きりの囲い
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
こーちゃんは、いま自分がどこを歩いているか、分かっているかい?
いや、地図上でどの地点を歩いているかはたいした問題じゃないんだ。昨今のスマホなどに入っているマップのアプリはなかなかお利口さんだからね。
ただ、入っている情報を処理することばかり上手くなり、実際に起こっていることへの反応がにぶくなる……というのも、人間にはよくあること。
人体だって、己のパフォーマンスを高めたいと考えている。余計なことには労力を割かなくなり、求められていることに力を注いでいく。そのため、定期的に訓練なりをしておかないと、その力はさびついてしまうんだ。
いまや、多くの仕事を人間のかわりにやってもらえるようになっている。それにつれて、人間に本来そなわっている力も切り捨てられ、いまや多くの人は力を失っている状態じゃないかと思う。
この力に触れる機会。私は子供のころにあったのだけど、ちょっと聞いてみないかい?
立ち入り禁止の区域。
子供心に興味をそそられるところだと思う。禁止されるからには、理由がそこにあるわけで、それが何なのかを自分で確かめたく考えてしまうんだ。
禁忌を破ること、そのものに魅力を感じて満足してしまう人もいるかもしれない。いずれにしても、その制止の印は制止の力になるとは限らず、トラブルを招いてしまうこともしばしばだ。
けれど危険によっては、ずっとそこにとどまってくれるとは、限らないかもしれない。
ルールの決まったスポーツと違い、純粋な運動は刻一刻と場所を変えていきがちなんだ。
僕の住んでいたところの立ち入り禁止区域は、とある神社の裏手にある藪の一角だった。
そこにしめ縄が渡されているのだけど、すでに僕は昔に一度、藪の中へ入っている。
なんということはなかった。茂った葉と枝が密集し、それらをかき分けていくうちに反対側へ出てしまった。
何度か繰り返しても、藪の中で禁止の源と思しきものを見つけることはできず。かといって、大人たちに尋ねるわけにもいかず。
興ざめだなと思いつつも、道路のある神社側へ戻りかけて、ふと気づいたんだ。
神社の角にあたる石柱の中ほどに、横一文字の深い傷が入っている。僕が藪に入る前までは存在しなかった……と思う。あまり気にしていないから、記憶もあいまいだ。
でも、これほどの傷をつけるなら、相応の音が僕の方へ聞こえてきてもいいはずなのに、それがない。いぶかしく思いながらも、僕はその場を後にする。
その日以降、住んでいる地域のあちらこちらで、この突然の切り傷が見られるようになった。
多くは塀とか家の壁とかだけども、ときおり生き物でも被害に遭っているんじゃないか、という切り傷が見られる。
小さい生き物であったなら、判別が難しいけれども、これがハトとかネコとかイヌなどの大きさだと、はっきり負傷としてあらわれる。
真一文字の深い切り傷。切断に至らなくとも、その寸前まで傷つけられて、満足に身体の機能を果たすこともできなそうな重たいものばかりだった。
これらの被害、人間には出ていなかったからねえ。変質者のしわざだろうと、長くうわさされていたよ。
でも、この僕自身が人間、最初で最後の被害者になったのさ。
ある日の家の上がりかまちへ腰かけたとき。
じんわりと、膝の裏側が濡れるのを感じた。てっきり汗かと思って手をやると、べったりと赤いものが。
自分の血だと思ったけれど、そこに傷は残っておらずに皮膚がちゃんとある。
なんだ? と思う間に、今度はその血に染まっていない部分の指先が、切れた。何も触れていないにもかかわらず、ひとりでにだ。
痛みはない。ただ、血がどばっと出る。そして、僕が目をやると傷はすっかり消え去って、血だけが残っている。
たぶん、1分やそこらの時間だったと思う。僕はあちらこちらを一文字に裂かれ、またすぐに塞がれた。
そこには大量の出血のみをする、僕だけが残されたんだ。家族には大騒ぎされたけれども、僕の説明はさすがに不可解だっただろう。信じてはもらえなかったねえ。
僕以外の人間で、同じような被害に遭った人はいない。いや、知らないだけかもしれないが。以降、他の動物や建物に関しても傷がいきなりつくことはなくなったんだよ。
でも、あの傷を負わせたものは探していたんだと思うな。あの禁止区域に立ち入り、僕が気づかないまま持ち去った、なにかを探るために、と。




