・婚家は魔窟-2
私が奴のセクハラ紛い(一応仮にも婚約者だから、セクハラではないとのこと。)から解放されたのは、日もたっぷりと暮れ、月が空を支配し始めた頃だった。
散々好き勝手にされた私の身体は、情けなくも無理矢理与えられた快感でグニャグニャで、解放される頃には足腰も立たない状態になっていて、瞳は生理的な涙で潤み、頬は薄い紅色に上気し、呼吸は淫らに乱れていた。それでも何とかそんなだらしのない表情を見られないように、顔をヤツの胸に埋めたのは、僅かに残っていた理性が働いた為。
「あらまぁ、どうしたの?緋弓さん。具合でも悪いの?」
「・・・ぃえッ、だいじょうぶです。」
「本当に?無理はしないで頂戴ね。緋弓さんは聖さんのお嫁さんなんだから。」
そんな私を唯一気遣ってくれるのは、ヤツのお祖母様だけ。他の家族や親族は、まるで能面の仮面みたいな薄気味悪い笑みを張り付け、上辺だけをなんとか取り繕っている感じがするだけ。
正直、こんな家に嫁入りするのは非常に億劫でもあるし、面倒だ。
それを考えれば、都内のマンションでヤツと二人暮らしする方が断然マシであるから、それだけは奴が三男で会った事を感謝したい。
「緋弓さん、無理はいけませんよ。部屋に行きますか?」
・・・どの口がその言葉を言っているのだろうか。
どんな爽やかで良い人ぶった仮面を何枚も被ろうが、私をこんな目にした張本人の言葉だけは信用ならないし、信用しない。それにお腹もすいているのに、部屋に行けば何も食べれないではないか。
「あぁ、お腹が空いたんですね。それなら部屋に持って来させましょう。緋弓さんの為の特別メニューを作らせ、運ばせますので。」
その柔らかい口調にヒヤッとしたのは、瞳が笑っていなかったから。もしここが実家でなかったのなら、ヤツは絶対こう言ってただろう。
――さっさと動け。いつまで俺を待たせるつもりだ。お前の頭と耳は飾りなのか。
と。
ちらっと、次第にリビングに集まりつつある家族や親族の様子を窺いながら、私は最良の選択肢を選ぶ為、仕方なく両腕を奴の方へにょきっと伸ばした。
せめてこのくらいのイジワルは許されるだろう。それに、本当に今は動けそうにもない位、身体が言う事を聞かない。
「ごめんなさい。部屋まで運んで下さる?」
私の伸ばした両腕は、次の瞬間には、奴の首の後ろに回されていた。
「――緋弓さんが疲れた様なので、俺達はここで失礼します。久木さん、部屋に後で軽い食事と水をお願いします」
柔らかに、まるで大切な宝物を包み込むような抱き方に、何故かドキドキしながらも、未来の義兄さん達の方へ偶然視線を向けた私は、心臓が止まるのではないかと思うほど、驚いた。
驚き過ぎて、私は思わずヤツの肩に思いっきり爪を食い込ませ、抱きついた。
「緋弓さん?どうしたんですか?」
訝しげなヤツの声すらも気にならない位、私はガクガクと怯えていた。
――ここは魔窟だ。みんな壊れている。
暗く淀んだ眼が、ヤツを、いや、私とヤツを憎々しげに見ていた。
その眼と感情が狂気だと私が知ったのは、そんなに遠くない未来の事だった。




