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■5■ 法医学医の話

 こんな事件は初めてですよねえ……部長、あなただってそうでしょう?


 現場に残ってたのはこの、ほら、この腕だけですよ。


 まったく、わけがわかりません。

 いや僕が『わけがわからない』って言っちゃいけないんですけど……


 間違いなく、これは被疑者の右腕、前腕部です。

 DNA鑑定結果はまだですが、腕の指紋と被疑者のワンルームから採取した指紋は一致しています。


 被疑者は……まだ見つかってませんよね?

 あ、つまり腕の本体のほうです。

 いったいどうやって逃げたんですかねえ?


 てかあなたたち捜査員10人もいて、いったいどうやって犯人を逃がしたんですか?

 まあ、右腕を失った男がどうやって人目につかず逃走してるのか、まったく想像つかないのが事実なんですけど。


 とりあえず、この腕は切断されてはいません。

 はい、この断面を見て下さい。


 ほら、まるく尖ってるでしょう……真ん中に見えてるのが橈骨と尺骨です。

 ご報告のとおりだと、現場に血痕はまったく確認できなかった……らしいですね。


 そうだと思います。


 刃物などで切断したなら、こんな断面にはならない。

 じゃ、どうやって腕をこんなふうに……切断……じゃない、なんか適当な言い方ないかなあ……まあ、“取り外す”ことができたか、ということになりますよね?


 強い酸で溶かしたんじゃないかって?

 いや、それはないでしょう。

 フッ化水素酸? ……あのアメリカのドラマですか?


 まあ硫酸とか水酸化ナトリウムとかいろいろありますが……

 そういう類いのものを使用したなら、すべてそれらからは有毒ガスが出ますので、保護された少女も突入した部長さんら刑事さんたちも無事じゃなかったでしょうねえ……


 でも誰も倒れなかったし、その後の体調不良もなかった。

 ということはつまり、人体を溶かすような薬剤が使われたわけではありません。


 鑑識もあの部屋からその類の痕跡はなかった、と言っています。

 じゃあなぜ、こんなふうに……?

 

 とりあえず、こういうケースを実際に目にするのは初めてです。

 だから、全国の知り合いの法医学者に確認してみたんですが……

 


 ……え? なに?

 現場の水? ……話の腰、折らないでくださいよ。

 

 ああ、あなたの部下の女性が言ってたアレですね。

 今日は彼女、どうしました?


 あ、別件の聞き込み?

 彼女、僕のこと避けてるでしょ?

 てか、僕のことめちゃくちゃ嫌ってますよね?

 あはは……見ればわかりますよ。


 なんか僕、若い女性には嫌われやすいんです……とくにああいうタイプの女性には……

 ていうか部長、『そうでしょうねえ』って顔しないでくれます?


 まあいいですよ……彼女に言われるまでもなく成分分析はしてますよ。

 そりゃしますよ。彼女、僕がそんなこと見逃すとでも思ったですかね?


 ま、水の件はいいです……それはあとで話します。

 まあ、いま、助手が成分を調べてますからすぐ結果が出るでしょう。



 ……で、腕の話に戻りますけれども……

 さっきに言ったようにこれは切断されたわけではありません。


 なんでこんな断面になっているかというと……ほら、見て下さいこの尖がったかたち……なにか思い出しませんか、部長?


 アイスキャンデーを食べてて、それを一旦おいて、そのまま忘れてしまった、って経験はありませんか? ……あ、ないですか。僕はよくあります。


 あれと同じです。

 溶けてるんです。


 そのうえで言うんですが……

 部長、なにか気づきません?


 いや、はい……まあ確かに腕です。それはわかっています。

 ほら、よく見て観て下さい……まだ気づきませんか?

 気づかないですか……まあ仕方ないですね。


 腕の長さです。

 ほら……よーく見て下さい……ね? どう思います?


 きのうの午後、部長ら捜査員の皆さんが被疑者の部屋に突入されたとき、この腕だけが少女の足に手錠で繋がれて残ってたんですよね?


 この腕をまず発見されたときのこと、よーーーく思い出してください。

 ほら……見て。この丸くとんがって肉が見えてるところの位置……


 どう思います?

 昨日より、わずかに短くなっているでしょう?


 わかりません?

 まあいいです……確かに、短くなってるんです。


 普通、こちらでお預かりしてるご遺体は3~4℃で保管してるんですけど、その温度じゃどんどん溶けて短くなってしまうんですよ。


 だから急きょ、-18℃で冷凍保存しました。

 そうすると液化……仮に、そう呼びますけど……液化を止めることができました。


 つまり、この腕は……どんどん液化してるんです。


 ほら、だから先端が途中で食べるのを忘れたアイスキャンデーの先端とそっくりでしょう?

 ……と言っても部長には伝わらないか……


 もちろん……あなたの部下の女性警官に言われるまでもなく……

 液化してできた水分の成分は検査に廻してますよ。


 あ、そうそう……そこでさっきの話です。

 全国の知り合いの法医学者・監察医にメールで問い合わせてみたんですよ……こんな案件をいま担当してるけど、似たようなケースはないか、って……


 そしたら……あったんですよ。

 それが六件も。


 全国で散らばってるんですが、北海道で一件、名古屋で一件、大阪で二件、熊本と鹿児島で一件ずつ……

 どれも、この案件のように……ご遺体の一部だけが発見されたケースでした。


 これと同じように、残っていたのは腕であったり、足首から下であったり、指だけ、というのありますし、髪の毛と歯と眼球だけ、みたいなケースもあったようです。


 まあ今回のケースとは違って、遺体の一部が発見された場合、ふつう“死体遺棄”の線で警察は捜査しますよね?

 それで、僕ら同業のところに腕や、足首や、目玉やその他の部位が持ち込まれてくるわけですが……それらがほぼ、持ち込まれた数時間後~半日の間に溶けてなくなってしまったらしいんですよ。


 あっという真に……その、液化してしまったらしいんです。

 はっきり言って、本体がなければわたしたちも調べようがありません。


 結局、これが何なのか、わからないままですよ。

 まあ……今回の件で僕が、冷凍保存することで液化を食い止められることを発見したわけですけどね。


 それに……持ち込まれた各部位が消失したから、ってわけでもないんでしょうが、それぞれの件で各県警の捜査員の皆さんがいろいろ調べた結果……どれもこれも『事件性なし』で捜査打ち切りになったらしいんですね。


 つまり自然死……? という扱いになったようなんです。

 発見現場には第三者がいた痕跡や、『事件』を匂わせるようなものは何も見つからなかった……よって『事件性なし』です。


 でも……方々で発見された遺体の一部ですけど……

 放っておけばぜんぶ溶けて無くなっちゃうわけですよね?

 そもそも……『発見』すらされてないケースは、無数にあるのかもしれませんね……


 あくまで仮定の話ですけど。


 今回のケースは少女の誘拐・監禁っていうあきらかに事件性あるケースだから、まあ“全国初”のレアケースですよ。


 しかしそれにしても……どういうことでしょうねえ?

 あ……やはり部長もそう思いますか?


 そうですよねえ……被疑者の男が「右腕を残して逃走した」んじゃなくて「右腕を残して消失した」んじゃないか、って……


 でもそんな話ふつう、常識じゃ考えられないですよね?

 ありえない話ですよ。


 たしかに、人間の60%は水分でできてますよ……ご存じのとおり。


 新生児なら身体の80%が水分で、加齢に従って身体を構成する水分の割合は少なくなっていきます。人にもよりますが、高齢者になるとその割合は50%にまで落ち込む。


 でも、仮に、ですよ、被疑者の年齢は30代ということですから……何らかの、何かの事情で“溶解”したとしても……残り40%はタンパク質や脂肪、無機質なのでそれらが現場に残されているはずです。


 しかも、被疑者が着ていた衣服も残されてなかったんですよね?

 ……だから犯人はいま『逃走中』ということになってるわけですが……

 


 あ、ごくろうさん……ありがとう。

 ああ彼女、はじめてでしたっけ?


 うちの大学院の学生で、いま助手をしてもらっています。


 で、コレ……部長の部下の女性も気にしてた「水」の成分調査結果ですよ。

 ふんふん……タンパク質、炭水化物、脂肪、アミノ酸、電解質……


 おいおい、ホントか? 


 ……これ、君のお父さんが持ち込んだ水と同じ成分じゃないか?

 タクシーの後部座席に残ってたっていう……アレだよ。

 

 ああ、失礼しました。

 現場から採取された水、遺体から溶け出した水、それに……他府県にいる知り合いの法医学者が興味本位で検査した、遺体の部位から溶け出した「水」……



 これ全部……成分的には妊娠中の母親の羊水と同じ成分です。



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