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聖女には話を聞いた。後のあては……色街しかない。正直あまりお近付きになりたくないところだ。師匠もいない今の自分では、なめられるだけだろう。情けないことに。
記憶がよみがえる。坊っちゃんどうしたの? こっちへいらっしゃいな。お乳の味を思い出させてあげる。――何だか自棄になった師匠に色街を連れ回された時、かけられた言葉だ。
……なんと言うか、扱い方が分からないのだ。妙齢の女は特に。色街の女性はまた別かも知れないが。
ともかく、話を聞くにはどうすればいいか考えて――今までと同じようにすることにした。
すっかり日も暮れ夜の帳が降りた頃に急くように出かけた。何かをしていないと六年前のことに心が捕らわれてしまいそうだったからでもある。今はペトルスの行方だ。
色街は北の大聖堂から離れた、南西の一角にある。近付けば、闇の中に煌々と輝くランタンの明かりと、露出の多いきらびやかなドレスを夜気にさらした女達の姿が見えた。大体夕食の時間とあって、まだ客の数は少なかった。
店は何軒あるのだろう。何か手段を講じない限り、短期間にすべて聞いてまわるのは無理だと肝に命じておく。
まず目についた、ほっそりとした腕と腰回りの、青いドレスの女に近付いた。向こうも気がつき、なまめかしい目付きを送ってきた。
フードを取り、歩いていく。
「坊や、私に気があるなら良い眼をしているじゃない」
努めて平静を装う。
「お姉さん、人を捜しているんですけど」
何々? と乗ってきたことにまず安堵する。
「ペトルスっていう名前の、金髪に碧い眼で背の高い、格好いい傭兵なんですけど……あと酒が嫌いで紅茶が好きな」
碧い眼の女はフフ、と笑う。
「坊や、一晩どう? そうしたら答えてあげちゃおうかな」
やっぱりそうきたか、と内心ため息を吐いた。
だがその前に。
「お姉さんは他のお店に友達はいませんか?」
「いるわよ。なあに? 聞いて欲しい訳ね。その分払ってくれるならそうしてあげてもいいわよ」
「いくらですか」
師匠のように何か……技を持っている訳でもないので多少足元を見られても仕方ないと腹をくくる。
そうして提示された金額は、ドリー金貨三枚。南のラムルス王国製の、信頼性の高い通貨で大金も大金だ。だが他の女達が話を聞いてくれるとは限らない。値切っては話を広めてくれるか分からない。この人が約束を守るかは分からない訳だが、ここは乗るべきか。
「ヤって悪かったら後で値切ってくれてもいいわ」
いかにも品のある顔で言い放つ。
高鳴り始めた胸に頭の隅で苦笑いする。
「わかりました。お姉さん、よろしくお願いします」
「おっと。相手は私じゃないのよ。ジェーン!」
店内に首を突っ込み、名を叫び何かを囁き、ついでおれを手招いた。
長屋の一室程あるホール。そこには長椅子に腰掛け、露出の激しいドレスをまとった歴戦の美女から経験のなさそうな少女まで、十人くらいいた。
一人、壁際から歩み出てきた。経験はいくらかありそうな、二十代前半くらいの茶髪に碧い眼の小綺麗な女性だった。体格は小柄で控え目だ。
客引きの女性がおれの耳に囁いた。
「私の娘よ」
驚いた。とてもこんな娘さんがいるようには見えなかったのだ。並ぶと姉妹にさえ見える。
「さあ、いきましょう」
落ち着きと、か細さの中間にある声音でジェーンはおれをいざなった。
◇
それから何事もなく――嘘よと聖下は笑い、手を繋いだ――朝を迎えて一日を終える。沐浴から帰る途中でお姉様に相談してみた。ブライス様。教皇聖下にはとんとお呼ばれしていない方だ。そして、ご本人もそれに頓着しておらず、理知的な眼が印象的なお方。
ひそりと、群れから離れて声を殺しながら訊いた。聖下はベアトリスを食べたとおっしゃった。それがどういうことか、見当がつきますかと。
ブライス様はこう返された。恐らくは、だけれど、命を吸い取ったということじゃないかと思うわ。聞いたことがないかしら? 十五年前まで、聖下は病院で重い容体の患者さんに治癒を施していた。御自らの命を種にして、また敵対者の命を吸い取って。幼心にも畏敬の念を感じたものだわ。修業で習わなかったの?――と。
聞いている途中で脳裏に閃くものがあった。確かに習ったことだ。
恐らくベアトリスは教皇に殺された。若い命を吸い取られて。わたしのことを慕ってくれ、同じ髪型にまでして、たぶん、外の人が言うならば、ペトルスと言う青年に恋をしていた少女。
添い寝もそうよ。私達は糧なのだわ――ブライス様は独り言のように呟いた。
◇
「クソッ……!」
闇に墜ちた深い森の中を走る、走る。月光は時折差し込むだけで、頼るは己の感覚のみ。石を飛び越え木の根を渡った。それでも時折蹴つまずくせいで距離は迫ってきている。相手はランタンを持っているのだ。
不意に水音が聞こえてきた。川か。
やがて見えたのは月の光にきらめく大河だった。アデル河だろうか。水を進んでみると、流れは早くすぐ足は深みにはまりそうに――とられた。一瞬の内に思考する。時間も方向も麻痺した中で、一縷の望みをかけ、流れに身を委ねることにした。