25
関節が軋む。腰が痛む。すぐ息があがる。
それらが老化現象のなすものだと気がついた夜、一人の聖女を抱きしめ力を奪おうとして――何も起こらなかった。
呆然とした。突然力を失う? そんなことがあってたまるか!
そして翌朝、聖女が私の顔を見ようとはしなかった。……何が起きた?
痛む身体をおしてチェストから手鏡を取り出す。そこに映ったのは。
――皺だらけの老婆だった。
思わず悲鳴をあげたがその声もかすれていた。
手鏡を取り落とし、しかし拾わぬままベッドに腰掛ける。
私は、どうしてしまったの。どうなってしまうの。
そして横になり、天井を見上げる――不意に、頭に胸に腹に四肢に激痛が走った。
あまりの痛みに声も出せない。
頭の中に死がよぎる。
誰か……誰か。助けて!
鈴を鳴らそうとして、しかしこの姿を見られることにちらりと忌避感が覗いた。
そうして苦しみ抜いた身体から、命が抜けていった。
◇
その知らせを聞いた時、おれの身に衝撃が走った。
ついで後悔と……安堵。出来るならこの手で殺したかったという心残りと、もう教皇のせいで悲しむ人間が出なくて良かった、という安心感が胸のところでないまぜになっている。
騎士クラレンスの指示で、今まで養ってきた剣術を軸に他の従騎士達とは別のメニューをこなしていく。といっても訓練場所は隣り合っており交流はあった。
修練の間は振り払えていた感情が、ふとした時間に首を出す。
それを追い出そうとして、すぐ側にある井戸に行き頭から水をかぶった。
その様子に驚いたのか、よく言葉を交わす従騎士のメイルが走り寄ってきた。
「今日はどうしたんだ? 暑いけどそうじゃないだろ?」
「そんなにおれおかしかったか?」
「何ていうかさ、何かを振り払おうとしてるような感じだぞ」
メイルが鋭いのかおれが分かりやすいのかは判然としない。
心配を宿す薄茶色の眼と、汗で額に張り付いた短い同色の髪。中肉中背でおれより一つ年上の兄貴分は、おれの肩を叩いて言った。
「話があるなら聞くぞ」
「いや、これはおれの問題だから……すまない」
教皇に恨みを抱いていたなど、そう気軽に口に出来るものではない。
頭を下げると、ずぶぬれになったおれの頭に手のひらを乗せて軽く笑った。
「そろそろ走り込みだな。行くぞ」
「おう」
おれはメイルだけでなく、その紹介にあずかった従騎士とはこちらからも話すようにしていた。
いざとなった時、メイル一人が人質に取られることのないように。
従騎士カークと並び立ち、おれは笑いながら話しかけた。
「今日、おれ何か変だったか?」
◇
その議場には囁きが波打っていた。
曰く、
教皇にふさわしいのはベイン枢機卿だ。
いやいや、アークライト枢機卿だ。
オルコット枢機卿は?
最近噂される前教皇聖下と同じ力を持つ少女は?
囁きの中で、笑みを浮かべた生気ある老人、オルコット枢機卿が挙手した。
「ひとつ、申し上げたいことがあります」
皆の視線が老人に集まる。
「前教皇聖下と同じ力を持つという少女、確かにそうではありますが、経歴に問題があり、私としてはお薦めできません」
それはいかなることか。
「申し上げますと、娼婦だったのです」
なんと。それは真であろうか。
「然り。私の一意見としましては、善政を敷き流民の改宗に長年成果をあげられている、ベイン枢機卿がよろしいかと」
それならば。そうであるな。
アークライト枢機卿も頷かれている。
満場一致でベイン枢機卿に決まった。
その立役者オルコット枢機卿の胸中には、一人の少年が喘ぎに喘ぐ妄想がよぎっていた。
◇
思い返せば、奥様はわたしとネイさんのことを鎖だと言った。
どうしたら、鎖ではなくなれるだろう?
オベリアさんが辞め、ひとりになった部屋で枕を抱きしめ考える。
素敵なドレスと共に去っていったオベリアさんは、とても幸せそうな顔をしていた。
迎えに来た愛する人の頬に口付けて、馬車にふたり乗り込んで。
……わたしも、シア君とああなりたいなあと思った。
シア君には思いを告げていないけれど。
鎖。それはそこに情があるから成り立つ。
わたしが思うほどでなくても、シア君も何らかの気持ちを抱いてくれている。それは彼の優しさゆえかも知れないけれど。
……シア君が嫌ってくれれば、鎖ではなくなる?
それは、哀しいことだ。
ギュッと胸が苦しくなる。
できればそんなことはしたくないのがわたしの本音。
明日、ネイさんに相談してみようか。
体温の移った枕は人を抱いている感じがして、何だか熱いものがお腹の奥で渦巻いた。
◇
衝撃で頭の中が真っ白になった。
やわらかな語り口のネイさんは、苦悩をにじませながら話した。
「君を次期教皇にしない為に、シアがオルコット卿に頼み込んだ。鳩が届いたよ。次はベイン枢機卿が教皇だと」