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 その瞬間、全身の血が沸騰するような感覚と共に――視界が下りていった。

 手を見る。褐色の肌だ。

 重い身体をやっとのことで立ち上がらせ、礼を言う。


「ありがとう。助かった」

「とんでもないです」

 聖女は体の前で手を振る。

「とりあえず――休んでから。家に来てくれます?」

「はい」

 少女は頷いた。


 家に着くと一層の疲労感がおしよせてきた。

 家のあれこれを教えてからは気を失うように眠った。



 こんな時でも夢を見るのはは変わらないらしい。内容は変わっていたけれど。

 まず狼が湖に落ち、場面が変わり教皇と数人の誰かに狼が枯れた花を贈っている。また場面が変わり、騎士に花を抱いた狼が捕まっている。更に変わり、半獣の狼が拘束されている――。

 そのまま考えれば、後半は今の状況にすぐさま通じる夢だった。

 師匠は捕まっているがとりあえず命に別状はないらしい。また違った意味があるかもしれないが。

 そして、拘束とはいかないまでも首輪をつけられた半獣の狼、はこれまでも定期的に夢に出てきた。いずれも師匠が長く離れる前のことだ。なにがしかの拘束を受け、その見返りに金を得ていると見た方がいい。

 今まで問うてきて、その度にはぐらかされて来た。

 今回はその度合いが強まったか、また別なのかは分からない。どちらにしろ師匠が無事な方でありますように。

 花、というのは聖女のことだろうか。

 とにかく早急に脱出せねばならない。

 だがその前に。

 懐に入れた小瓶を取り出す。ご両親はともかく、若夫婦には伝えるべきだろうか。伝えてどうする? 要らぬ災いの、苦悩の種をまくのではないか? 教えてくれと言った若旦那を思い出す。

 要らぬ憎しみを抱かせはしないか。

 しばし、眼を閉じて黙考する。

 ……伝えよう。ただ、伝える方法を考えよう。

 真実を伝えず去ったとしても、その行動自体が逆に真実へと導く種となっている。

 それはおれへの信頼が元になっているけれど。

 あの騎士に伝えられた真実は、本当にどうしようもなかったけれど、長年の疑問が氷解する気持ちの良さも同時に覚えた。

 重ね置かれた本の上。物入れから二つの封筒と、数枚の紙とペン、インク壺を取り出し、手紙を書いた。

 書き終わるのを見計らったかのように、上のベッドから聖女が降りてきた。

 着替えはおれのものだが渡してある。何だかこそばゆい気もしたが、仕方がない。

 いささかだぶついた様子だが、着れてしまうところがおれの体格の悲しさよ。


「おはようございます」

「おはよう。今からおれ、パン買ってくるから」


 そう言い、剣を手に取る。


「わたし、……あ、いいです」

「なに?」

「着いていこうかな、なんて思ったんですけどさすがに怪しいですもんね」


 深くフードをかぶった人間が二人。


「……ごめん。家の中にいてくれ。すぐ戻るから」

「はい」


 外に出る。辺りにまだ人の姿は少ない。路地の中をパン屋へ急いだ。


「いらっしゃい……おう坊主」

 しめて二人分のパンを見て、グラムさんは言った。

「ペトルスの奴が帰ってきたのか!?」

「残念ながら……違います。けど人が増えたんで」

 グラムさんがにやつきながら言い放った。

「女か!? 女だろ!?」

 客が振り向いた。

「いやあ。すみませんすみません」

「否定はしませんけど……実はお願いがあります」

 声をひそめる。

「なんだ? なんだなんだ?」

「これを……おれは行けないので、アルベール布店の若旦那に渡してほしいんです。若奥さんでもいいです」


 まず手紙を取り出し、グラムさんに差し出す。


「カジミールさんとオレリーさんには渡さないんだな?」

「はい。絶対です。カジミールさんとオレリーさんには、これを」


 グラムさんは真面目な顔で手を出し受け取ると、分かったと頷いた。


「そして、もしここに若旦那か奥さんが知りたいと言って来たら、これを渡して欲しいんです」


 今度は布で包んだ小瓶と手紙を渡す。

 これも分かったと頷いて受け取った。


「行けないのがなぜかは訊かないが……すぐに出るのか?」

「え?」

「これが今生の別れみたいな顔してるぞ、坊主」


 フードは取ってないが。

 困惑の気配を感じ取ったか、グラムさんは言う。


「嘘だ。でも、もう来ないつもりなんだろ? フードを取らないところを見ると、何かやらかした。違うか?」

「……違いません」


 グラムさんは囁きながら、肥えた身体を揺すって笑った。

 そして笑いを含みながら――真剣な眼で言った。


「じゃあ、元気でな。坊主」

「はい。お元気で」


 店を出て、ひとつため息を吐く。さよならは済んだ。家に帰ろう。


 家に帰り着くと、聖女の姿がそこにあった。やっぱり、誰かがいるっていいな。そう思った自分はきっと、一人では生きられない人種だ。これまで師匠と、ペトルスと暮らしてきた。両人とも依頼で不在ということはあったけれど。成長し、孤独に慣れた今も、否孤独に慣れたからこそ、奥底では誰かを欲しているのだ。


「おかえりなさい」

「ただいま。湯を沸かすからちょっと待っててくれ」


 自分はいいが、聖女に水とパンだけというのは気が咎めた。

 そうして茶をいれる。


「おいしいです」

「よかった。ありがとう」


 しばし沈黙が降りる。パンをあらかた咀嚼した後、これからの話に入る。


「今夜ここを出る。真っ昼間の中、騎士に見つかれば終わりだ。人のままでは外へ出られないだろう。人の眼は少ない方がいい。変身して夜に出る。この家は知られているから、門が開く頃になったら宿屋へ行く。今は雨が降っているし、不審にも思われないと思う」


 そう。グラムさんのパン屋を出て路地を歩いていた時、雨が降り出してきたのだ。これは好都合だと思った。そして門が開くまで、あと数刻もないだろう。


「貴女には名前を考えていてほしい」

「名前……」

 そうして何事かを口の中で呟く。

「街中で呼ぶわけにもいかないでしょう」

「……決めました」

「は!?」

 思わず身を乗り出す。

「わたしは……アメリア・オールディス。以前懺悔に来た方達の名前から頂戴しました」

「アメリア・オールディスだな。分かった」


 そうして荷物をまとめにかかり、しばらくしたところで――扉が鳴った。


「シア君〜いますか〜?」


 その平穏さえ感じさせる間延びした口調とは裏腹に、血が凍る心地がした。

 予期していなかったわけではない。愚かにも信じていたのだ。困らせたいと言ったその言葉を。

 戸を叩く音が強くなる。

 聖女にはローブを羽織り裏口から出ていてもらう。

 窓から外を見る。騎士はマッド一人だ。警戒させない為に離れて控えているのだろうか――分からない。

 腰にある感触を確かめ、意を決して扉を開けた。


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