9 貴腐
ミリアは腐った葡萄のつまった瓶を手に頭を抱えていた。
友人のファルコ・ミスリル曰く、「貴腐を寄付するのの」だそうだが腐った葡萄など要らない。
とはいえ、ファルコは友人でしかも何度も貞操や命の危機を救ってもらっている。
ぷつぷつと泡を立てだした瓶の中身に眉を顰める。
侍従長曰く、『神族の葡萄という話が事実ならば金貨百枚は下らない』と言うが冗談であろう。
「ただでさえ厄介者が寝泊りしているというのに」
ミリアは影のように佇む少女をにらみつけた。
少女というより子供。いや、ミリアも未成年ではある。しかし。
胸が冗談のように大きい。子供にしては大きすぎる。
確かにミリアは同年代の女性の中では小さいほうだが、それにしても大きさに違いがありすぎる。
その子供の体臭には猛毒があり、接客にも雑用にも使えない。完全な役立たずである。
「ミリア様。何か? 」リリと名付けられた少女は陶磁のように表情のない顔でミリアと向き合う。
その息を吸えばミリアは即死しかねない。
どうして元親友にして従姉妹の婚約者の仇を自分のところで匿わなければならないのか。
ミリアは苦悩に眉を更に顰める。
「ううん。今日は寝坊しちゃっただけ。掃除、ありがとう」「どういたしまして」
唾液や汗にすら猛毒がある。同じサウナや風呂には入ることが出来ない。護衛にしても物騒すぎる。
「ロー・アースさん。どうしてこのような娘を」
脳裏に浮かぶ男爵と呼んでいた青年の顔に墨で『×』を入れる妄想をしていたミリアはリリの冷たい視線に身震いしそうになり。
「いいわ。今日もお願い」「御意」
慈愛神殿の侍祭に預けられていたというリリは色々あってミリアの家に身を寄せるようになっていた。
リリはその日、やることがないので掃除を楽しんでいた。
『楽しむ』と言う感覚の疎い娘だが、ロー・アースやファルコ、そしてチーア。
ユニークな冒険者どもや慈愛神殿の連中と付き合っていると大分改善する。
ミリアが見れば目を剥くだろうが、鼻歌まで飛び出す始末。とても悪魔と呼ばれた暗殺者の後継者には見えない。
指の先から徐々に金槌で潰され、目の前で蟲に食われたはずの指と爪は元の白くつややかな光を取り戻し、
女性器を破壊する拷問具によってペースト状にされた内蔵は元通りの機能を取り戻している。
毒の身体は徐々に改善していけばいい。そうすれば誰かを愛し、愛される身になれる。
君が数々の恨みや呪いや憎しみを受け入れ、受け入れられた上で愛される女性になったその日、君の呪縛は消えるであろう。
そう彼女の『主上』は告げた。『主上』は彼女を殺すことなく『黒き針』を消し去ったのだ。
リリは掃除を終わらせると軽く伸びをした。
その手に持った箒の先。ミリアがファルコたちの目に付かないように隠していた瓶に触れた。
派手な音が飛び散った。
「ミリア様。申し訳ありません」
「セイザ」をして謝る元暗殺者にミリアは頭を抱える。
「毒の身体を持っているのに勝手に工房に入った上に、瓶をひっくり返したと」「はい……」
「そしてこの惨状と。なにこれ? 」「膨らんでいますね。すごく」
すまなさそうに謝る元暗殺者。ミリアはこの娘がこれほど豊かな表情を見せてくれたことがない事実に気がついていたので。
「いいわ。許します」そういって微笑んだ。
「このまま、これを焼いちゃいますけど、……毒見よろしく」
おどけて笑うミリアにリリは華やかな笑みを見せた。
「喜んでッ 」
この白いクッキー。否、パンは後に王国の名物になるほど爆発的に売れるのだが。
後の世の人々はその試食者第一号が元暗殺者であったという事実を知らない。




