19
師匠は一見、変わらないように見えた。しかしおれの姿を確認すると、すまないと一言謝った。アメリアは途中の部屋で待機している。
何故謝るのか訊くと、俺がオルコットの元にいると聞かされてここまで来たんだろうと言う。
確かにそうで、力ある騎士という強制の元にいたわけだが、おれはそれには触れなかった。
「おれは目的があってここに来たんだ。師匠、新たに剣の師を得ていい? 修行がしたいんだ」
「……ああ、ああ。いいとも」
「師匠は師匠だから」
「分かってる」
やっと微笑んで、そして言った。話したいことがある。それならおれも話したいと言うと、ソファに深く腰掛けていた背中を正し、対面に座るおれに真摯な眼を向けた。
「まず、言う。オルコット卿は男色を好む。これからお前も会うだろう」
頭の中に閃くものがあった。
「それで、大枚の金貨を得ていた?」
師匠はひとつ嚥下して、頷いた。そしておれが何か言う前に強い口調で言った。
「それとな、村を襲ったのはオルコット、アークライト、ベインだ。そして、六年前俺はお前と共にオルコットに捕まり」
おれは熱い情動のままに言った。
「――おれのせいで師匠が身体を売ったんだろう?」
「そうじゃない。俺一人だとしても、生き延びる為には必要だった。捕まったんだからな」
「おれは……何も知らずに」
「訊くお前に言わなかったのは俺だ」
視界が潤みにぼやけ、もれそうになる嗚咽を飲み下した。泣いたって、何も変わらない。師匠が困るだけだ。
訊きたかったことは聞けた。次にすべきことは?
「おれ……都には帰れない。ここまで聖女と一緒に来たんだ。それに……教皇庁にも、罠だったけど侵入した……狼にも化けた」
眼を袖で拭う。
師匠は告白に絶句した様子でしばし間が空いた。
「無事で何よりだ……それはオルコット卿は知っているか?」
「聖女は偽名を名乗ってる。狼は……教皇やその配下が話せば伝わると思う」
「ということは教皇に会ったのか」
「会った。知ってるだろ、ペトルスが行方不明になって……調べて辿り着いた。六年前、命令したのは教皇だった。神下ろしがいるから、だって言っていた。星詠みの婆ちゃんを殺すことが目的だったんだ」
師匠は嘆息した。
「婆さんが目的なのは知っていたが……」
しばらく天を仰ぐと、当面の問題はと前置きした。
「お前の身柄だ。恐らくオルコット卿に気に入られるだろう」
おれと同じ緑の眼をまばたかせる。
「これは耐えるしかない。昔は女の愛人もいたんだが、今は俺だけだ。変な性癖はないからそれだけは安心していい」
思わずため息がもれそうになるのをこらえる。師匠は何年も応じてきたのだ。
「怖がる必要はない。俺に言えるのは……何も、ないな」
ところで、と師匠が話を変える。
「その連れてきた聖女の身柄も心配だな。オルコット卿には二十になる息子がいるんだ。そして妻がいない」
「いくつの娘なんだ?」
「十六」
「心配だな……」
後日、この師匠の不安は的中することになる。
◇
夕食後。騎士に連れられて、おれはとある扉の前にいた。
枷はとっくのうちに外されている。
師匠とアメリアという枷があるからだろう。
おれはクラレンスの言葉を思い返した。
騎士が扉を叩く。
「連れて参りました」
「入りなさい」
聞こえたのはしわがれた声。
騎士と共に入室したのは色あせた赤い絨毯の敷かれた部屋。獣蝋の独特のにおい。調度品は闇に落ちてよく見えない。ひとつある窓の先に大きなベッドがある。
ソファに座る老人は騎士に控えろと言うと、おれを手招いた。
「来なさい」
唾を飲み、ソファの数歩前まで行く。
老人はゆったりした寝衣を着ており、短髪で、闇色に見える眼がおれを捉えている。
「座りなさい」
隣りかとソファを見やると、張りのある手で傍らを示した。
意を決し座ると、燭台をおれの顔に近付けもう片方の手でおれの顎にそえた。
ほう……と老人が息を吐く。
そして確かめるように顎から首へ、首から肩へと手を滑らせる。
肌が泡立った。
しばらくおれの顔を見て、それから眼を閉じ言った。
「合格だ。今日は下がりなさい」
合格しても嬉しくも何ともない。おれはさっさと立ち上がり、騎士の後について部屋を後にした。
◇
おれ達はそれぞれの部屋を与えられ、客分となっている。部屋の前には騎士が控えているが。
おれがオルコット卿の眼にかなってから数日後、騎士イーノス――兄クラレンスと瓜二つだ――が唐突に告げた。
「騎士になりませんか、シア君。アメリアさんは侍女です」
おれ達を場所に組み込むつもりか。
しかし、
「クラレンスさんは師匠になってくれますか」
誘惑には抗いがたかった。
イーノスは青灰色の眼を瞬かせて、笑った。
「ええ。兄からも聞いていますよ」
師匠と目配せする。師匠は眼で了承した。
「じゃあ、騎士になります」
「アメリアさんはどうしますか」
「侍女に、なります」
緊張した面持ちで言うと、確かに頷いた。
憎しみは心の奥底で燃え続けている。
オルコット卿は枢機卿会議に出向いているという。
うまく行けば――これは好機だと思った。