手紙を書くことにする。これは俺の最初で最後のお前への感謝の言葉だ。心して見るように。
ずいぶん前のような気がするが、あの日お前が焚火の前にぼーっと立って俺の作業を見ていたときに、俺はなぜかこいつを一人前に育てねばならん、と天命を受けたんだ。思えば、お前に息子を見ていたのだろう。息子が大人になって目の前に現れた、と今でも信じている。知ってのとおり俺の息子は一年も生きられなかった。今でも小さな息子の亡骸を抱きしめた感触は手にずっと残っている。やっと妻と息子のもとに行けると思うと、少し心が安らぐよ。ただ、お前を残して先に逝かねばならないのは心残りだ。お前は息子が俺に与えてくれた最高の親孝行なんだと思う。俺はお前を本当の息子だと思って接してきた。時には厳しく当たった事もあったが、その度に成長するお前の姿をとても微笑ましく見ていたよ。老いぼれにはそれが何より嬉しく楽しいことだった。
お前が年間の漁獲量で一位を取った時は、自分が取った時より何倍も嬉しかったな。あの日は二人で朝まで飲み明かしたな。お前が俺のもとで修行させてくれてありがとうございます、と言った時には、寝たふりをしていたが、柄にもなく涙を流してしまったよ。今となってはいい思い出だ。
死に際に人生は意味のあるものだった、と確信させてくれたのはお前だ。そして、それに応えて最後までついてきたお前に感謝している。先の見えた人生の最後に、お前と共に見た夢は俺の人生を最高のものにしてくれた。だから、これからはお前のやりたいように生きろ。権利書はそのためにお前に譲る。漁師を続けるもよし、権利を売って別の人生を歩むもよし、お前の無限の可能性を試していけ。あの大海の荒れた海を乗りこなしてきたお前に、勝てない波などない。おもしろきこともなき世におもしろく、だ。お前ならやれる。強く生きろ。』
もう、ところどころ、文字が滲んでしまっている。別れの席に相応しくない、と必死にこらえていたものが溢れてしまう。
『最後に。
とうとう結婚しなかったな。俺に遠慮していたのかもしれんが、もう3年も待たせている彼女がいるだろう。さっさとケジメを付けんか、青二才!お前は本当に仕事以外の事になると人が変わった様に優柔不断になるな。結婚して子供を持つまでは、俺はお前を一人前とは認めないからな。あの世で子供の報告待っているぞ。』
老人らしく締めてくれて、私は少し笑った。外に出るときれいな星空が広がっている。先に外に出ていた組合長の横に座り、老人からの伝言を受け取る。
翌朝。
私は一人出港した。傍らには山崎のシングルモルト12年。目指すは太平洋だ。目的地までは数時間。真っ青に広がる海に春の兆しを感じさせる南風。浮かぶ雲は白く輝く。太陽は活気を取り戻し、じりじりと肌を焼く。
そろそろか、と腰を上げ、老人の遺灰を取り出し、ウィスキーを開け海に捧げる。最後に交わす言葉はいらないな、と思い、どこまでも続く大海原へと遺灰を撒く。風に煽られたそれは、空高く舞い上がり、きらきらと太陽の光を反射し、やがて海の彼方へと消えていった。
終