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 マッドさんに教えてもらった教皇庁御用達の商人の幌馬車に隙を見て忍び込む。やがて走り出した馬車が止まり、特に中を改めることなく教皇庁の門扉を通り抜ける。

 幌の隙間から外を伺うと、なるほど近くに茂みがある。門番とここまで馬車を指揮してきた商人の息子が立ち話をし始めた。今だ! 機を見て飛び出し身を潜め、辺りを見渡す。

 誰も気がついてはいないようだ。昼のうちに教皇庁内へ侵入しなければ、あらゆる門が閉じてしまう。

 教皇庁には中庭がある。そこを目指す。

 身をちぢこませ、時に素早く走りながら影と陰の間を渡っていく。

 頭の中に見取り図を引き出す。屋内に入る必要があった。どこかに開いた窓がないか――あった。

 未熟だが気配を探りながら窓枠に手をかけ、そのまま中へと滑り込んだ先は廊下だ。

 手早く対面の窓を開け、また身体を滑り込ませ――着いた。中庭だ。花咲く茂みに隠れ――前方の廊下には壁がない――どこからも見えないのを確認し一息ついた。

 しかし、容易すぎる。まず都合よく立ち話を始め、忍び込む側からすれば、何故そんな所に? と思うような場所に騎士が立っていたり、必要な所に騎士がいなかったりした。

 教皇庁とその建物群の構造自体は単純ゆえに侵入しづらい。死角が見つけにくいのだ。

 それに、丁度良く開いていた窓――疑いが確信に変わる。これは罠だと思う。

 マッドさんの思いは本物だと思うが、それだけではないような気がした。

 このまま夜まで待つか?

 ……待とう。罠でも構わない。



 辺りが暗くなり始めてからだいぶ時間が過ぎた。もう闇だ。

 行動を開始する。

 中庭から教皇の居室はそう遠くない。問題は部屋の前にいるだろう騎士だ。

 そこだけは突破するしかない。

 闇に潜み、駆け、歩いていく。布靴は音を吸収し、響くのは自分の鼓動と呼吸だけだ。

 やはり見張りが少ない。というよりいない。

 そうして辿り着いた教皇の居室だろう部屋の前には――相当の手練れだろう二人の騎士がいた。

 息を浅く吸い、深く吐いた。

 ゆっくりと近付いていく。こちらに気がつき、手に鋭い槍持つ騎士は目配せし合うと――目の前まで来ているおれに手前の一人が言う。


「衣服を改めさせてもらう」


 抗うことなく受け入れる。

 そして十分に改めると元の位置につく。

 目が入れと促していた。

 おれは大きな罠の中にいる。

 意を決し、扉を開ける。

 ――殺風景な部屋の奥にあるベッド。そこに座っていたのは、妙齢の、美しい女性だった。蝋燭の灯火に照らされた顔は、亜麻色に縁取られてゆるりと笑みを浮かべている。


「ようこそ。こちらへいらっしゃい」

 バーゼルさんの忠告がよみがえる。触れさせるな。

「そちらへ行く気はありません」

 くすり。女は笑う。

「私が叫べば貴方は終わりよ」

「叫ぶ前に取り押さえればどうなりますか」

「そうね……老い干からびて、それから死ぬわ。貴方が」

 まあいいわ、そう言い捨て女は続ける。

「訊きたいことがあるのではなくて?」

 長い脚を組み替える。

「まず、一つ目。ペトルスという青年を知っていますか」

 くすり。女はまた笑う。

「自分のことじゃないのね。そうね……知っているわ。そして、私が、殺した」


 女はベッドに乗り上げると反対側に脚を下ろし、チェストの引き出しを開けた。

 そして一つの、手のひらに収まる大きさの小瓶を取り出した。

 そうして投げて寄越す。慌てて手中に収めた。


「これは……灰?」


 その小瓶には小さな札がつけられており、そこに――ペトルスと名が記されていた。

 ――ペトルス……。

 不意に嘆きが心を捉えた。

 こちらに戻り、女は説明する。


「殺した時に出る灰よ。私の大事な、大事な宝物なの。特別にあげるわ」


 感情が臨界点を超えていく。

 怒りが悲しみが恨みがぐるぐると混ざりあうのをねじ伏せる。

 感情に浸るのは後だ。今は訊かねばならない。


「……二つ目。何故ペトルスをさらったんですか」

「美しいからよ。そして私が美しくありたいから、かしら」

 拳を握り込む。

「三つ目。……おれの部族を絶やせと命じましたか」

 女は満面に笑った。

「待ってたわ、その質問。命じたわ。本物の神降ろしの巫女がいると聞いたからよ。ベイン卿が聞いたのだけど。異教徒といっても様々だけど、神降ろしはねえ」


 ――婆ちゃん。

 婆ちゃんのすべてを見通す緑の眼が目の前に浮かび、ついで病床にある痩せさらばえた手を胸を思い出した。


「四つ目。実行したのは誰ですか」

「ああ、確かアークライト卿とベイン卿、オルコット卿よ」


 炎に薄い手のひらをかざした。小さな喉がコクリと動く。女もまた、緊張しているのだと気がついた。


「訊きたいことは?」

「ありません」

「じゃあ、私から訊いてもいいかしら。貴方、神降ろしのすべは持っている?」

「いいえ。女だけの力なので」

「ならいいわ。立ち去りなさい。出ることができれば、だけれど」


 女が鈴を鳴らし、背に脅威が迫る前におれは窓に駆け寄った。月明りに照らされたそこに騎士の姿はない。

 窓を開け、身を躍らせる。二階の高さも下が芝生になっており地面も柔らかく、軟着陸できた。膝までジンと衝撃が来たけれど。

 問題は――闇の中からそろそろと近付いてくる騎士の群れ。

 半円状に包囲されかけている。

 こちらは――思うより早く人の隙間に突進した。

 門前の儀杖騎士ではなく、本物の刃が月光に煌めく。槍が薙ぎ隙が掻き消える。素早く後へ跳躍する。こちらが退くことを見越した横薙ぎか。今度は隣りの騎士の間合いに入り顔の辺りに手をのばす――穂先がおれの腰へ半歩程伸び、そして止まった。これは身をかがめて避ける。

 やはり……おれを殺すつもりはないようだ。

 後ろにさがる。突破するだけの技量も能もない。ならば。

 包囲が一歩、また一歩と小さくなっていく。

 眼を閉じ、集中する。空気を鼻から吸い、胸へ下腹へ、胸へ頭へ、そして口から出し――己の中の力の巡りを感じた瞬間、爆発的な力が体中にほとばしった。

 ぐんと視線が高くなる。人間達が後退する。おれは四本の足を踏み締めると人間の群れを飛び越えた。

 澄んだ水と森の匂いがする――おれは本能のままそこを目指し風のように駆けて、駆けた。


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