5 写本家『ララ・バード』
こうして、週に何日かは赤ちゃんの世話をすることになった俺たちだが。
「チーアさん」ララさんはニコニコ笑っていると思っていたが。
ララさんは最近出会った俺たちの知り合いだ。
元男爵家の正妻から乞食になって某商家の家庭教師に先日就職したという波乱万丈な人生を歩んでいる。
トンでもない美人(もういい加減美人に会うのは飽きたわっ?! )なのだが、
既に娘がおり、彼女の娘さんは現在、正義神殿の神官見習いをしながら『ある重要な職務』についている。
「以前紹介してくださったお館の『お掃除』といい、今回といい」
危険にも程があります。とお叱りを受ける俺たち。
俺たちの知り合いでは経産婦は彼女とアーリィさんくらいしかいない。
どうしようも無くなった俺たちは貴重な休暇中の彼女に泣きついたのだ。
「すみません」「軽率だった」「なのの」しゅんとする俺たち。
ちなみに、彼女の娘は彼女以上に多忙で、親子が会う日はほとんど無い。
手紙のやりとりを何処にでも紛れ込めるファルコが受け持っている縁で今回のアドバイス役を引き受けてくれた。
「メモを残しておきますので、成長に合わせてみてくださいね」
というと彼女はサラサラと「赤ちゃんの成長過程における育て方」なるメモを羊皮紙に記す。
その間、俺たちは赤ちゃんと格闘しているわけだが。
「人間の女の子の育て方なので、巨人族の男の子には通用しないかもしれません」
いや、メッチャ参考になる。すくなくとも赤ん坊がこんな手間がかかるとは思わなかった。
ララさんの文字は流麗にして読みやすい。らしい。俺には綺麗に書いているしかわからん。
「ひょっとして、『ララ・バード』か? 」「そう呼ばれていた時期もありますね」
ロー・アースの質問にこともなげに答えるララさん。
あれ? その名前どっかで聞いた事あるような……。
「えっと、ララ・バードって」
なんか、アンジェが持ってた本の写本家だったような。
ものすっご~く、その……。
「こほん。愛の行為を厭らしいとか、言葉に憚るとかいう風潮には我慢できなかった時期があったのですよ」
そういってニコニコ微笑むララさんは相変わらず頭の中身が読めん。
いや、アレって。いやいやいや。アレをララさんが書いたのか?
「『彼氏を喜ばせる仕草。夫婦で学ぶ女の悦びを得る方法』(レィディ・ソネット著 ララ・バード写本)
一晩1万銀貨と言う現役高級娼婦が書いたアレやコレの奥義の本だが、
「ララ・バード写本版」は明らかに写本家本人の経験談を反映したと見られる多くの補記やさりげない愛情表現の重要さを描いたものとしてメッチャクチャ高い値段がついている。らしい。
ちなみに、女性への秘伝として描かれていたらしいが、男性がみても参考になる内容になっている。らしい。
具体的に内容を言うのは憚れるが、アンジェが朗読してくれた際。
『実践してあげる』というアンジェに『困惑』をかけて逃亡せざるを得なかったほど内容的にヤバイ。
なんで俺の家から俺が逃げなければならないんだ。ミリアがいなければ野宿する羽目になるところだった。
いや、『五竜亭』に泊まることも出来るし、アキの部屋に泊まることも出来るんだが。
前者は後で宿代を請求されたらたまらんし(ファルコいわく、俺たちはタダでいいといわれているらしいが)、
後者は。そのぅ。なんだ。
アンジェとアキが引っかき傷を作りあう事件があってだなぁ。
まさか。女に。いや、いうまい。俺は世間的には男だし。
あと、アキの母親をメイって言うんだが、マジで猜疑心が強くてウザい。
悪い女性じゃねぇんだが、アレは閉口する。俺以上に毒舌だし。
……おっと。アンジェは慈愛神殿の同僚で、色々あってウチの莫迦親父が匿っている娘。
ミリアは尋常ならざるほどマズいレンバスモドキを焼くクッキー屋だ。それ以上の話は長くなるのでいつか話すよ。
(作者註訳:詳しくは『第五夢 幕間劇。翼喪いし天使と赤き瞳の盗賊 』及び、
『第六夢。あの子の影を踏まないで』を御覧ください)
閑話休題。
サラサラとメモを作成するララさんを尻目に、ぐずる赤子を必死で止めようとする俺たち。
「ロー・アース! 『眠りの雲』だっ?! 」
「ちぃやっ? 『困惑』?! 『困惑』ッ?!! 」
ぽーんと投げられたファルコはくるくるっ! と空中で回って壁に着地。
その左手には音響強化の役目を果たす盾と、右手には竪琴。
「~♪」
『眠り』の呪歌だ。強烈な効果があって俺たちまで寝る欠点がある。
「やめなさいッ!! 」
ララさんの一喝で俺たちの動きがピタリと止まる。
「びええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇっっん!!!!!!!!!! 」
空気が揺れる泣き声に耳を塞ぐ俺たち。
しかし、その泣き声以上に。
「魔法で赤ちゃんをなんとかしようとか。おびえているじゃないですかっ?! 」
……。
スタスタと暴れる赤ちゃんに近づくララさん。
「危ないッ?! 」「近づくなっ?! ララさんっ?! 」「ららのおばちゃん?! 」
一瞬の隙をついて、ララさんは赤ちゃんの後ろから抱きついた。
「よしよし。いい子。眠りなさい」
やがて泣き止み、すやすやと眠りだした赤子を見て唖然呆然する俺たち。
いま、魔法まったく使わなかったよな???
「心臓の音を聞くと優しい気持ちになるのです」
そういって彼女は眠った赤ちゃんに微笑んだ。
「みなさん」
相変わらず表情の読めないララさんはこう言った。
「そこに正座」
『正座』という拷問を受ける俺たち。
「ごめんなさい」「軽率だった」「ハルゼーしています」
それは高名な伝説の提督だ。猪突猛進にして慎重、ジョークを愛したと言う。
「『敵を殺せ。敵を殺せ。敵をもっと殺せ』では赤ちゃんの相手は務まりませんよ」
ララさんはニコニコ笑っているが、キレたアーリィ『さん』の笑みと同じくらい怖い。
それから。と彼女は微笑む。ビクッ! ファルコがびびる恐ろしさって相当凄い。
「ララ『お姉さん』と呼んでください」
半泣きでコクコクと首を縦にふるファルコ。
……無理です。