10 鴉と子犬
夜闇は更け人の子は眠りの精霊に呼ばれて夢の精霊の世界に肉体を残して旅立ち、
夜闇に舞う人々の魂を迎えて月の光と共に踊る精霊の舞と歌声が聞こえる時間。
絞った魔法の明りの元、ロー・アースの抑えた声がありもしない話を語る。
伝説でも事実でもない創作だが、ウソでありながら真実を語る物語を。
「鴉はなにもしていないのに小石をなげられ、呪われろと叫ばれる自分にうんざりしていました」
「からすってどろぼうするよね」「からすって声こわいよね」「からすってこども苛めるって聞いた」
子供たちの言葉を聞きながらアドリブを交えて本を読む。器用な男である。今に始まったことではないが。
「そうです。鴉は自分が何故嫌われるのかあまり考えていませんでした。
でもずるがしこくはあったので、少し考えてこう思いました」
「どんなこと? 」「どんなどんな? 」「どんなこと? 」「今日はどうするの? お兄ちゃん」
ロー・アースは優しい笑みを浮かべながら子供たちに語り伝える。
「ぼくは色々なことを知っている。このことを人に伝えたら喜んでもらえるかなぁ』鴉はそうおもったのです」
「どんなことを知ってるのかな」『しのぶくさ』がロー・アースの背中に乗ろうとするので「こら」と軽く叱ってやる。「あ。おねえちゃんぼくも」……アレは重いぞ。
「空の上から見たこと。お魚屋さんがネコさんにお魚を取られて追いかけていたこと。
お肉屋さんが鶏と口げんかしていたこと。神殿の神父さんの帽子の中のこと」
エフィーが苦笑い。
「お兄ちゃん。そんなこと教えたら皆好い顔しないよ? 」
「だね」「だね」「ぼくでもお肉屋さんの……なんでもないの」気になるぞ。ファルコ。
ひゅうひゅうという音が窓を揺らすが、この部屋の中は暖かい。
「でも御安心を。皆にとっては嬉しくて、鴉にとっては悲しいことですが、
鴉のしゃがれた声を聞く人はいませんでした。そして彼の話す言葉は不吉といわれており、皆逃げていきました」
「しゃがれた? 」「しわしわ~」「枯れた声だよ。ファルちゃん」「ユリは物知りだね」
「うん。ここはちょっと難しかったね」ロー・アースは苦笑い。
「後で書き直しっと……」そういって彼は赤い栞を挟んでいた。
「要するに、いつも悪口や人の嫌がることばかり話しているってことか? 」「そうなるな」
俺の指摘にロー・アースは苦笑い。
「死んでいいんじゃね? 」「厳しいな」
軽く鼻を鳴らして微笑んだ彼の表情に一瞬胸が激しく高鳴った。
「い、いや、つづけろ。俺は寝るからな」胸を押さえながらフロンだかフトンだかを被る。
エフィーにせよ子供たちにせよエルフや半妖精だ。俺の動悸に気がついていると思うと恥ずかしくて仕方が無い。
「ある日のことです。寒い夜のことでした。
鴉は神殿の軒先で眠ろうとしていたところ、小さな声を聞いたのです」
「なに」「なに? 」「なんだろう」「つづきつづき。お兄ちゃん」
フトン越しに子供たちの声が聞こえる。話に夢中で俺の変化に気付かなかったらしい。
「鴉が見たのは雪に包まれて、凍えている子犬でした。
鴉は夜は目が見えませんが、なんとか子犬の元にたどり着くと、こういいました」
ここでロー・アースは息を吸って、ゆっくりと吐き出す。
「おやおや、小やかましい子犬さんじゃないか。こんな雪の日になにをしているのだい」
ひゅうひゅうと夜風の音が響く。
この部屋でなければこの寒さに凍え、凍てついた手を擦って朝を待っていたのは俺たちだったはずだ。
「おなかがすいて、さむくて。ぼくはもうだめみたいです」
夜と死の精霊が窓の外から微笑んでいるのが見える。
「ああ。そりゃそうさ。でもみてごらん。あとちょっと歩けば暖かいおうちがあるんだ。ご飯だって分けてもらえるかも知れない。ほら、この食べ物を食べなさい。あとちょっとだけ、ちょっとだけ進んで、あの家の軒先を借りなさい」
鴉はそうやってなけなしの食べ物を子犬にあげてしまい、それを後悔していた。
「ああ。あの食べ物があれば私はおなかが空くことは無かっただろう。
どうしてあんな犬なんかにあげてしまったんだろう。私はほんとうにばかだねぇ」
「馬鹿だ」「馬鹿だね」容赦ないな。子供たち。
「でも、優しいんじゃない? 」「だねぇ」
エフィーとファルコはそういって「テヘヘ」とロー・アースの頭を超えて微笑みあうので
『こら、布団から出るな』とロー・アースに叱られて慌てて布団の中に頭を入れて見せた。
軒先に可愛らしい子犬が震えているのを発見した老夫婦は子犬を引き取り、
食べ物を与え、名前を与え、子供のように可愛がるようになる。賢く優しく愛想の良い子犬は忽ち人気者になるのだが。
「鴉さん。鴉さん。あなたのおかげです。鴉さんはとても素敵な方ですよね」
「だめ~! 犬さん! 」「だめだめ! その鴉は悪いやつだよっ? 」「なのの 」「うん。そうだね」
鴉はこう思う。「この犬と仲良くすれば、この犬のようにすればぼくも皆に好かれるのだろうか」と。
「犬さん。石を投げられないようにするにはどうすればいいかな」
「みんなと友達になるといいよ。鴉さん」「ともだち? ともだちってなんだい? 」「ぼくと鴉さんのことを言うんだよ」
鴉は石を投げられて育ってきたので、友達というものがわからない。
犬は一所懸命に鴉に説明した。「一緒にいると胸の奥が暖かくなって、心がきらきら輝くんだ」と。
子供たちが本を読もうと必死になるのを押さえて、本を閉じながらロー・アースは続きを。
「鴉さん。鴉さん。鴉さんの羽根はつやつやと黒曜石のように輝いているし、その瞳は遠くを見ていて優しくて賢いし。その翼でいろんなところを回ってきたんでしょう。鴉さんの話は本当に面白くてためになるんだ」
鴉はそんなふうに褒められたことが無いので戸惑う。
だが、犬は鴉を友達だと言って聞かない。鴉は呆れ、犬に冷たい態度を取るが、犬は鴉のその様子に更に親しみを抱いた。
「『ねえ。ぼくらは友達だよね』犬の言葉に、鴉は厭々ながらに呟きました。『そうだよ』」
「悪い子なのに」「だねぇ」「でも鴉は犬さんにはいい事しかしてないから」「でも頭の中は悪い子だよ」
子供たちは意見を交わす。こういうの、いいなぁ。
「どうすれば友達ができるんだい。犬さん」「それはね。人のいないところでそのひとの悪口を言わない。その人がこまっていたら助けてあげて、にっこり笑ってくれるようにすることだよ」
犬は何処かに行ってしまう。
鴉は犬のいない日々に戸惑い、犬の変わりになってやろうと企むが。
やがて犬にはなれないことを悟り、元の鴉に戻っていく。
「悪い鴉にもどったの? 」「いや、悪いままだといけないと子供を苛めたりはしなくなったよ」
「いいことだね」『しのぶくさ』がそう呟くと「まぁそれでも石を投げられるのは変わらないんだけどね」
「え~?! 」「意味無いじゃん」「あ。ぼくわかった! 」ファルコが続きを促す。
ロー・アースは微笑んだ。
「鴉は思いました。ぼくは犬さんの友達だから、犬さんが戻ってきたときに僕が悪い子だったら、犬さんが悪口を言われちゃうんだ」
鴉は犬を待つ。
いつしか鴉は犬ほどではないがそれなりの友達に恵まれ、暖かな軒先で食べ物を食べることができるようになっていたが。
「ええええええええっ?! 」「それ、だめだよっ 」「ろう。それ、やだなぁ」「お兄ちゃん。それは」
鴉は友達同士の争いに巻き込まれて怪我をしてしまう。
「『鴉さん。ぼくはあの犬さんのキャンキャンほえるこえが、皆に好かれる尻尾がたまらなく嫌いなんだ』
『どうしてだい。ぼくはうらやましいとはおもうけど、まねしたいとは思うけど、そうなることはできないし、ほかのひとに好かれているからってどうしてキライになっちゃうんだい』
鴉は友達というものが自分に都合よくうごいてもらうために、みんななかよくしてほしいとおもっていましたが、みんなと仲良くすることが出来る子はそうでない子に嫌われてしまうようです」
最初から憎まれ、嫌われる鴉にはその気持ちがわからない。
「鴉さん。鴉さん。犬なんかが好きな君は裏切り者だよ」
大きな怪我を負って動けない鴉を誰かが口に咥えて運ぶ。
「鴉さん。鴉さん。しっかりして。ぼくだよ。犬だよ。久しぶりだね」
子犬は大きくなって、鴉を助けるために主人のもとに走る。
暗い暗い冬の空の下、鴉の胸はなぜかあたたかく、心は何故か明るかった。
「ごしゅじんさま。ごしゅじんさま。この鴉を助けてください」
しかし、主人の放った一言はこうだった。
「おや、悪いカラスをやっつけてくれたのかい。さぁさぁ中にはいりなさい」
終わりだというロー・アースにぶうぶうと文句を言う子供たち。
「鴉さんは助かったんだよね」ファルコが指摘すると「知らん。あとは自分で考えろ」とロー・アースはそっけない。
「きっと助かるよ。慈愛神殿の高司祭さまとかが」ファルコは高司祭さま好きだな。
「え~? あの人プレゼント一杯持ってくるけど、なんか目つきが嫌だなぁ」将来の義妹に媚をうる態度がダメらしい。エフィーに嫌われて涙目の高司祭さまを思い浮かべて思わず笑ってしまう。
「鴉は悪い人だったし、このまま死んでもいいかも? 」『わすれぐさ』ことユリは手厳しい。
「でも、ユリ。鴉さんの態度は立派よ」姉の『しのぶくさ』ことシノは別の意見を述べる。
「奴隷だとあんまり考えなくていいよね」「苛めとかあったら叱られるモンね」作業効率が悪くなるらしい。
「あれこれ考えずに言うこと聞いてて、しっかり働いたらあんまり鞭は」
『しのぶくさ』はそういうが、彼女たちの身体にはあちこち懲罰の焼印が入っていた。治したけど酷いことをしやがる。
「自由だと、どうやって友達を作るか、仲良くなっていくか、けんかしたらどうするかも考えないといけないからな」
ロー・アースはそういって。
「ほら、寝ろ寝ろ。今日はオシマイだ」
そういって俺たちを布団に追い込み、灯りを消した。
「やっぱ鴉は助かったんだよ」「いや、犬さんが食べちゃったってのは」どんなんだよ。
「ぼくは助からないと思うなぁ」どうだろう。
物語を自ら紡ぎ、自らの物語を歩む。
それを『自由』と呼ぶならば、『自由』とはかくも辛く厳しい道である。
それはそうと。俺も眠りの精霊の砂を鼻にかけられてしまったらしい。
おやすみ。俺は小さく呟き、暖かい寝具に包まって瞳を閉じた。




