9 高貴なる義務
「聞きたければ教えるけど、後戻りできないよ? 」マートが答える。
いったいどれだけの金が盗賊ギルドに流れたのかは知れないが、
老婆のたっての希望で『黒き針』はアイアンハート家の『養女』として引き取られた。
老婆はあの優しい笑みはそのままに、心を狂気に染めていた。
『黒き針』はゆっくりと、ゆっくりと、殺した人々の苦痛を味わって死ぬのだろう。
少しさかのぼる。
「誰の指示で、あの子は私の婚約者を殺したのですか」まっすぐな瞳でマートを見据えるエニッド。
使い走りの少年を装っていたマートをたった一目で見抜いたその眼力はまさに『貴族』。
「……本物の『貴族』なんだね」「珍しいですか?」いやと答えるマート。
「君の……きみたちの良く知っている人だよ。
お義母さんが『黒き針』を引き取ったのは……勝ち目ないからさ」
たっぷりゆっくり苛め殺して憂さを晴らすしかお義母さんにはできないだろうね。とマートは続ける。
……。
「まさか」震える声で問うミリア。
「ぼくやギルドのみんなは君のクッキー。……好きだよ?」
……。
「お父様?? 」
崩れ落ちるミリア。呆然とするエニッド。
涙を流して謝罪するミリアをただひたすらに平手をうち、罵倒するエニッド。
そして大声を上げて泣き出すエニッドに俺はなにもしてやれそうになかった。
……。
仇を討ちたいエニッド。自分の父が親友の婚約者を殺すよう指示したと知ってしまったミリア。
暗殺者の残党を滅ぼしたい盗賊ギルド。当時暗殺者を雇った大貴族。そして。おれたち。
「ミリアのお父さんとか暗殺者ギルドは、ぼくらと敵対しているから別にいいけど……」
暗に、殺してほしいと言うことを匂わせるマート。本気で怖い。
跡取りとなる娘はクッキー屋をやっているし、その気になれば……という話になったらしいが、
「別にぼくとしてはどっちでもいい」と言われた。
「あのクッキー、ミリアのお父さんの領地の皆さんが素材作ってるんだ」
そんだけ?!! そんだけの理由??!!
ぽいっっ! と投げられた地図には。
……ミリアの実家の詳細な見取り図と警備体制が記されていた。息を呑むミリア。
『殺す気になればいつでもできる』という意味らしい。
「あとは、好きにして」処理はやっておくから。マートはそう言った。
……。
「お嬢様。やっと帰る決意をしましたか! 爺はうれしゅうございますっ! 」
この人、いい人っぽい人なんだけど、これからのことは話せないなぁ。
ミリアは正面から。俺たちは裏から侵入する。
警備には凶悪な戦闘力を持つ戦闘犬が投入されているそうだが……。
ファルコや俺が用意した秘薬をまともに嗅いで倒れたり酔ったようにふらつく犬たち。
優れた嗅覚が逆にあだになることもある。俺たちはなんともない。
警備の人間をぱたぱたと殺さず気絶させ、あるいは魔法で眠らせ、
時折現れる邪魔者に悪戯者の精神の精霊の『困惑』を与え、
俺たちは確実に目的の部屋へと向かっていく。
「ここだ」頷くエニッド。
中でミリアと目的の男の言い争う声が聴こえる。ゆっくりドアを開く。
「……おじ様」「エニッド??!! 」
「……貴様らは? 」
「このお嬢様を届けるため『だけ』に彼女に雇われた。ただの野党さ」
さすがに冒険者なんて名乗れない。俺たち三人は覆面をしている。
「ふむ。……関わると不幸になるという者たちか??」
へ????!! なんで判るの?!
「糞を追う者達だったかな? 」
「「「『夢を追う者達だっ!!!』」」」
一斉に叫ぶ俺たち。
「くっくっく……。正直でいいな」
あ。しまった。誘導尋問じゃないか。
「見れば判る」確かに体格とか、三人組とか共通点があるが。
「それに、ただの野党が我が屋敷に侵入し、
一人も殺さず騒ぎも起こさずにここまでエニッドを連れてくることなどできまい? 」
……絶句する俺たちにミリアの父、フェンブブール・オルデールは笑った。
「おかげでエニッドは無傷で我が元にたどり着いた。流石だな。礼を言う」
「彼らは、私が雇いました。いえ、私がお願いしたのです」「私を殺すようにか」
「……おじ様。これは。私の……他人の手を汚す必要を感じません。いえ、他人の手を使えば私は……一生彼らを恨むでしょう」
エニッドはそういってオルデールを睨む。
「なんで~? どして~? 」
ファルコが問う。のんびりしたしゃべり方だが、短剣を持っている。
「アイアンハート家は新たな農法や技術を推進しようとしていた」それだけ?!! それだけ??!
「成功すればわが国は莫大な利益を得、どれだけの民が救われるか判らぬほどだ」
その方法は俺たちも少し関わったから知っている。そしてリスクも極めて高いことも。
「……あの学者や、貴様らに称号を与えようとする動きもあるからな」なっ?!
「……トート先生を知ってるのかっ?! 」「そこの少年に暗殺者を撃退される程度には」
無言で頷くファルコ。
……いつぞや、夜中にファルコが先生の家にいた件か?!
「それで……お義母様と?? 」
エニッドは魔導防御を貫く退魔の短剣を握り締めて問う。
「お前との結婚は両家に平和をもたらすはずだったがな」「私は……」震える声が漏れる。
「……お父様。エニッドはグィンハムさまのことを」
「どんなワガママも笑ってくれた……本気で叱ってくれた……歳の離れた私を妹のように……愛してくれた」
「……跳ねっかえりの浪費家のワガママ娘のままなら、グィンハム君は生きていたかもな」
うまいこと、内部から財政を削って男爵家を潰してくれただろうと補足する。
「……あの方法は危険すぎる。いや……猛毒だ。アレは『この世のものではない』知恵だ」
成功しても国は混乱し、失敗しようものなら民は壊滅的な被害を受けるとオルデールは言う。
「……そんなことでっ?! そんなことでグィンハムさまをっ??!! 」「ミリア。私たちは何だ? 」
???????
「『貴族』です」
「クッキーを焼くのが趣味の小娘がか」唇をかみ締めるミリア。
「男一人死んだくらいで、将来のある若者三人を巻き込み、叔父を殺しに来る小娘がか? 」
短剣を胸の前に構え、震える手で叔父に向けるエニッドに侮蔑の目をむけるオルデール。
「私たち一人二人の命で済むなら、むしろ安いものだ。
われ等のこぼした水一滴すらすすり、塵芥すら糧とする者はどうなる?
われらに雇われたものはどうなる? われらの導きなく領民を野党にゆだねるのか?
失敗すれば多大な被害を民にもたらすと知って、放っておくのか?
我らの一存、否、失策で彼らの命は簡単に散るのだぞ?? 」
……。
「……私。みんな……皆さんが笑ってました」ミリアが話す。
「領民の皆さんが届けてくれた……麦にミルク……一粒も、一滴も無駄にしていません。
みんながおいしいって言ってくれるんです。
麦のお礼に少しばかりのクッキーをあげて……お嬢のクッキーは凄く美味しいって……。
みなさんの作るワインやミルクが美味しくて……お父様の微笑みがうれしくて……」
……。
「毎日、へんな髭とメガネをつけて買いに来るお父様がかわいくて……」
ちょ。オチつけんなっ??! 一瞬噴出しそうになった。
「ローさんやファルちゃんに色々叱ってもらって、誉めてもらって……。
皆さんは……みんなにすっごく好かれているんです。『幸せを呼ぶ』とか『願いを必ず叶える』って」
……『糞を追う者達』って言われてるんだが。
てかいつの間にそんな話を吹き込んだ? ファルコもロー・アースも。
「……それを護らず、出て行ったのはお前だ」
オルデールは苦笑した。「どうした? やらんのか? 」ビクッと震えるエニッド。
短剣を手に近づくエニッド。短剣がオルデールの喉元に触れる。
「お前は良いな。領地もない。領民もない。召使すらもういない……時々、煩わしくなる」
優しい目をエニッドに。俺たちに向けた。
「後ろに抜け道がある」「……! 」
「もう、疲れたのだ」すまぬとエニッドに詫びるオルデール。
いや、エニッドだけに詫びたわけではないのかも知れない。
オルデールは目を閉じた。
ぱしっ。
弱弱しい、小さな音。
「……なら、なら、疲れたなんて言わないでっ!!??
背負ったものを……投げないでくださいっ!!
なぜ、皆生きたのですかっ!! 何故、皆死んでいくのですかっ!!
……何故幸せになるんですかっ!……不幸に……なるんですかっ!!! 」
「どうして……どうして人が人を導くのですか……」
号泣するエニッドの肩に手を添えるオルデールを見ながら、俺たちは抜け道から外に出た。




