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 何か? と問い掛ける前に老人は気付き、努めて柔和な顔に戻った。

「さあ始まるぞ、きみも見なさい」


 生誕祭は街の至る場所からパン、という破裂音と共に花びらが吹き上げられる所から始まる。なだらかな丘になった都全体のうち、上層にある大聖堂や修道院を始め、枢機卿の屋敷が並ぶ修道街を抜け、一般民の生活する街区にまで、聖女を擁するパレードは下りて来る、という。ペトルスによる。

 眼下に広がる街は人、人、人と人ばかりだ。あの中にいたら、きっと人込みにもまれて気分でも悪くしていたに違いない。何せ自分は成長途中で恵まれた体格とはいえないのだ。

 グラムさんと、この布屋さんに感謝だな。 先程の表情が気になってはいたが、今聞いてもごまかされてしまうだけのような気がした。


「エレイン様ー!」

「ご生誕おめでとうございます!」


 そこここの人の感情を巻き込み、歓声が近付いてくる。

 二頭立ての馬車は天井部分がテラスになっており、間近に控える騎士らしき男達の中央に――いた。光の下に白くゆったりしたローブと肩の上で切り揃えた淡い金髪をきらめかせ、満面の笑みで衆人に手を振る十六の少女。

 あれが聖女エレインか。聖女と聞いて、今にも倒れそうな風情の少女かと思っていたが、"ただの"少女だった。しかしどこか清浄な気品のようなものが、間近にして感じられた。

 不意に聖女が視線を上にやった。

――ぶつかる瞳と瞳。

 少女は一瞬驚いた様子を見せたが、すぐにこりと笑みを浮かべた。

 どきり、と胸が高鳴った。



 どこかぼんやりしていたのだろう、心配そうに、夫人に声をかけられて我に返った。


「ごめんなさいね、やっぱりフード、外したのはまずかったかしら」


 パレードは街区の大通りを引き返し、大聖堂へと戻っていったが、もう目が合うことはなかった。少し残念に思う自分に気付き、すぐにペトルスの言葉を思い出して腹が立った。

『笑顔にドッキュンされんなよ!』

 非常に苛々するが言葉通りになってしまった。


「ペトルスの奴……」

 思わず呟くと、その名前に夫人が反応した。


「ペトルス? ペトルスを知っているの?」

「……傭兵のペトルスなら」


 お知り合いですか、と訊こうとして、目の前の夫人とペトルスの目許が似ていることに気がついた。今まで気がつかなかったのは、夫人がずっと穏やかに笑んでいたせいだろう。ペトルスの笑顔といえば、女を話すときのだらしない顔が定番になっている。まれにニカッと無邪気な笑顔も見せるのだが。

 そこへ聞き付けた布屋主人が横やりを入れた。


「どこで知り合ったのかね」

「長屋で一緒に暮らしてます。もしかして、」

布屋主人は渋い顔をして言った。

「そうだよ。彼は私たちの息子だ」



 昼食はどうするのかね、と尋ねられて、家族の団欒を邪魔するのは申し訳ないと断ろうとしたが、夫人がぜひにと言うのでお相伴することにした。若夫婦は店番をしている。子供も向こうにいた。さて話題はもっぱらペトルスのことになるのかと思ったら、老夫婦は何も話さず黙々と食べるばかりで、おれもそうすることにした。話し好きなペトルスが食事中にほとんど話さないのは、身についた生活習慣だったのかと一人納得する。

 献立は野菜と肉がたっぷり入ったスープとチーズ、パンで、大変美味しかった。老婦人に笑顔でスープのおかわりを何度も勧められ、断り切れずに三杯も食べてしまった。若夫婦の分は残っているというが、大丈夫だろうか……。

 食事が終わった頃、ナプキンで口を拭きながら布屋主人――改めカジミールさんが静かに話し始めた。ペトルスは老夫婦の実の息子であること。十年前、傭兵になると言ったペトルスを勘当したこと。風の便りで剣の師につき、何とか仕事をしていると知ったこと。下町で貸家に住んでいると知っていること。店番をしているとたまに、店の前を通り掛かること……それでも口をきかないこと。

 最後の方になると、カジミールさんは目を潤ませて何とか言葉を口にしていた。その組まれた手をカジミールさんの斜向かいに座る夫人――オレリーさんが右手で包み込んだ。夫婦で手を組み合い、一粒零れた涙を拭いながら老主人は言った。いきなりこんな話を聞かせてすまなかったね、と。全く迷惑に思ってない旨を話すと、カジミールさんはまた、すまないと言った。

 さてペトルスに話そうか迷ったが、心配をかけているのだと、店に顔を出すきっかけになればいいと思った。


 しかし、ひと月が経っても、ペトルスは帰って来なかった。

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