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 緊張した……。

 騎士を下がらせ、思わず胸を押さえる。動悸がおさまらない。

 今日の私は悪女だ。否、今日だけに限らないか。やってきたことは稀代の悪女と言われてもいいことだ。

 唇の端が吊り上がる。

 騎士達にはあくまで捕縛しろと伝えている。もし禁足地に逃げ込んだなら、深追いはするなとも。

 そうして高鳴りを抱えていると、伝令が飛び込んだ。

 巨大な狼に化けたですって!?

 眩暈を覚えて今度は頭を押さえる。

 六年前の報告にはそんなことなかったはず。隠すのも無意味だ。

 能力を持つ者……。マッドと、ギルド長と、神降ろしの巫女以外に聞いたことはなかった。

 狼になっても命令は変わらない。まず外には出ていないか確認。内にいるなら――元は人間だし、ずっと保持できるとは思えない。あくまで捕縛するように命じる。その際、多少傷つけても構わないのも最初に出した命令と変わらない。

 伝令の騎士が去っていく。

 さてと、捕まりますように。



 そのいざないは就寝前のことだった。

 エレイン様、聖下がお呼びです――。

 わたし達は糧なのだわ。ブライス様の言葉がよみがえる。

 一夜一夜のそれはいい。すぐに死ぬわけではないのだから。

 箔が必要と言われた。でも人の心を開くのに必要なのは、その一つだけではないと思う。

 市井で話を聞きたい。聖女としての肩書きを捨ててもいい。

 そう言った場合に、聖下がどのようにおっしゃるか。

 ベアトリス、わたし、もしかしたら、早いうちに天の国であなたに会うかも知れません。

 速まる鼓動に胸を押さえながら、騎士についていく。

 エレインね――入りなさい。

 その時は訪れた。こちらに来なさいと言う声に歩み寄り、ベッドの前で腰を折り頭を下げる。


「お願いがあります。わたしを聖女ではなく市井の人間にしてください」

 しばしの沈黙の後、不意に聖下が笑い出した。

「貴女、ベアトリスと、同じことを言うのね」

 笑いが収まらない聖下が、これまた不意に――飛び掛かってきた。強く抱き締められる。支え切れず倒れ込んだ。髪から強い芳香――そして何かが身体から抜けていく心地がした。

 恐れが背筋を駆け抜けた。

 聖下の腕をやっとのことで引きはがし、四つん這いになりながら離れると扉を開け廊下をひた走った。

 走って、走って辿り着いた先は知った道、大聖堂の奥、湖だった。

 追いつかれてしまう……!

 後から思えば騎士が追いつかないのは不自然なことだったが、その時は気がつかなかった。

 無我夢中で湖を迂回し、森に駆け込む。

 あまり入ったことのない森の中には闇が広がっていた。

 奥に進んでいく。今は闇よりも、追っ手の方が怖かった。

 すると――突然に何かの気配がした。

 闇の中にぼんやりと見えたのは見上げるほどに大きな身体、恐らくは白色か薄灰色か銀色の毛を持つ動物。


『何者だ』


 頭の中に直接声が響いた。それは荘厳で冷たささえ覚える少年の声だった。

 何者かも分からぬものと接しているのに、不思議と恐怖や警戒は生まれなかった。


「わたしはエレインと申します」

『エレイン……聖女か』

「はい。そうです」

『その聖女がなぜこんな時間にここにいる?』

「それは……」

 言い淀んで、しかししっかりと口にした。

「追われているからです。教皇聖下に、騎士に。質問をお返しします。あなたはなぜここにいるのですか? 隠れ住んでいたわけではないでしょう?」


 この森には鳥以外の動物がいない。巨大な生き物が住むにはお腹も満たされないだろうし、適さない土地だろう。


『おれも、騎士に追われている。そのままここを出てもよかったが、森の懐かしい匂いがしたし、なぜかここにいなければならないような気がしてここにいた』

「……それは……」

『おそらく、貴女を待てということだったのだろうと今、分かった。背に乗れるか』


 鼓動が大きく脈打った。手に汗がにじむ。

 待っていた。わたしを。

 事態は一刻の猶予もない。

 けものが腹ばいになるのが分かった。聖下にそうしたように――勇気を振り絞り、歩み寄る。


『見えるか。首の後ろの毛をつかんでまたがるといい』

「はい」


 言われた通りにする。

 汗を袖で拭き、しっかと掴まる。

 ゆっくりとけものが立ち上がった。歩き、森から出る。 外は眩しいほどの月光が照らしていた。

 背中に伏せているが、その銀色の長毛はふんわりとしていて心地よく、においも何もなかった。

 しばし進み、騎士を見つけたか見つかったのか早足になり、やがて駆け始めた。

 そうして人が瞬く間に後ろに去っていき、時に飛び越え――振り落とされないかひやりとした――けものと同じくらいに高くそびえる門をも越え、あっという間に外へ飛び出していた。



 修道街を通り過ぎ下町を駆け抜け路地に入る手前で停まる。

 さて、どうするか。身体は疲労困憊し休息を欲している。この姿でいるだけで疲れるのだ。

 しかし戻ろうにもあまりにも久し振り過ぎて戻り方を忘れてしまった。

 否、覚えているのだがどういう心持ちになればいいのか分からない。人の姿でいる時に比べて理性が曖昧だ。

 心を静めて、静めて……下腹を意識する。気を取り入れる。循環させて、吐き出す。

 たぶんこの調子でいい。

 勿論聖女には降りてもらっている。

 ああ、気が乱れた……。もう一度。クソッ。時間がないというのに。


『すまない。戻り方がうまく掴めない』

「それは……人間に戻るということでしょうか」

 しばし考える様子を見せ、聖女がおずおずと手を挙げた。

「失敗するかも、違うかも知れませんが……思い当たることがあります。ちょっと頭を下げてもらえますか」

『わかった』


 そして――聖女は大きな口に、そっと口付けた。


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