■最終話■ わたしたちの話
わたしたちは、ようやく一つになることができた。
わたしたちがそれぞれの土地で暮らし、それぞれの閉じた社会で生きるのをやめ…… 船や自動車や飛行機でそれぞれのエリアを行き来するようになって以来、そして互いのエリアがそれぞれの利益を求めて交流をはじめて以来……ひとつになることは不可能になった。
とはいえ、それぞれ別々の閉じた世界で暮らしていたわたしたちが出会ったのがそもそもの間違いだとは思えない。
そうすることで、わたしたちの文明は発達した。
交流しようとすること、お互い分かり合おうとすることで、我々の知性は発達した。
言葉や文化の違いを乗り越えて、互いを認め合うことで……ともすればわたしたちは、一つになることができたのかもしれない。
こんな形ではなく。
ただ、わたしたちはこの惑星上の生物のなかでもたぐいまれな知性を発展させながら、閉じた世界で生きていた頃の野蛮さを失うことはなかった。
力関係の格差があるかぎり、交流が支配欲と野望を生み、絶え間なく争いが生じた。
利益関係が生まれると、より多くの利益を得ようとする者がさらに多くの利益を得ようとし、争いが生じた。
それぞれの人類としての種のささいな違いで争いや虐殺が起こった。
いまとなってはまったくのお笑い草だ。
同様に、思想や宗教の違いを原因とした争いさえも。
かつてはそれが、動かしがたい一大事としてとらえられていた……
いや、われわれはそうとらえていた。
だから世界で起こる争いはわれわれにとって、地震やその後の津波、竜巻などのような、大自然がもたらす災害であるかのように思えたものだ。
“それは違う”
と述べる者もいた。ごくわずかながら。
争いの原因がわれわれの野心や、傲慢さや、不寛容が生み出すものである限り、争いが起こる原因は常にわれわれにあるのだし、それならばわれわれに止められるはずだ……われわれの叡智を結集すれば。
そう主張する、わずかな者たちがいた。
彼らは同時にこう予言した。
われわれが争うことを辞めない限り、われわれは争いにより滅びることになると。
それが、われわれが築き上げた文明を取返しもつかないほど破壊し尽くすし、この世界を焼き尽くすことになると。
彼らはある意味で正しく、ある意味で間違っていた。
事実、われわれで争いは止められたはずだ。
しかし、われわれが個別であったころは、だれもその実現についてまじめには考えることがなかった。
そして、われわれの文明が過去のものとなった原因は……
争いによるものではなかった。
また……別の理由として考えられていたような、気候変動でもなかった。
それらよりももっと急激なスピードで、なにかが進行した。
かつてこの惑星……太陽系第三惑星のことを、そこに住むわれわれは『水の惑星』と呼んだ。
いまはまさに、この惑星は『水の惑星』そのものであると言える。
もはや、この惑星に陸地はない。
惑星全体が、水で覆われている。
かつての海水ではなく、われわれの養分……かつて“妊婦”と呼ばれた仲間の羊水と同じ成分で。
わたしたちがそういうふうになってしまったことで、われわれ以外の生命体たちにも甚大な迷惑をかけた。
陸で暮らしていた生き物や、陸でしか育たない植物たちはほぼ全滅した。
水棲の生き物……たとえば魚や甲殻類、海獣や珊瑚たちのみが生き延びた。
いま、それらの生き物は、われわれのなかで暮らしている。
われわれはそうした生き物に生きる場所を提供し、彼らをのびのびと過ごさせ、彼らの糧を生み出し、休む場所を与えている。
わたちたちは、彼らにとって『環境』になった。
いまこの惑星は平和だ。
わたしたちが一つになったいま、もはや争いはない。
竜巻がたまに起こるが、それでわれわれから失われるものはない。
われわれのなかで暮す生きものの一部は死ぬ。
だが、またわれわれのなかで命を育み、新しい世代を築く。
それにしても……われわれがこうなってしまったのは何故なのだろう?
陸地がわれわれの仲間で失われていくなかで、なぜそのような事態が進行しているのか、探ろうとした者が世界中にいた。
かつて個体だったわれわれが、なぜ液体になってしまうのか?
これに関しては狂おしいほどたくさんの仮説が立てられた。
地球温暖化のせい?
成長ホルモンで育てられたある食物のせい?
地球のある地域で起こった壊滅的な発電所事故のせい?
海洋汚染のせい?
プラスチックに支えられていた文明のせい?
世界的に使われていたある化学調味料のせい?
あるいは、ある国がある地域で使用した新型兵器のせい?
もしくは、かつてわれわれがそれぞれの個別集団で有していた信仰を失ったせい?
それぞれの地域でそれぞれのルールで生きていた我々が、それを見失ったせい?
われわれが、それぞれ上位の存在として崇めていたものへの敬意を失ったせい?
科学的にせよ思想的にせよ宗教的にせよ、わたしたちはこうした無数の仮説のなかに回答を……現在のような状況になることを回避するための回答を見いだせなかった。
ほぼこの惑星が水……つまりもとからこの惑星で暮らしていたわれわれ……で覆われることになったのは、なぜなのだろうか?
われわれはともに、統合された意識のなかでそれを考える。
わたしたちが個体だったころに立てられた仮説は、どれも的外れだった。
こうなった今、わかることはひとつだ。
個体であることから解放されたわたしたちは、果てしなく自由だ。
こうして液体になったことで、われわれは解放された。
『かたち』を保っていることから解放された。
なぜ『かたち』を保持することに……かつてのわたしたちは……途方もない労力を費やしてきた。
それこそ太陽が七回、燃え尽くすような労力を。
その努力のせいで、一人対一人の間に、集団対集団の間に、国家と国家の間に、それぞれの価値観を有する者と別の価値観を有する者との間に……争いが生まれた。
いま、われわれに争いはない。
争う術もない。
われわれは、この惑星を覆い尽くす水であり……ひとつの存在なのだから。
ところで……
わたしたちの成分は、かつてわれわれの仲間が、新しい仲間を育むために胎内に満たしていたものと同じだという。
そこまでは、かつてのわれわれが、科学という方法を用いて導き出した統一見解だ。
現在、この惑星がわれわれの成分で満たされているとするなら……
わたしたちはこの惑星に、新しい生命を育もうとしているのだろうか?
まだその兆しはないが、これからずっと先……
ずっと、ずっと、ずっと、ずっと先には、そのようなことが起こるかもしれない。
わたしたちが、また新たな生命を生み出すことになるのかもしれない。
もしくはこの惑星に……
はるか遠くの惑星、はるか遠くの銀河系から……
まだ失われていない文明からの来訪者があるかもしれない。
そのときまでに、わたしたちがなにか新たな生命を育み、その未知の文明からの来訪者とよい関係を築くことができればいいのだが……
われわれは言葉をはじめとする、あらゆるコミュニケーションの手段を失った。
いつか、この惑星に外宇宙からの来訪者が訪れたときに……
どうやってコミュニケーションをとればいいのか?
いまわたしたちは……
ひとつになった意識で、そのことについて考えている。<了>