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 懺悔の間というのは大聖堂の一角にある。その小部屋に入ると、木壁の向こうから、深く澄んだ声が言った。


 さあ、神の御使いである私にあなたの思いを述べなさい。さすればあなたにわずかな安息が与えられるでしょう。


 木壁というのはえらく分厚い板で、おれの丁度目の前、腿のあたりと二か所に小指も入らないくらいの穴が環状に並んでいて、その中間あたりから声が響いてくる。椅子に座っているのだろう。

 おれは棒立ちになったまま、どこか身を正される気持ちで言った。


「おれの名前はシアといいます。今日は同居人の行方の手がかりを探しに来ました」


 壁の向こうからは何の気配も伝わってこない。懺悔でないことに慣れているのだろう。


「名前はペトルスと言います。金髪に碧眼で長身の、すぐれた容姿の男です。ご覧になったことはありませんか」

 何呼吸かの静寂。

「残念ですが、わたしは見たことがありません。しかし――見たという者に心当たりがあります」

 聖女の口振りは重い。

「名はベアトリス。三週間前まで聖女だった者です」

「聖女だった……?」

「わたしの代わりに聖下の元へ行き、そのまま帰ってきませんでした」


 声がわずかに涙を含んだ。"代わり"というのはどういうことか訊く訳にもいかない。


「……他に、ペトルスと話したことのある聖女様はいらっしゃいますか」

 鼻をすする音がして、

「頻繁に来られていたなら、いる、と思います。でもベアトリス程親しく付き合ったお姉様はいないでしょう」


 気丈にも答えた。

 その芯の強さに――不意に、名が知りたくなった。


「最後にお訊きします。あなたの名前は何というのですか」


「――エレインと申します」



 ペトルスと関わりのあった聖女ベアトリスが、聖女エレインの代わりに消えた――これはどう受け止めればいいのだろうか? 集めた話の中では人が消えてばかりいる。

 都は夕日に照らされ、朱色に染まっている。下町は民家や宿が多い。夕刻の鐘が鳴った為に家路を急ぐ人々の中で、今宵の宿を探す傭兵達の姿もそこここにあった。

 振り返れば、遠く丘の上に建つ壮麗な大聖堂とそれに連なる白亜の教皇庁が見える。

 否、教皇庁が主か。枢機卿の謀略。消えた聖女。聞いたせいか、その光景が禍々しく見えた。



 水の中から、しかしはっきりと声が伝わってきた。

「それで――それで? マッド。説明しなさい」


 彼女は記憶の底から六年前の出来事を思い起こしながら言った。自分が命令し、枢機卿達が承諾した結果、異端となった者。それが今この都にいる。小さな事だ。風前の塵にも等しいというのに、なぜか胸騒ぎを覚えた。


『はい。彼はペトルスという青年の行方を追って聖女様に接触しました』

 水盆に向かって話しかける。

「ペトルス……最近聞いた名前ね――今日の聖女は……まあいいわ」

 水面が揺らぐ。

「あなた、同情して余計なことは言っていないでしょうね?」

 女の勘が冴えた。

 数呼吸、間が開く。

『バーゼルさんがギルドの馬車の話を、僕が美男が消える話をしました』

「余計なことを! どう出るかも分からないのに」

 ――否。

「…十代半ばと言ったわね」

 焼き討ちにしたのは六年前。懸念すべきは。暗殺の術を会得するには幼すぎるだろうか。武力や狼に変身するかではなく、神降ろしの術を持っているかだ。だがこれも、性別と幼さ故に受け継がれているとは思えないが……念の為だ。


「マッド」

『はい』

「すぐに彼の居場所をつき止めて。そうして泳がせてなさい」



 人捜しに訪れたのは、彼が初めてだった。見つかりますように――祈りながら水に身を浸す。


「エレイン様、聖下がお待ちです」


 呼び出しがかかったのは沐浴を終え皆で部屋に帰るところだった。

 お姉様方に目礼し、これまでには無かったこと――前後を修道士が固めている中を進んでいく。――来るべき時が来た。

 ベアトリスが消え、亡くなったと聞かされたとき、あるお姉様は言った……外に行きたいなんて言って聖下の怒りに触れたのではないの。

 約三十年前から変わらない、今代の聖下のお人柄はやさしい方だという。けれども触れてはならない部分があるのだと知った。そう人を知る訳ではないが、誰しもある部分だろう。

 ベアトリスが亡くなってから途絶えていた、週に二、三度の添い寝。その日によって選ばれる聖女は変わるが、全く呼ばれないお姉様もいた。お姉様は、聖下に選ばれなかった。それだけよと笑っていた。

 左右に燭台の灯が掲げられた、二枚の大きな扉の前で修道士が止まり、ノックする。

 エレイン様をお連れしました――確かにエレインよね?

 と、中から声がした――張りのある声音の中に揶揄する響きがあった。前回は私だと思い込んで連れて来た。そのことをからかっているのだ。

 反応を待たずして、入りなさい、と優しげな声色が誘う。両側から扉が開く。ここからはわたしだけだ。部屋の中にしっかりと足を踏み入れる。背後で扉が閉じられた。

 教皇聖下の部屋は広かった。わたし達――最大で十人の聖女が寝台を並べて眠る寝室と同じくらいに広い。だが清貧を尊ぶ教えの通り、絨毯もない白い部屋には正面の窓際に一揃いのテーブルとチェア、左奥に二人は楽に寝られる大きなベッドの脇にチェスト、その上に水盆があるのみで、殺風景と言っていい部屋だ。

 月光が差し込む仄暗い中、聖下はベッドに横たわっていた。いらっしゃい、と落ち着いた声が呼びかける。 静寂の中を歩いていく。自分が緊張しているのが分かった。ベアトリスが亡くなったのはなぜですか。そう面と向かって問えば、わたしも死ぬのだろうか。そんなことばかりが頭の中をぐるぐる回っている。

 ベッド前に立つと、聖下は隣をポンポンと叩いて寝るよう指し示した。


「か、髪が濡れています」

「構わないわ」


 意を決してベッドに潜り込むと、シーツのひやりとした感触が鮮明だった。

 目の前に聖下が横たわっている。長い黒髪が首筋から垂れ、教皇と崇め奉られるには若い容貌の女性がそこにいた。

 その華奢な手指が、目の前の強張った肩にかけられる。


「そう固くならないで頂戴」

 肩を撫で、声をかける。

「すぐに慣れるわ……一応尋ねるけれど、あの子のことを気にしてなんかいないかしら?」

 ドキリとする。あの子。ベアトリスだ。

 動揺を感じ取ったか聖下は続いて尋ねた。

「年が近いものね。仲がよかったのかしら? じゃあ、わたくしたちは不幸だったわね」

 わたくし、たち……? どういうことだろう。

「わたくしたちと言うのは誰のことですか」

 するりと、気がつけば問うていた。

「わたくしと貴女とあの子のことよ。死んでしまったでしょう? 出会ったことが不幸だったのよ」

 あの子は聖女になるべきではなかった――そう呟いた。

 重い後悔すら感じられる声音に、聞くなら今だと思った。

「なぜベアトリスは死んでしまったのですか」

 声は掠れてしまったけれど、訊けた。

 問いに、聖下の様子が一変する。呼吸が荒くなり、狂気さえ感じさせる笑い声が響いた。

 やがて、楽しげに囁く。


「わたくしが食べてしまったからよ」


 そうしてわたしの肩を強く掴んだ。

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