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仕事を覚え上達しこなしているうちに次のお休みがやってきた。
白い花の刺繍が施された青色のワンピースに、オベリアさんのお下がりの紺色のローブを羽織り街へ出る。
この間、聖下と同じような力をまばらだったとはいえ人前でさらしてしまったことに不安を覚えつつ、歩いていく。
念のためフードをかぶっている。
シア君から返事は届いていた。
けれども休みが合わないので、お互いの空き時間に訪ねることになった。夜に。
どこで夜這いという言葉を聞いたのかオベリアさんに訊かれて、アルバート様と答えるとオベリアさんは額を押さえてしまった。
ちなみにネイさんとは昼に会う予定だ。
どんな話をしたらいいだろうか?
人にぶつからないように。それだけを頭の隅におき、色んなことをぼんやりと考えているうちにいつの間にか知らない路地にいた。
どこまでも白い壁が続いている。
ここはどこだろう? 上から見たときは入り組んでいなかったから、真っ直ぐに進んで行けば大通りに戻れるだろうと踵を返した、そのとき。
「おっと……お嬢ちゃん、どっかのご令嬢かな?」
目の前の角から現れた、体格のいい男性がひとり。
「違います」
「違わねえな。においがするんだよ」
服は仕舞い込んでいたとはいえ綺麗に洗われたもので、昨日身体も洗っている。体臭ではないだろう。
「にじみ出るもんなんだよ」
不意に男が近付き、わたしのフードを取り払った。
「可愛いお嬢様じゃねえか」
どんどん確かなものにされていくご令嬢という名札に、否定するべく言った。
「違います! わたしはオルコット猊下の奥様の侍女です!」
男がニヤリと笑った。
「聞いたか? やっぱそうじゃねえか。お嬢様!」
足音に振り返れば路地の奥から出て来る男達。
わたしの頭の上で飛び交う言葉たちに助けを求め叫ぼうとした瞬間、衝撃に身体が浮いた。
お腹を蹴られたんだ。
認識した瞬間、痛みが襲ってくる。
ついで口に布をあてがわれ、地面に押し倒され後ろ手にしばられそうになり強い恐怖を感じた。
――離して!
男と接している場所から何かが流れ込んでくる。
胸の中で熱いものがぐるぐると回った。
フッ、とわたしを押さえ込もうとしていた力がかき消える。
それと同時に辺りが静まりかえる。
「おい……」
「今の……」
風が舞い、灰を巻き上げた。
……灰?
男達が叫びながら走り去っていく。
最後に一人だけ残った男が呟いて去った。
「きょ……教皇と同じだ」
ゆっくりと身体を起こす。背中に手をやると、灰が手のひらについた。
聖下と……同じ?
灰を握り締める。
唇のいましめを解き、しばし呆然とした。
ならばさっきの何かとは。
いのち。……命?
叫びたい衝動にかられ、しかしこみ上げてくるものは。
涙だった。
恐怖が襲いかかってくる。
それは取り押さえられたときに感じたものと、自分のしでかしたことへの恐ろしさと。
なぜ彼らはわたしをさらおうとした?
お金がいるからだ。
なぜお金がいる?
生きるため、もしかしたら家族と共に。ともに……。
抱き締められるまで、わたしはクレアさんに気がつかなかった。
◇
ごめんなさい。クレアさんは落ち着いたわたしにそう言った。
フィネットさんとメイド頭の方の考えで、同じ年のクレアさんと休日が一緒になるよう組まれていたのだという。
そして、街に出るようなら同伴するよう言い含められていた、と。
しかし、先日会ったとき、そして力が現れたときに嫉妬を覚え、今日、路地に入るわたしを止めなかったのだと。
ごめんなさい。繰り返し言うクレアさんに、考え事をしていたわたしが悪いのだと言った。
それに、危機感の無かったわたしでは、いつかは起きていたことだろうとも。
そう言うと、クレアさんはわっと泣き出してしまった。
◇
ネイさんは部屋にいなかった。
あの後泣くクレアさんをなだめて一緒にお屋敷に戻り、昼食を皆で取り今にいたる。
話を聞くというより、聞いてほしい心持ちになっていた。
思い出すと……手の震えを身体を抱き締めることで抑えていると、聞き覚えのある声がかかった。
「ああ、ごめん……大丈夫かい?」
「はい」
そして、後ろに向かって言った。後ろには……騎士の方がいた。
「この娘と話す約束があったんだ。行こうか、本当に大丈夫?」
頷きながら、部屋にお邪魔する。
ソファに腰を下ろし、自分の手のひらを見つめる。
一人分の間をあけてネイさんも座る。
「話せばいい。楽になるよ」
予定とは違う展開に、しかし安堵しながらぽつり、ぽつりと、相づちのままに、最後にはとめどなく語っていた。
「教皇と同じ力か……」
ネイさんの呟きに、違うところが恐怖を感じた。
「シア君が知ったら……わたしを嫌うでしょうか」
ネイさんは身を乗り出してわたしの頭にポンと手を置き、破顔した。
「それはないよ。心配なら今日にでも話すといい。今日はあいつ、早いから」
ひとまず安心する。
「わかりました。ありがとうございます」
◇
夕食後、果たしてシア君は――いた。
緊張に汗で滑る手でドアを開ける。
部屋の中は闇だった。シア君が獣蝋に火をともす。
ソファに間を空けて座る。
「夕食は終わりましたか」
「終わった。それで師匠から聞いたけど……話って何?」
手を握り込む。顔をシア君に向ける。どんな表情も見逃さないために。
「わたしに、教皇聖下と同じ力が現れました」
「……本当か」
頷くことで答える。シア君の眼に現れたのは恐れていた侮蔑や怯えではなく、いたわりだった。
眼の奥が熱くなる。
「おれにも、聞くことはできる。辛いことがあれば話してくれ。それに、強くなって、アメリアを守るから」
「ありがとう、ございます……わたしにも、話してくださいね。あなたのことを」
涙を流さないためにうつむき、きつく閉じた瞼に、カサついた指が触れる。
「隠さないでくれ」
眼を開ければ間近にシア君の顔があった。
まばたくに連れ涙は流れていく。
指が、それをぬぐっていく。
しばらくの間、そうしていた。