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本編 第一話「囁き」
本編 第一話「囁き」
壁に、小さな穴があった。
ほんの指先ほどの小さな傷。
けれど、その夜、そこから確かに「声」が聞こえた。
甘い吐息。
少女とも女ともつかない艶めいた響き。
耳の奥に溶け込むようなその声は、眠れぬ俺を誘い出す。
――触れてみたい。
無意識に、俺は穴へと指を伸ばしていた。
触れた瞬間、温かく、湿った感触が絡みついてくる。
ぞくりと背筋に電流が走る。
「もっと……来て」
囁きは確かに聞こえた。
幻聴ではない。俺に語りかける声だ。
一本、二本と指を入れるごとに、声は熱を帯びてゆく。
まるで愛しい恋人がすぐ隣にいるかのように。
やがて五本の指が呑み込まれたとき――穴の奥で蠢く“何か”が、俺の手を握り返してきた。
柔らかな感触。
それは確かに、人の掌のようだった。
「やっと見つけた……わたしのひと」
甘やかな声が、耳朶を溶かすように響く。
恐怖と歓喜がないまぜになり、心臓が破れそうなほどに脈打った。
――その時、壁の奥から赤い瞳が、こちらを覗いた。




