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大聖堂は深夜にも閉まらないが、懺悔の間に聖女が詰めているのは門限と同じ午後六時まで。人が列をなしているだろうから、実際に言葉をかけるにはそれよりだいぶ早く並ぶ必要がある。
だが。
これじゃあ時間までに辿り着けないな……。
日が傾いて来ている。もうすぐ、鐘が鳴る時刻だろう。
荘厳な大聖堂は丘の上にあるので下町からでも見える。しかし近付けば遠くでは見えなかった人、人、人。何十人と並んでおり、その大部分は旅装に身を包んでいる。遠方から聖女に言葉をかけてもらいに、嘆きを悔いを昇華しに来ているのだ。
早々に諦め、引き返そうとした。
大体、何と言うつもりだったのだ。こんな男を知っていますか。それで? その聖女が知らなかったら、知っている聖女に当たるまで通うつもりか? ペトルスが毎日のように通っていたなら、言葉は懺悔ではなかったかも知れない。そんな人物は追い返される。現に明らかに街の人間だろう男が、内容を問い質されてしどろもどろになり列から追い出されていた。ペトルスならうまく言い抜けていたかも知れない――ここは騎士に尋ねるべきかも知れない。
踵を返し近くにいた槍を手に持ち立つ騎士に声をかけた。
「すみません」
いかめしい顔がうさん臭そうにこちらを見やり、なんだと応えた。
「ひと月前までよく並んでいた、背が高くて金髪で、青い眼をしたペトルスという名の男を探しているんですが、知りませんか」
ふん、と鼻息を吹き出し騎士は切り捨てた。
「知らんな」
「そうですか」
他の騎士にも繰り返したが、取り付く島もないどころか不審人物扱いされた。フードを深くかぶっていたからだが。
取れ! と言われて引き下がったのがいけなかったらしい。
無理やり引き剥がされて、顔が白日の下に晒される。
騎士の顔が驚愕で満ちる。
「こいつ……狼か!」
騒ぎを聞き付けて他の騎士達がやってくる。
ローブを掴む手に再び力がこもる前に急いで引き抜き、男がアッという間もなく駆け出した。前方の騎士には聞こえていなかったのか、何もすることなくおれを見送った。 反射的に逃げ出したが、これで聖女に近付く手段を失った。……狼族が何だというのだ。もしかして、逃げない方がよかった? しかし、残れば異教徒として何をされたか分かったものではない。何より、狼とののしるように叫んだ理由が知れない。そんなに悪い事をしていたのだろうか、翠の民狼族は。
◇
一晩中考えた結果、腹をくくって大聖堂の行列に並ぶことにした。
いつもより早く目が覚めた。もちろん今日も夢を見た。そして変化していた。
花畑は何に置き換えられるのか? 火にかけられた人間から何が連想できる? ――火葬だろうか、火刑だろうか。
夢の中でおれに近付いて来る、九本の尾を持った白い狐は笑った。そうして高く鳴いた。
パン屋のグラムさんには、朝食を買いに向かった際大聖堂に行ってきますと告げた。すると泡を食った様子でクローマ教徒じゃないよな? と確認するように返してきたので首肯した。
「異教徒は追い返されるんだ。教典では区別なく愛するとか書かれてるけどな」
「修道騎士によってですか?」
嘆かわしげにグラムさんは言った。
「そうだ」
それならば。
「じゃあ、クローマ教徒になります」
「はあ!?」
大声をあげた為に店内にいた客がこちらを振り向いた。
「いや、これはどうも。すみません」
グラムさんはにこにこと笑顔で言いつくろった。客は毒気を抜かれたように視線をそらし、パン選びに戻る。
「教典は覚えてるんで。何とかなるでしょう」
部屋のうずたかく積まれた書物の中に、クローマ教典があったのだ。奇跡と弟子による伝承が興味深かった。
「何をしに行くつもりだ? ペトルスを探してたんだろう」
「その延長線上ですよ。それと、聖女に会う方法、知りませんか」
「聖女様、な。大聖堂には出てこねえ。出て来るとしたら併設されてる孤児院だが……一般人は入れねえぞ」
「そうですか。ありがとうございます」
それじゃあ、また。手を振って正面玄関に走り出した後に振り替えれば、追いかけそうになったグラムさんを呼び止める客にハッとした様子で応対していた。
◇
行列に並ぼうとした所を男に呼び止められた。
「フードを取れ」
大人しく取ってみて相手をよくよく見てみれば、長身で体格の良い鷲鼻の中年の騎士――昨日狼だと叫んだ男だということに気がついた。
「今日は逃げないんだな」
「聖女様と騎士さん達に用事がありますんで」
男は槍の柄を両手でぎゅうと握り締めながら謝った。
「昨日はすまなかった。いきなり叫んだりして……あんた、狼族の生き残りなんだろう」
生き残り、ということは焼き討ちを知っていることになる。
「俺は当時、アークライト枢機卿の旗下にいた。そこに命令が下ったんだ。暗殺者狼族を皆殺しにしろと」 ひそめた声で、思い詰めた様子の騎士は言う。
「暗殺者……?」
「その年じゃあ知らないのも当然か。当時枢機卿の間で暗殺が流行ってたんだよ。お互いの子供を殺したりな。その仕事を請け負ってたのがあんたら狼族だったんだ」
一気に話しため息を吐く。
「狼族が住む森の所有権についてももめてたらしい。で、繰り返さないようにと枢機卿で手を結んで焼き討ちにしたわけだ。勝手な話だがな……すべて後で分かったことさ。当時は暗殺者一族を殺すことしか頭になかった」
耳元で心臓がドクドクと脈打っている。指先の感覚がない。畜生、別件で来たってのに予期せずして大きいのが釣れてしまった。師匠が話さなかった、答え。
「手を結んだ枢機卿の名は?」
振り絞った声に、男が呟きを返した。
「アークライト枢機卿、ベイン枢機卿、オルコット枢機卿だ」
どこか晴れやかな表情で男が去っていく。己の澱みをぶちまけたかっただけなのか?