20
今日からわたしは、侍女になる。
侍女頭であるフィネットさんが、緊張で鐘の音よりも早く眼が覚めたわたしを迎えに来た。名前しか知らない。どんな方だろう……とドアを開けると、茶髪を丸く結い上げ理知的な茶色の瞳が印象に残る長身の女性が立っていた。年は四、五十くらいだろうか。年齢は違うけれど、何となくブライス様を思い出す。
「まずこれを着て。サイズは合うかしら……髪はまとめて。リボンはこれ。朝食の時間が決まっているから、早くね」
はい、と返事し受け取ったのは紺色でくるぶし丈のドレス。ついで肩口で切りそろえた金髪を同じ色のリボンで何とか結う。
ドアを開けると、足下から頭の後ろまで確かめて、よし、とフィネットさんが頷く気配がした。
「それではまず朝食をとります。そこで貴女の紹介もするわ」
返事をし、昨日シア君やネイさんと考えた設定を思い返す。
アメリア・オールディス。リカーナ地方出身で、家族は知らない。教会に預けられ生活を送っていたところ、シア君達に出会い都へ巡礼の旅に出る。そこで犯罪人と間違われクラレンス騎士方に連れられて来たところ、この度オルコット卿のお眼にかない、侍女としてここにとどまることになった。
前半は本当で、シア君に出会うところからは嘘だ。
オルコット卿や騎士方にはネイさんが掛け合ってくれる。
アメリアという名前には馴染んできていると思うけれど、用心しなければ。
朝食の席。フィネットさんがドアを開けると一斉に大勢の視線を感じる――ことはなく、無関心を装うように、ちらりちらりと散発的に感じた。
部屋の上座まで行くと、フィネットさんがわたしを促した。
「アメリア・オールディスです。リカーナ地方から来ました。いたらないところが多々あるかと思いますが、よろしくお願いします」
「皆さんもよろしくお願いしますね」
はい、とそこここから返ってくる。
味気ない紹介かも知れないけれど、うまく言えたとホッと胸を撫で下ろす。
空いている席に呼ばれ、座ると共に食前の祈りを捧げた。
周りは他の侍女方だった。
オベリアさん、ニコラさん……二人だ。オベリアさんがこの度結婚することになり辞めるので、その後をわたしが引き継ぐかたちになる。
笑顔でよろしくね、と言われたので、緊張をしながらも笑ってよろしくお願いしますと言った。
「緊張しなくていいわよ。猊下や奥様やお客様の前じゃないんだし」
黒髪を首の後ろで結ったオベリアさんが言う。ちなみに年の頃は二十代後半だろうか。
「私たち大層な人間じゃないんだから。もしかして人見知りするほう?」
「……はい」
シア君に短期間で打ち解けられたのは奇跡に近い。なぜだろうと考えて、口づけまで思い出してしまった。
「あ。赤くなった。可愛いー!」
「ニコラ、口を他のことで動かしなさい」
たしなめ、フィネットさんがわたしの隣りに腰を下ろす。
頬をふくらませるニコラさんは、二十代前半だろうか。金髪を高く結い、活発そうな金色の眼が瞬く。
それからは急いで食事をした。
野菜スープに堅焼きパンを浸して食べる。一人ひとつ、ゆで卵まであった。
お腹いっぱいだ。ちゃんと働けるかな……。
食事のあとは早速仕事を教わる。オベリアさんについてまわる。
奥様を起こしに行く。厨房で茶器と茶葉、湯をもらい、お盆にのせ正面玄関から見て東にある二階の居室へと向かう。白い壁に板の床は変わらない。
オベリアさんが柔らかくドアを叩いた。
「奥様。紅茶をお持ちしました」
もちろん了承の声はない。
ドアを開けてまず眼に入ったのは青い絨毯。長年使い込まれて、しかしピカピカに光を放つ調度品の数々。ひとつある窓から入り込む朝日。入って左奥にあるベッド。
オベリアさんはベッド脇の小さなテーブルにお盆を置くと、奥様の肩を弱く揺すった。
「奥様。朝です」
ゆるりと、青い瞳が見え隠れする。
「朝……」
オベリアさんが紅茶をいれる。
ようよう起き上がった奥様の手にしっかりとカップの持ち手を持たせる。
湯気立つカップの中身をゆっくりと飲む奥様の顔が、だんだんはっきりしてくる。
お年は四十くらいだろうか。奥様は濃茶色の艶ある長い髪を肩に背に垂らし、切れ長の青い眼がぱちりと瞬いた。
不意に奥様が立上がり、頃合を見計らってか部屋のドアが叩かれる。
「奥様。ニコラです。衣服をお持ちしました」
「入りなさい」
「失礼致します」
ニコラさんは片手に何着かのドレスを、もう片方に見慣れない手提げの箱を持っていた。
わたしはオベリアさんに肩を軽く叩かれて目配せに従い茶器と盆を手に退室する。
一礼し、
「失礼致しました」
オベリアさんが開けてくれたドアから出る。
「さぁ、今日はドレスを繕うわよ。ニコラは朝食までに奥様の着替えと化粧をするの。といってもあまり化粧がお好きな方ではないから、髪を結って紅をひくくらいだけれど」
「朝食はどこでなさるんですか」
「食堂よ。猊下とアルバート様と」
「アルバート様?」
「ええ。ご子息よ。温厚な方だけれど……気をつけてね」
立ち止まったオベリアさんがこちらへ振り向き、氷のような青色の瞳をわずかに困惑と恐れと疑いとににじませて言った。
「……何にですか?」
「噂があるのよ。アルバート様と見つめあった者は死ぬ……なんて、本当かどうかは分からないけれど、万が一本当だったら困るから教えておくわね」
ついで、笑って肩を叩かれた。
「怖がらせちゃったかな。仕方がないよね。でも関わることはそんなにないし大丈夫大丈夫!」
「……はい。ありがとうございます」
それからは衣装部屋に行き、昼までドレスを繕った。
縫う腕をほめられたりしながら、他の仕事についても話を聞いた。
あとは話し相手になったり、めったにないことだけれど買い物や旅行にお供したりするのが仕事であり侍女の特権であるという。
だから、召使たちの羨望の的である仕事らしい。
「そんな仕事を、突然現れたわたしが請け負っていいんでしょうか……」
思わず疑問混じりの不安をもらしてしまった。
「いいのよ。縁あってのことなんだから。大丈夫」
「肩の力抜いて、頑張ってね」
オベリアさんは微笑んで口にした。