第三話「異界の花嫁」
壁の穴は、夜ごと広がっていった。
最初は指先しか通らなかったそれが、今では腕を差し込めるほどになっている。
そして――その夜。
彼女は姿を現した。
黒髪が月光を受けて艶めき、白い肌は夜に溶けるように滑らかだった。
赤い瞳だけが、闇の中で鮮烈に輝く。
「会いたかった……ずっと、あなたに」
その微笑みは、甘く、そしてどこか哀しげだった。
触れ合った瞬間、冷たいはずの手が、じんわりと温かさを取り戻していく。
まるで俺の熱を奪い、彼女の中に宿しているかのように。
唇が近づき、囁きが落ちる。
「わたしを、受け入れてくれる?」
抗えなかった。
その声は、命よりも甘美に響いたから。
唇が重なり、世界が反転する。
次の瞬間――。
彼女の舌が蛇のように長く伸び、俺の喉奥を這った。
赤い瞳は艶やかに揺らめきながら、深淵の闇を孕んでいる。
「あなたは選ばれたの。
今夜から、わたしの花婿――わたしの契約者になる」
背筋に走る恐怖と、抗えぬほどの甘い陶酔。
俺は理解した。
これは恋ではない。
けれど、恋以上に逃れられない“結び付き”だと。
彼女は壁の向こうから来た異界の花嫁。
そして俺は、もう後戻りできない契約を結んでしまったのだ――。




