6 笑顔の理由
香ばしい香りが周囲に漂い始め、甘い香りのクッキーを恐る恐る三人の『子供たち』は口に含む。
その様子をミリアはドキドキしながら見守る。お菓子作りなど下賎な趣味だと父は言うが。
「美味しい」「旨い」「美味しいですね」
三人は一様に素直な感想を述べた。思わずミリアは拳を握り締めて喜びを表してしまう。
一人は栗色の髪とチェックのチョッキを着た幼児。ブカブカのズボンと袖は暗器を仕込む。
もうひとりは頭に布を巻き、ツリ目で口の悪いこれまた幼児。背中に身長ほどの玩具の剣を背負う。
最後の一人は女性のような整った容姿に丁寧な口調。自称エルフの彼はこの中で一番年下だが言動は一番年配に見える。
この三人はミリアの護衛をロー・アースと伯爵家の跡継ぎに依頼された妖精族の者達である。
どうみても幼児だが、その実力は伯爵家の太鼓判。らしい。
「くす。新作まだあるから」ミリアは愛らしい自らの護衛に満足した。
なんせ彼女の今のご主人様は無気力、無関心、無責任な態度を貫くのが美徳と思っているような男だ。
当初は襲われることや貞操を捧げねばならない恐怖に襲われていたが、どちらかと言うと兄妹喧嘩に巻き込まれるほうが恐怖だということを痛感するのに時間はかからなかった。
伯爵家の跡継ぎの要求は至ってシンプルであった。
「出資はしてやるが、手は出すな。妹を嫁にやれなくなる」「どっちもお断りだ」
無気力な『ご主人様』はそう抗議したが、伯爵家の跡継ぎ息子は完全に無視した。
「あい、うえ。えお、かお、えを」「あい、うえ。えを、かお、えを」
接客の基本からやり直しである。指導教官はロー・アースとアパートメントの住人たち。
「腰が高いッ やりなおしだよっ 」太った姿の壮年の女性の陽気な声が響く。
ミリアは下賎のものに頭を下げるなんてと屈辱の表情を浮かべたが。
「私はご主人様の奴隷でメイド」と呟き従う。
「奴隷はメイドではない」普段感情を表さないロー・アースの瞳が軽く怒りを帯びた。
「どちらも同じではないですか」「ちがう。俺はお前に給料を払っているし、奴隷だとしても稼ぎによって自由をお前に買わせるようにする」
ミリアからすれば自分の言うことを何でもする下賎な相手という認識しかなかったが。
「そんなことでは上には立てんぞ」「そもそも男爵如きの下についているのが私です」下はないといいたいらしい。
「バカ。店を構えるということは、いずれ従業員を雇い、彼らの生活を、人生を豊かにする義務を負うのだ」
ミリアは眉をしかめて見せたが、ロー・アースの言うことには逆らわない。
「そもそもミリア君は何故クッキーを焼くのが好きなのかね」ワイズマンは政敵の娘であっても女性には優しい。
「皆が喜んでくれるからです」答える義務はないと思ったが。
「つまり、君は誰かに認められるのが嬉しいのだよ。技術や人柄を評価し、給料や行動で褒める。これは必要なことだと思うよ」伯爵家の跡取りはそういって微笑んだ。
「認められると。嬉しい? 」
ミリアは小首を傾げてみせたが。
政略結婚の道具でしかない自分の人生に嫌気がさして屋敷を逃げ出し、
ロー・アースに拾われ、三人の子供たちに守られ現在に至るが。
「彼ら子供たちは金や君の身分で縛られていない。あくまで僕たち『友人』からのお願いと簡単な謝礼で動いているだけだ」
「あのねっ! のねっ! 」
ミリアの足元でぴょんぴょんはねるファルコ。彼の声が聞こえる。
「僕ら、ミリアねえちゃんが好きだよッ 」「僕も嫌いじゃない」「私もそうですね」
「クッキーくれなくても好き」「あ。僕はもらえたほうが嬉しい」「性格と育ちがわかりますね。兄さんたちは」
三人の『子供たち』がじゃれあう様子に思わず微笑むミリアにロー・アースは優しい笑みを向けて一言。
「その笑顔を、皆に振舞うんだ。商売はそれからだな」
ミリアの表情は一瞬固まったが、再び晴れやかな笑みを取り戻した。
「はい。男爵様」
そばかす顔に華やかで屈託のない笑みが広がる。
それは今までの礼儀作法で身につけたものとは完全に異なる。『はしたない』が人の心を掴む笑みだった。




