薫花と少年
旅路は北西へ遡上する。クローマ教国の中央に位置する都エルフィディアを出ると、一路オルコット領都ハルディスへ向かう。
捕らわれていること以外、旅路は良好なものだった。おれ達も枷を見せることで難なく門を通過出来たし、ほぼ屋根のついたところで眠り三食きちんと摂れた。
騎士達は皆ざっくばらんに話し、隊長であるクラレンス・カワードを始め同僚の仲も良好なようだった。
囚われて開口一番にクラレンスは言った。君の師匠であるネイもオルコットの掌中にある、と。
六日程前に弟であるイーノスが師匠を捕縛し、ハルディスへ護送中だという。
何故おれ達は捕らわれたのか問うも、返答はなかった。
都から救い出す為ではないだろう。ならば、師匠に対する人質か。
そして、
「君は特に強さに憧れているようだね」
と笑みを含んで言った。何故と問うと、騎士クラレンスが肩慣らしに剣を振るっているのを見るおれの眼が、輝いているのだという。
顔に血が昇っていくのが分かる。
しかし、
ハルディスに着いたら剣の稽古をつけてあげようか、とありがたい申し出に、
一も二もなく飛び付いた。
「何故力を求めるのか、訊いてもいいかい?」
「おれの周りの人を、手が届く限り守りたいからです」
澱みなく答えると、騎士は人の輪から少し離れたところにいる少女を見やり、なるほどねと呟いた。
それにまた顔が熱くなる。
「守るものは必要だよ。時に枷になるかも知れないけどね」
そう言い捨て、出発だと告げた。
昼の小休憩に止まった際、おれは少女に、疑問に思っていたことを問うた。
「何故元に戻る方法が分かったんだ?」
「それは、昔読んだ絵本に書いてあったんです。それが、教会にあった一点物の本で……旅の方が置いていったそうなんですけど」
そう前置きし、
「追われて森に入り迷い込んだ貴族の少女が、悪い動物達に騙されて身ぐるみをはがされたところを大きな狼に助けられて、少女が何もお返しできないと言うと……」
「言うと?」
「く、口づけがほしいと狼が言って、そうして人間に戻ったんです」
少女は話したが、話す内に顔が赤くなっていくのだった。
毛皮に阻まれてこちらには実感がないとはいえ、口付けをしたのだ。そのことを改めて認識し、少女の熱が移ったかのようにおれの頬も火照った。
「……一点物の絵本か。たぶんそれは実体験を織り交ぜて書いてる」
早く熱が冷めるように話題を探す。
少女が青い眼をしばたたかせてこちらを見た。
「おれ、その旅人を見たことはないけど……大人達が外の人間を歓待してたことがあった。あとで物語を書いたり、絵を描くのを生業にしてる人だって聞いたんだ」
「じゃあ、その旅人さんかも知れませんね」
顔を見合わせ、笑い合う。
「だから、狼に優しくされたってのは本当だと思う……おれの部族は、狼をあがめてるから」
「ふふっ。少女が狼と出会うのも本当だったらいいなぁ、と思います」
その言葉の意味するところに気がついて、お互いに赤面しながら笑ったのは秘密だ。
あ、騎士クラレンスはともかく、他の騎士には見られてるか。
この日を境に、アメリアとの時間を増やした。
それは胸に疼く、熱を持った感情に促されてのことだった。
◇
オルコット領都ハルディス。都エルフィディアに比べると――どうだろう。鳥のように空からは見たことがないが、壮麗さは勝るのではないだろうか。見たところ、家屋は統一され、これと分かる貧民街がないようだから。中央に一本大通りがあるのはエルフィディアと同じだが、入り組んだ路地はない。北側のなだらかな丘の上にあるのが館、平野部に市街がある。
おれ達は都壁の外、木々に覆われた高い丘の上から町並みを見ていた。
クラレンスはこちらを振り向いて囁くように言った。無表情だった。
「さて、ここがハルディス。我々の本拠地だ。君のお師匠さんは先に着いている。君の行動如何によってはお師匠さんと……アメリアさんの立場が悪くなる。それは分かっているね」
「はい」
「では行こうか」
丘をくだり街を歩く。
そうだ、いくら好意的に見えても命令で行動する人間だ。完全な味方とはなり得ないのだと改めて認識する。
クラレンス様ー!
そう娘が呼び掛ける声に、にこやかに応対する。茶髪に青灰色の眼、長身でがっしりした体格の美丈夫は、市民に愛されているようだ。
アメリアはというと、フードを深く被っているのでどんな顔をしているかは分からなかった。しかし枷のつけられた手を前に、わずかに俯いているように見える。
おれは努めて前を向き歩いた。
◇
館に着く。市壁よりは低い壁に包まれた、堅牢な造りの館は建物も敷地も大きかった。大聖堂と……どうだろう。漆喰と木造の箇所があり、これといった装飾は無かった。
「お疲れ様です、クラレンス様」
門を過ぎ、出迎えたのは一人の騎士だった。
「ご苦労様。猊下は?」
「今は政務中です。伝言がありまして、先に師弟を会わせよと」
「どこの部屋だ?」
「西側二階の奥の部屋です」
「分かった。ありがとう」
師匠。さて、どんな姿でいるだろうか。元気だろうか。 騎士が労をねぎらい、正面玄関から入る。
と、ここで殺気を感じた。その先を見ると、一人の女性が立っていた。焦げ茶色の髪をひとまとめにし、起伏の少ない華奢な身体を包むのは若草色のドレス。品のある小作りな顔立ちをしているが、今は厳めしさが目についた。
「クラレンス」
高圧的な呼び方だ。
「奥様」
集団そろって一礼する。
「それが新しい?」
「はい。猊下がお気に召せば」
フードを外していたのでおれを睨んでいると丸分かりだった。
それにしても新しいとは何だろう。
「もう一人いるようだけれど」
「彼女は彼の連れです」
そこで奥様の表情が変わった。どこか憐憫を含んでいる。殺気もかき消えた。
「いたわしい……お行きなさい」
「はっ。失礼致します」
前を通り過ぎる際、奥方はおれにも憐憫の情のこもった一瞥をくれた。
その意味するところは――。