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徒花と少年

 夢を見た。霧に覆われた森の中で、狼が一面に咲き誇る花を見たあと、場面が変わる。どこかの広場の中心で大きな炎にくべられた人がやがて燃え尽きる。そんな夢だ。

 自分は決まって狼で、夢はこれから起こる何かを抽象的に、または直接的に示している。それは予知夢と言うのだと、本当に翠の民として喜ばしい能力を持っているなと婆さんは言った。

 その時が来るまで繰り返し見続ける解き方の分からない夢は、いつもおれの頭を悩ませていた。



「よう、今日も早いな」


 梯子を降りっぱら、横から声をかけられる。

 夢を見た日は朝が早い。ここのところずっとそうだ。

 長屋に置かれた二段ベッド。降りた室内は重ねられた書物やよく分からないもので雑然としていて人一人あぐらをかくのもはばかる様だ。

 声をかけてきたのは下で眠るペトルスという名の若い男だ。酒と猫が嫌いで女と熱い紅茶が好きな傭兵。かろうじてしつらえられた円卓とイスのセットでカップを手にしてくつろぎ、時折パンを口に放り込んでいる。


「おれの分は?」


 朝食のパンを催促する。朝食を買い求めるのは早くに起きた方だと決めてあるが、おれが早くに起きるよりずっと早くペトルスは目覚めている。だからここに来たひと月でおれが買いに走ったことは一度もない。


「ほらよっ」


 おれがイスに座るなりペトルスの背後から紙包みが投げ寄越される。また背後から――正しくは調理台の上から、水差しとカップが卓上にドンと置かれた。

 水と表皮の固いパン一本。それがおれのいつもの朝食だ。

 礼を言い、水を飲みパンをちぎる。

 お互い黙々と飲み、食べ、あらかた終わった頃にペトルスが呟いた。


「そういや、もうすぐ生誕祭だな……」

「生誕祭? 誰の?」

「エレイン様のだ」


 エレイン。十人だか二十人だかいる聖女の一人だったか。それは女好きな目の前の男が教えてくれたことである。


「お前、見るの初めてだろう」

「初めてだな……」 興味がないと言えば嘘になる。聖女がどんな面をしてるかは気にならないが、どんな賑わいになるかは興味がある。人がどれだけ溢れるのか。人ごみは好きではないが、好奇心はある。


「でもなあ、俺、見れないんだよなあ。だからさ、昨日も行ってきた! 今日も行くぞ! 大聖堂に!」

 勢い込んでペトルスが言う。

「はいはい聖女様ね。なんで? ……仕事?」

 パンの最後の欠片を口にほうり込む。

「うう。あぁああ仕事だよ仕事! なんで指名が入るかねえ」

「指名? よかった……とも言えないか」


 依頼は各国にあるギルド支部を通して受理され、ギルド内の掲示板に貼り出されるが、まれに個人を指名して依頼して来る場合がある。その多くは実力を買ってのものだが、極めてまれに身寄りや交友関係がなかったりして後腐れがないから、と依頼されるケースがあるらしい。

 人は見掛けによらないというから、ペトルスの実力の程は知らないが、人嫌いな性格とは言えないしあちこちに繋がりがある、たぶん。なので後者はないだろう。だが、何となく、嫌な予感がした。


「ペトルス」

「なんだ?」

「……気をつけていけよ」


 こういう時の勘は当たる。

 ペトルスは頭をガシガシと掻きながら笑いとばすように言った。

「あったりめぇだ」



 覚えた言葉の確認に部屋の書物を読み漁ったり、普段の生活を繰り返しているうちにその日はやってきた。

 前日、エレイン様と嘆くペトルスを送り出したので今日は一人だ。

 今朝は初めてパンを買いに行った。その頃から都にはいつもと違う空気が流れていた。と言ってもいつも薄く開けた窓越しに喧騒を眺めているだけだったが。


「ペトルスんとこの坊主だな」


 明らかに人目を避けて生活しているというのにあいつは……。確かにここらでは、否ここらでなくとも珍しい容姿をしていることは分かっている。だから師匠はおれに頭からすっぽり隠れるローブを与えたし、未熟なおれがこの都で仕事をしなくても生活できるよう、大枚の金銀貨を渡したのだ。

 待てよ……おれのような不審者に対して嘘か真か気さくに接してくるというのは、ペトルスがおれの容姿や恐らくは性格を話しておいてくれたおかげではないか? ならばありがたい。


「おれのこと……ペトルスから何か聞いてるんですか?」


 パンとシンシア銀貨を交換しながら問うてみた。

 パン屋の男はふくよかな腕を顔の前で左右に振りながら言う。


「いやいや、明日から俺の代わりにこんな坊主が来るだろうから、とまあいろんな話さ」

「いろんな話……?」

 ぼかしたのが気になって訊いてみる。

 男は苦笑して言った。

「女に興味持っていい年頃なのに、とんと話に乗ってこない、だとかね」

「そうですか」

 下品な話が大概だったからだ。

「でも生誕祭は見るんだろう」

「見るつもりです、けど」

 聖女に興味がないというのは言わないでおこう。

 男は大きく手を叩いて言った。

「ならおすすめの場所がある。行ってみないかい」


 朝食を済ませたあとおすすめの場所とやらに行ってみる。喧騒は増すばかりだ。

 そこは大通りに面した小さな布屋だった。確かに、二階にはこれまた小さなテラスが張り出している。


「失礼します。グラムさんの紹介で来ました」


 グラムというのはパン屋の男の名だ。

 店内に入り声を張る。

 布に埋もれそうな手狭な店内の奥で、ひょこりと白髪の頭が動いた。

「きみか。グラムから話は聞いているよ」


 いつの間に連絡したのだろう、というような迅速さだ。小柄な、おれより小さな老人だった。しわだらけの柔和な顔がにこりと笑んだ。


「さあ、おいで」


 店と二間続きになっているこれまた小さな居間には階段があった。

 二階は寝室になっており、テラスには既に布屋夫人だろう女性がいた。昔は相当な美人だったろう、そんな顔をしている。白髪を後頭部で綺麗に丸めてあった。こちらもにこりと笑んで、いらっしゃいと言う。そして、三歳ぐらいの小さな子を肩車した三十代くらいのがっしりした体格の男性と、同じ年頃だろう華奢な女性がいた。これは跡取り夫婦だろうか。知らないが。 男性の方はフードを取らないことにか一瞬怪訝な顔をしたが、女性は微笑むばかりで何を考えているか分からなかった。

 近付くと布屋夫人が腕を組もうとしてきたのに、瞬時に反応したが身を任せた。ほのかな花の香りがした。


「フードを取った方がいいわ。あなたがどんな顔をしているか分からないけれど、余計に目立つもの」


 騎士団が目を光らせているからね、と囁くように付け足す。

 少しためらったが外すと、陽光が眩しかった。耳元で風がびゅうと通り過ぎていった。

 夫人が興奮した気配がした。


「あらまあ! 可愛い顔をしているのね、それに肌がすべすべだわ……」


 うっとりと呟けば、

「お義母様、始まりますわ」

 女性がたしなめた。

 不意に強い視線を感じて振り返る。部屋の中から布屋の老人が驚愕に目を見開いていた。

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