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「なあ、さっき馬車に乗ってた女の子、もしかしてまたアレかな」

 右の門番が左の門番に小声で尋ねた。左は直立不動で正面を見据えたまま渋面を作り、うんともすんとも返さない。右は構わずに腰に下げた小剣を弄りながら続ける。

「そろそろ転職時じゃないか、俺達も。人食いの部下ってのもぞっとしないしなあ」

 そう言って大きく身を震わせる。

 左は一瞬だけ右を一瞥すると、すぐに視線を前へ戻しながら重々しく口を開いた。

「単なる噂だろうが、アレは。俺は旦那様を信じる」

「そういや厨房の奴らが四人ほど出て行ったな。残るはあの影の薄いカイムだけだぜ。さっき走って帰って来たけど、どうせあいつも出てくだろう」

「……」

「普通の人間なら耐えられないわなあ。おっと、噂だっけか。失礼」

 当てつけがましい声音で小剣から手を離すと、右は石の門構えに寄り掛かった。天気は晴朗、上空には鳶が輪を描き、いつも通りの平穏な昼下がりである。目の前の路は大きく開け、両側を鬱蒼とした森が囲んでいるとは言え、この館に近づく者は一目瞭然だった。

 風が木葉を撫でる音を遮るように、ぽつりと左が呟く。

「今度、子供が生まれるんだ」

 右は驚いて体を起こし、相手の顔をまじまじと見つめた。左は愛想が良いとは云い難い男である。仕事に忠実なおよそ遊びから程遠い人間で、右がいくら飲みに誘っても断るのが常であった。彼は何よりも家庭を大切にしているのだ。それは右も、常日頃から痛いほど知っている。

 右は彼に駆け寄った。僅かに潤んだ横顔の瞳を見ながら、その手を取って笑う。

「よ、良かったなあ! お前ずっと頑張ってたもんなあ! うん、そうだ、頑張ろう。俺も頑張るよ、左の! あんな噂話から旦那様を守ってこそ、本当の門衛だもんな!」

「み、右の……。かたじけない」

 二人は手を取り合って怒涛の涙を流した。

 悪しき流言によって離れかけていた二人の心が、今ひとつになったのだ。今日この日より、二人の岩の絆は館の防壁として山より高い門をここに築くだろう。鳶が祝福するように、一声鳴いた。

 地鳴りを聞いたのはその瞬間だった。

 最初は森林の中の腐った倒木が倒れる音かと思った。しかしそれは絶えることなく、逆にどんどんと大きくなってくる。やがて振動が地面から伝わってきた。

「な、なんだ?」

 二人が周囲を見回した時――それは路の果てから姿を現した。

 土埃を巻き上げながら信じられない速さで突進してくる巨大な白い怪物。黄色い凶暴な目は確実に二人を射抜き、荒れ狂うたてがみは束縛された太陽のように宙へと手を伸ばす。鼻面の浅黒いサンマ傷が目視出来る頃、二人は竦みあがって手に手を取って歯を鳴らせていた。

「で、で、出た――――!!」

 青空高く響き渡る絶叫を追うように、二人は青空高く蹴り上げられた。ほんの十秒足らずの、短い絆と共に。



 アルプーは満足げに正面で眠る聖女の顔を眺めながら、その叫び声を聞いた。館の遠くで、メイド達の絹を裂くような悲鳴と庭師や大工達の怒声が響いている。次いでどたんばたんがしゃんばりばりと尋常ならざる破壊音が聞こえ、彼は何事かと腰を浮かした。

 悲鳴と破壊音は館のあちらこちらを移動し、やがてこちらに近づいて来た。

「な、なんだ? 何事だ!」

 短い足を精一杯忙しく動かして少女の背後の扉に向かった時、すぐ外の廊下で相次いで叫び声が上がった。

「旦那様、変な馬がきゃああああああ!」

「屋敷を破壊してまわがああああああ!」

「ぎゃああ家宝の壷が粉々にいいいい!」

 その余りの阿鼻叫喚ぶりに思わず足を止める。賊か、と顔を青くした瞬間、扉を蹴破って巨大な怪物が姿を現した。白く太い足と丸太のような首、それが馬だと気付くには大分時間がかかった。余りの大きさに、顔が扉を潜れないのだ。

 ぽかんと口を開けて後ろ退ると、小さな何かが白馬の背から飛び降りた。

「じゃ、頑張ってね。こっちはあたしに任せて。……ってあらやだ想像通りのお方」

 背に残っていた誰かが少女のような声でそう良い置くや否や、怪物は窮屈そうに身を翻して元来た廊下を再び疾走する。再び巻き起こるぎゃあああわあああどばあああという狂乱が遠くなると、やっと我に返ったアルプーは目の前に仁王立ちになっている少年を見下ろした。

 相手の少年は挨拶も掛け声も何一つなく、両手を頭上に突き出して眉を吊り上げる。そして、叫んだ。

「注意一秒怪我一生、鉄拳一発入院生活!!」

 すると、少年の掌の僅か上に、歪んだ光線が集まる。やがて光は拳ほどの大きさの金属の石飛礫となり、領主目掛けて放たれた。

「うおお!?」

 アルプーは慌てて小隕石の群れから逃れるため、右往左往した。上手い具合に石をすり抜け、安堵した瞬間、最後の一発が太腿に当たる。それは成人男性に思うさま蹴りつけられたような衝撃をもたらし、彼は呻いて蹲った。

 少年は漸く術を実用的に使えた事に感動したのか、やや紅潮した顔で得意げに相手を指差した。長時間馬上にいた為か、やや蟹股気味の足でにじり寄りながら。

「巨体の癖にすばしっこいな、変態のおっさん。ガリは返してもらうぞ」

「…………が、餓鬼め、あの村の人間だな。このままで済むとでも思ってるのか!」

 痛みに耐える歪んだ顔で睨めつけられ、少年――キリアは暫くの間の後、さっと顔色を青くした。突きつけた人差し指をゆっくりと引っ込める。

「お――思わないなあ、そう言えば。おれって意外と猪突猛進型だったのかなあ、あはははは、はは」

 笑い声が部屋に空しく響く。

 キリアは顔をひくひくと引き攣らせながら、この状況を冷静に分析してみた。

 殺されそうなガリーナを救うために、ミミに乗せられたミッフィーで領主の館へ突撃、なみいる小間使い達を蹴り上げ部屋を壊し調度品を破壊しそして領主本人に向けて冥魔術。

 一瞬、気が遠くなった。

「あっれえ、変だな……普段のおれならもっと姑息な手を考えたのに……」

 ぶつぶつと呟く事で逃避に走っても現実からは免れられない。税は下がるどころか限界まで上がり、自分は死罪だろう。そう、死罪。さっくり焼かれるか刺されるかくくられるかするだろう。

 キリアは輝かんばかりの満面の笑顔で両手を広げた。

「ドッキリでした!」

「待て糞餓鬼」

 駄目だ、怒ってる。

 やっと回復したアルプーは、憤怒の為に顔が赤くなっていた。「この私に何をしたのか、解っているだろうな!」

 どん、と彼が力任せに食卓を叩くと、上に並んでいた彼のフォークやスプーンが遥か遠くで跳ね上がる音がした。その大きな音に、ガリーナが小さく呻いて身動ぎする。

 キリアは初めてそこに彼女が居ることに気付き、青ざめていた顔を引き戻した。

「ガリ! おいおっさん、そいつをどうするつもりだ!」

 俄然勢いを取り戻した少年を見据え、アルプーは口の端を上げた。傲慢で邪悪な笑みを発露させ、ガリーナの隣に立つ。

「私はね、若い処女の――」

「血を飲み肉を食してこの美しいハリのある肌、衰えぬ体力、尽きぬ精力を身に付けているのだよこの少女も私の血肉となるのだわっははは、だろうが。デブの癖によく言うぜ、その前にダイエットしろっつうの」

「うぬ……何故知っている、少年!」

「え、マジだったの!? そんなベタな!? うわキモッ! おっさんキモッ!!」

「………」

 領主は血色の良い肌をぷるぷると震わせ、顔を更なる怒りで真っ赤に染めながら、身を捩って煽る少年を凝視する。小さな目は血走り、怒髪天を突き、震える手は瘧のよう。キリアははたと口を噤んでその憤激を後悔と共に眺めた。

 手負いの猪を更に怒らせるようなことをしてしまった。解ってはいるがやめられない、このツッコミ気質の性格を呪う。

「執事ッ」

 領主がそう叫ぶや否や、何時の間にか痩せた人影が彼の隣に現れていた。キリアは驚いて一歩下がる。恐らく、食堂のすぐ外で呼ばれるのを予想して待機していたのだろう。執事根性天晴れな人間である。

 その人物は黒い服を皺一つ無く着こなし、薄い眼鏡の底から冷たい視線を子供に置く。

「殺しても構わん、痛い目を見せてやれ」

「かしこまりました」

 領主は執事にこの場を委ねると、ガリーナを抱えて食堂から姿を消した。

「おい、待てよ!」

 それを追おうと思いつつも、前に出る執事の歩調に合わせてキリアは後退りした。その佇まい、放つ気迫が尋常のものではないと感じ、冷や汗が滲み出る。じりじりと距離を縮められながら、すぐに冥魔術を使えるように意識を集中させる。

「先ほど遠目に拝見しましたが、貴方様は金の術が得意のご様子。その歳で冥魔術をあそこまで使えるのは大変珍しい。良いものを見させて頂きました」

「へん、じゃあ賃料として見逃して貰おうか」

「そうはいきません。術を使えるのは、貴方だけでは無いのですよ」

 型にはめられたような笑みを顔に貼り付けると、執事はゆっくりと両手を広げた。手と手の中空の空間が歪な力を集め始めるのを確認した時、少年の背中が壁に当たる。

 ――しまった!

疾走氷塊シーサイドスキーヤー!」

 身を切るような寒気が肌を刺したその時には、キリアは脚の筋肉に全力を込めて横に跳躍していた。地面に勢い良く転がり、慌ててその勢いを利用して左手を支点に立ち上がる。つい一瞬前まで立っていた場所には、彼の顔ほどもある氷の塊が二、三個、壁にめり込んでいた。

「…………」

 標的に当たらなかった事を悔しがる様子も無い執事と、蝋燭の光に輝く氷の刃を長い事見比べる。

 そしてキリアは、全速力で逃げ出した。

「ぎゃああああああ人殺しぃぃいい!! 聞いてねえよこのオッサン目がマジだよ怖ええぇぇ!!」

「僭越ながら、まだ二十四でございます」

 冷静に合いの手を入れてから、執事は再び術を放つ。

帆走氷海ウィンターサイトオブツガル!」

 瞬間、彼の佇む場所から扉に向かっていたキリアの足元に向かって氷が張る。うぎゃ、と踏み潰された毛虫のような――毛虫が叫ぶかどうかはともかく――無様な声をあげ、少年は滑る地面へと強かに体を打ちつけた。

 一瞬、息が止まる。腰を思い切り打ったようだが、目の前に星が散るばかりでどこが痛いのか全く判らない。しかし、体を起こすことすら出来ない。

 涙目でぼやける視界の中、執事が再び両手を広げたのが見えた。

(やばいやばいやばい、死ぬ死ぬ死ぬ!)

 そう思った瞬間、思考が停止した。

「それでは、御機嫌よう。――疾走氷塊シーサイドスキーヤー!」

「お前の母ちゃんでべそ!!」

 気が付くと、叫んでいた。

「な……」

 思わぬ言葉に虚を突かれ、執事は術の生成を中途半端に終えた。先ほどよりは小さな氷の刃、それでも鉄棒並の威力はあるであろう光る凶器が眼前に迫る。駄目だこりゃ死んだな、と妙に冷静にそれを見つめる。しかし、キリアの眼前まで飛んだ氷は、その目的を果たす事無く突然砕け散った。

 何が起こったか解らない顔をするのは、キリアだけではなかった。

「なんと。そんなに早く術を放てるとは――いや、それともそんな不謹慎な呪文で」

 キリアは無意識の内に瞬時に術を編み出し、氷刃と同じ程の大きさの金属を相手に向けて放ったのだ。それも、どうでもいい悪態を呪文として。

 そのどちらに驚嘆すべきか悩んでいる執事を尻目に、キリアは妙に冴えた頭で粉々に砕け散った鉱物と氷の破片を眺める。

(ああ、悪口の方が強いのかおれ……今度呪文変えよう)

 漠然とそういう考えに至った時、衝撃と疲労の為に彼は氷上で意識を手放した。

 執事は気絶した少年を見下ろし、暫く黙思していた。やがて館内で暴れる怪物の足音が近くなったり遠くなったりするのを耳にすると、顎に手を当てて誰に言うでもなく呟いた。

「ふむ、ここらが潮時でしょうか。沈む船を浮輪にして脱出せよと申すのが我が家の家訓でございます。旦那様、長い間お世話させて頂きました。そしてまた会いましょう――我が朋友らいばるよ」

 眼鏡を押し上げ、ぐったりしている少年に一礼すると、脱兎の如く館から逃げ出した。まだ破壊されていなかった調度品の一つ二つを土産にするのを忘れずに。

 後には、地響きと無残に壊された部屋だけが残った。


   +


 ――――テ。

 ――スケテ。

 食ベラレタ。

 ユルサナイ。

 食ベテヤル。

 ――――オ前モ!


「ってぎゃああああああ食べられてる食べられてるおれ頭食べられてるよタスケテー!!」

 キリアは悪夢から逃れるように跳ね上がり、両手を力の限り振り回して頭上の物体を突き放した。

「やあね、じゃれてただけよ。ねえミッフィー?」

 ウルルル、とガラの悪い白馬が同意するように頷く。しっかりとミッフィーの歯形の残った額を押さえながら、目の前に立つ怪物と背の少女を見て、やっとキリアは現実に帰ってきた。慌てて立ち上がり、滑る足元に気を取られながらも周囲を見回す。領主もガリーナも執事も消えていた。

「……生きてる……」

「氷の上でがたがた震えながら寝るなんて、貴方も奇特な趣味のひとね。ところで、この惨状はもしかして冥魔術合戦があったのかしら?」

 見たかったわあ、と目を輝かせながら溜息を吐くミミに目もくれず、キリアは震える体を縮めた。

 初めての戦い、初めての敵。初めての、人に向けての術。

 今更になって、震えが来る。

「……うわああああん生きてるって素晴らしい! 素晴らしいよ、なあミミ!!」

「どうでもいいけどガリ様とあのおでぶさんはどちら?」

 感涙の絶叫をあっさりと流され、天井へ向けて広げた両手の行き場を無くしたキリアはそのまま固まった。徐々に明瞭としてくる頭を動かして部屋の中を見回し、暖炉の隣にある小さな扉に気付くと、ミッフィーの背の少女を見上げた。

「おれをここに置いてから、どれくらい経つ?」

「そんなに経って無いわ。十分強かしら、あたしが陽動作戦にあたってる間は」

 あの破壊工作は陽動作戦だったのか、と口の中でもごもご言いつつも、キリアは扉に向かって駆けた。

「領主もガリも、廊下では見なかったよな?」

「ミッフィーが通れるほどの広さと高さの所では一度も……って、もしかして逃がしたの? 何やってたの、あたしが必死で命賭けてる間!」

 だん、と主人の怒りを感じた怪物が地面を打ち鳴らす。キリアはノブを滅茶苦茶に回して鍵を壊し、蹴り開けながら、今さっき死にかけていたことは黙っておくことにした。

 ドアの向こうは薄暗く狭い渡り廊下になっていて、裏庭に面している。この先には穀物庫、倉庫、小間使い達の寄宿舎、そして厨房があるようだった。アルプーはガリーナを連れてここから出て行ったに違いない。

「逃がさねえよ、絶対に。止めさせるんだ、あんな馬鹿なこと」

 ミミはその言葉に怒りを鎮めたようだった。そして「当然ね、あの不健康そうな方はガリ様に相応しくないわ」と笑うと、窮屈そうに佇む白馬の腹を蹴る。

「十五分よ。それ以上は流石にミッフィーも飽きちゃうだろうから」

 再び騒乱を巻き起こしながら、廊下を駆けて行った。

 最後まで彼女の勘違いを是正しないまま、その後姿を見送ることなく少年は狭い廊下に飛び出した。石造りの地面は、先程までの華やかな絨毯に慣れた目には随分と無骨に映る。しかし丁寧に均された様子を見ると、食事の際にはここから料理が食堂へ運びこまれるのが想像に難くない。

 裏庭は非常に広大で、遠くでは整列しているメイド達の姿が見える――普段からの避難訓練が役に立っているようだ。全速力で駆けながら、廊下から出る扉を片っ端から蹴破って進む。

 八つ目の扉を開けた時、彼は勢い余って転びそうになった。

 そここそ正に捜し求めていた厨房で、奥には見慣れた三人の姿があった。

 ガリーナと、彼女を抱える領主、そしてそれに対峙するカイム。ミッフィーよりも速くここに到着していたらしい彼の手には、研ぎ澄まされた包丁が鈍い光を放っていた。

「ガリ!!」

 キリアは絶叫しながら、薄暗い厨房へと飛び込んだ。

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