5 絵画の冒険
「こちらになります」
侍従長に導かれ、俺たちはお抱え絵師のアトリエに入る。
「お抱え絵師って一人? 」普通は何人もいるものらしいが。
「ええ。あの娘は当家で唯一の絵師でしたから」
それだと、色々困ること無いかなぁ。
「暗殺者に当家の人間の顔を知られるのは愚の骨頂ですから」
専門は風景や宗教や歴史、静物画だといわれた。ふむ。
「ロー・アース」「うん? 」
無視。された。ロー・アースのバカヤロウ。
「ふぁる? 」「もきゅ」
こちらも無視。
「アキ」「五月蝿いわねえ」
泣くぞ。俺。
「ちょっと、絵を見て良いかな」
ロー・アースがそういうと侍従長は「下賎な冒険者などに絵がわかるとは思いませんが」と小声で呟いた。
おい。人間には聞こえないかもしれんが、半妖精の耳なめんなよ。
俺にはさっぱりわからんがな。綺麗な絵かどうかならわかるが。
「『瞳は扉に過ぎず。我の心触れる。かの窓の奥。芸術の神の使徒描き世界を。我が鼻は画家の筆遣いの香りを嗅ぎ。皮膚はかの時代の空気に触れる。舌は絵と言う扉の奥底の風の味を伝え、絵の具の奥の世界に秘められし音楽は我が心を満たす』」
ロー・アースとアキが一斉に同じ事を言うと侍従長は引き下がる。
さっきは無視されていたのではなくて、三人とも絵に魅入っていて呼吸すら忘れていたらしい。
一斉に咳き込みだす三人に俺は呆れた。
「なんじゃその呪文」「ちいあ。あのね。有名な絵描きさんが残したことばなのの」
ファルコがぴょんぴょんはねながら解説してくれた。
「こっちは風景画なのの」船とか楽しそうな市井の民を描いている。
「どちらかと言うと下等とされるけど、生命力があるということで豪商が好んで買う絵ね」
アキが補足する。「このような下等な絵には絵の具代を請求しておりました」ケチだな。侍従長。
「この子供、笑顔がいいな」
画家の微笑みが透けて見える。ちなみに、俺たち精霊使いは物品に宿る感情の残滓を『見る』ことができる。
「下賎な絵ですね。笑顔などはしたない」
侍従長はにべもない。ロー・アースが補足すると絵の世界では笑顔や裸は禁止らしい。
でも宗教画はアリらしい。よくわからん。
「静物画と風景画の区別がわからんのだが」
俺が言うと侍従長が軽蔑しきった瞳で俺を見る。
「メメントモーリ。死を忘れるな」「静物画はメッセージ性や人生の儚さを描くものなの」
ロー・アースとアキが丁寧に解説してくれる。
「主に、静物画は机の上の物品や屋内を描くのが主流で、人物は最低限しか登場しない」
「ほら、このゴブレット(杯)の表面。よく見ると絵を描く画家の顔がうつっているでしょ」
ほうほう。
「これは、画家の瞳の色から察するに、こぼれた杯から儚さを表しているわ」
主に男女の愛情ね。右左の瞳の色が微妙に違うでしょ? とアキは言うが。
「こっちの髑髏と丸まった書類は人間の美術や文芸などの芸術すらいつか滅ぶことを暗示している」
あのさ。ロー・アース。人間の言葉をしゃべれ。頼むから。
「このリンゴさんは右が新鮮だけど、左が腐ってて、それが解りにくくなってるのの。
でね! でね! 皮が剥いてあるでしょっ! これは人の心の『ふかい』を描いているのの」
それ、『腐敗』だろ。ファルコ。
「リンゴじゃない。リンゴに見せているが、これは石榴だ。つまり、裏表の違い。も指す。
この金貨と石榴は金で売買される男女の愛憎を意味しているな」「むにゅ」
あのさ。お前等、謎の呪文を喋るな。
「意外と博識なんですね」侍従長が思いっきり嫌味を言ってくれる。
「この女神さまの降臨の絵は、俺にもわかるけどな」「ほう? 」
画家の描いた純粋な敬意と畏怖を感じると言うと一笑された。ムカつく。
なんでも歴史や宗教画は見るものにも描く者にも最高の教養を必要とするらしく、下賎の者が解るはずがないとのこと。
「この娘は精霊使いにして奇跡を扱う神官。
学識などなくても直接肌で、心で画家の心に触れることが可能です」
ロー・アース。それフォローになってない。
「むしろ、言葉で尽くせぬものを表すから絵画だと思いますよ。侍従長様。
チーアは無学かも知れませんが、『彼女』の感受性は素晴らしいものです」
全然。フォローになって無いから。アキ。
「ちいや。これ。これ」
ひっぱるな。ファルコ。
「……」
ぞくり。なんなんだこの絵は。
「なんだ。この絵は」
出来が違いすぎる。紛れもない傑作と言って良い。のだが。
「『叫び』が聞こえやがる」怨念。怨嗟。憎悪。後悔。慕情。ありとあらゆる感情が渦巻くその絵に俺は瞳を奪われていた。
「あの娘の遺作で、自画像なのですが」
売れるはずもなく、下手に出来もいいのでそのままにしているといわれた。
絵を見る限り、美人さんだ。美化して書いているのかと聞くとそうではないらしい。
元を正せば結構いいとこのお嬢様だったんではないだろうか。そう思っていると没落騎士の一族の絵画志望の娘を拾って下女として扱っていたら先代のお抱え絵師のところに出入りするようになっていつのまにか弟子入りして後を継いでいたそうだ。
「この絵の具の使い方」ロー・アースが呟く。
「この顔。右左の部分だが、わざとヒビが入るようになっているな」美貌は永遠ではないという意味らしい。
「この花だけど」
娘が握る白詰草。ようするにクローバーだが。全部四葉だ。縁起がいいな。
「ちいや。ちがうの」
ん? なにが? ファルコ。
彼は首をぶんぶんふってみせる。
「四葉のクローバーってね。
くろーばーが若草のうちに踏んづけられて傷ついて出来るの」初耳だ。
ファルコは草木の心を見てしまう種族だということを思い出した。彼が言うならば間違いないだろうが。
「四葉のクローバーを見つけるために、
三つ葉のクローバーを踏みにじってはいけない。
幸せはそんな風に探すもんじゃない」
ロー・アース。それってさ。
「つまり、四葉のクローバーを見つけるために三つ葉のクローバーを踏みにじった者がいて、
初めて人は四葉のクローバーを手に入れることが出来るって意味かしら」
アキが俺の言いたいことを代弁してくれた。
「なぁ。なんかこの絵師が恨みを持つ相手とか、心当たりあるかよ? 」「ございません」
侍従長は嫌そうに舌打ちをして見せた。「旦那様の恩を死んでからも仇で返すとは」と言い捨てて。




