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2 ロー・アース

2 ロー・アース

 「お兄ちゃん。そのお話捨てちゃ駄目」

彼の幼い妹が叱責する。彼の手が止まった。


 「今度のお話は自信作だっていってたでしょ」「ああ」

実際そうだったがもう必要がない。


 「失職した。クビだ」彼が言うと少女は呆れた顔をする。

「……ギルド長さんと喧嘩したのね」そういって彼女は書きかけの原稿をどこかに仕舞う。


 「……それとも、私のせい??」

少女の問いに彼は首を振った。


 「うそつき」

少女は悲しそうに呟いた。彼は特に何も言わなかった。


 青年と少女が二人で暮らすにはこの部屋はあまりにも小さい。

しかし、実に機能的且つ丁寧に掃除されていた。

南側の窓には机があり、この世界では珍しいことだが本棚には所狭しと古書や不思議な品々が収められている。


 また、部屋内部には草で出来た床のようなものが床全体をおおい、

二人は履物を脱いでその上に立っている。


 寝るときは奥のドアに仕舞っている布団を取り出して床に直接敷いて寝る。

石造りが基本のこの世界において珍しい木造東方風の建築様式の部屋に二人はいる。


 「英雄になるより、素敵な人に好かれる話がいい。

素敵な複数の人に好かれる話より、

大好きな一人の人に愛される話ならもっとよい。

それは世界の存亡より人々にとってだいじなだいじなことだ。


 誰が好き好んで名誉のためだけに

命を捨てて困難に立ち向かう不幸な目にあいたいと思うのだ。

 それなら、愛する人が自分に振り向いてくれるほうがよっぽど良い。

泥の中で足掻き続けるなら、泥から抜け出して別の道を歩むことを考えてもいいではないか。

本当は皆幸せになりたい。そうありたいって望んでいるはずだ」


 少女は普段世話になっている青年の台詞をそらんじた。

「覚えちゃった」

そういって舌をだして兄に優しく微笑む。


 「ねね。お仕事どうするの?」

「お前が気にすることはない」にべもない。


 「ちゃんと、貯金しておいたよ」

少女は何処からか彼女の貯金を取り出す。殆ど使っていない。

「あと、ご飯も安く作れるよ」彼は答えない。


 「しばらく、何日も帰ってこれない日があるかも知れない」

青年は彼女に言う。


 「……嫌」

少女は俯きながら答えた。その表情は読めない。


 「もし、俺が帰ってこなければコダイさんたちにお世話になりなさい」「嫌だ」

「お前が大人になるまでのお金の心配はしなくていいから、安心していい」「嫌」


 「お兄さんやお爺さんたちのところに帰ってもいい」

「それは……遠慮しておくね」


 あのね。と少女。「ずっと一緒にいていい?」

……青年はお前が結婚するまではとだけ答えた。


 話は前後する。

この世界では大規模な印刷技術はまだ普及していない。

そのため、製本は手作りであり、写本は知識神殿をはじめとする有志たちによって成り立っている。

紙もいまだに羊皮紙が主流で、東方から輸入されはじめている「紙」はその役目を果たしていない。

 読者もいない。各種神殿や魔導士ギルドや盗賊ギルドや高級娼館などでほぼ無料で習得できるため、

この世界の識字率は我々の世界の中世ヨーロッパよりは遙かに発達しているが、

現代日本のように文字の読み書きが出来ない層が殆どいないといえるレベルにはまったく到達していない。


 本屋という職業はまだ一般的ではない。本自体が羊皮紙で出来ているためきわめて高価なのだ。

庶民が本を読みたい場合(かなり珍しい趣味である)、貸本屋を利用する。

このような世界において「小説家」という職業が極めて特殊な部類に入るのはご理解いただけるだろうか。


 人々は朝から日が沈むまで働き(灯火の油の節約のため、夜間は作業しない)、

夜は酒場に集まり、旅の吟遊詩人が奏でる古来の英雄譚や喜劇、恋愛の物語に快哉を贈る。

特に魔導帝国が滅んだ直後の新王国の歌は庶民に受けが良い。


 「今日から奴隷も貴族も無い。あるのは己が剣で困難の茨を切り砕き、開かれてゆく未来のみである。

本日より『剣の時代』として暦を改め、新王国を皆で作ろうではないか」

の下りで拍手喝采となりその日の歌が終わるのが定番だが、

同様に魔導帝国時代の名君の善政を描いた歌も人気がある。


 青年、ロー・アースがこういった世界においてその若さに反し、

「小説家」という不可思議極まりない貴重な羊皮紙の無駄ともいえる特殊な職業に就けたのは幾つもの幸運に導かれただけといってよい。


 王都中央を流れる川を眺めつつ、物思いにふける彼は、

親友でもある担当のワイズマンが止める間もなく、貴重なミスリル銀で出来たペンを投げ捨てた。


 「国王陛下から賜った品を」呆れるワイズマンに「もう俺はタダの平民だろ」と青年は苦笑して見せた。

「人々に希望を与える普通の物語を書ける平民だがな」ワイズマンは笑った。


 日々を労働に費やしつつ、生を駆け抜ける庶民こそ真の喜びを知るもので、

言葉を美しく飾っただけの物語では庶民を感動させることなど出来ないと思うワイズマンにとって、

ロー・アースは親友であり、理想でもあった。


 「ギルド長はバカだな」ワイズマンは笑った。

自分の著作の貸し出し件数や写本数が見えていないと続ける。

「貴族を中心にした英雄物語をもっと書け」と言われてもなぁ。ワイズマンは呆れた。


もちろん、どんな物語もこの二人はものにしてきたが。


 「吟遊詩人を敵に回す気か」

ロー・アースも苦笑している。


 「いまどき貴族主義もない」

ワイズマンは皮肉を言うが、彼自身は伯爵位である。

それも珍しいことに魔導帝国時代から連なる「本物の伯爵」だった。


 「お前が言うか」

ロー・アースが呆れている。


 「俺は雅を信じているからな。金や権力が欲しければ商人にでもなればいいのだ。

音楽、詩、文学、法学、経済はより良き未来を目指さんとする人間の魂の輝きだ。

貴族というのは財、魔、武、知恵をもってそれを護る者さ」

「そうか」ロー・アースはそれだけ言うと川の流れに再び眼をやった。


 「なぁ」「どうした?友よ」

「アレ、インクつけなくていいから楽なんだよな」「なら捨てるな」

「ちょっと潜ってとってきて良いか」「未練がましいぞ。友よ」

とぼけた会話を交わす二人だが、思うことは多々ある。


 「仕官しないか?」

ワイズマンの提案に「お前にこれ以上世話になるわけにはいかないだろ」とロー・アースは返答した。


 「お前なら文官としても武官としても充分だ。

作品もいくつか王家に上梓してきた。陛下の覚えもめでたい」

 「考えておく」

ロー・アースは背を向けたままひらひらと手を振って親友の側を離れた。


 「ちょっとイタズラ者を懲らしめてくる」

「手加減してやれよ」

立ち去る親友の背を見ながらワイズマンはつぶやいた。


 「友よ。私は最初の剣士の理想を夢物語と思っていないのだ」

彼も伯爵家の跡取りとして権力闘争とは無縁ではいられない立場だった。

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