後編
父上を陥れた男が憎かった。
清廉という評価のある父上だったから、小さな悪事でも大きな悪事に思われて失脚させることは簡単だっただろう。
父上のことを尊敬していた人が母上と私を密かに匿ってくれた。
その人の知人が、心労が祟って亡くなった母上との別れを済ませた私を引き取ってくれた。その家の娘と恋に落ち、やがて婚約を意識するようになった頃。
彼女があるお茶会で出会った友人の名を聞いて、忘れることが出来なかった父上を陥れた男の娘だと気づいた。
「復讐したい」
私の気持ちを彼女は理解してくれた。計画を一緒に練った。彼女ではない女と婚約するのは胸が痛い上に相手があの男の娘。心に付けられた傷から血が流れ落ちるような痛みを押し殺しても、復讐したかった。
そして、彼女の紹介で出会うことになった。
彼女からは二十二歳を越えても婚約者が居ないとは聞いていた。
その理由は恋愛結婚したいとかっていう子どもじみた夢見がちな女の我儘だ、とか彼女が教えてくれた。
そんな女ならちょっと甘い言葉を囁けば簡単に落ちるだろうと思っていた。
だが、あの男の娘だけあって、何やら警戒されていた。彼女を友人扱いしていたのは確かだが、よく観察すると、彼女を含め、どんな相手でも一線を引いていた。
これは、見た目や話す内容に騙されたら痛い目を見る、と気づく。夢見がちな甘ったれた性格は間違いではないのかもしれないが、それだけじゃない部分もあって、それだけじゃない部分を隠すために一線を引いているようだ、と。
もしかしたらそうして人を見極めているのかもしれない、と思う。
だから彼女に推測したことを話して、かなり踏み込んだアプローチをすることの許可を得る。彼女は渋い顔をしたものの、ある程度で婚約解消して、落ち着いたら結婚しようと宥めながら、あの男の娘に踏み込んでいった。
それが功を奏して警戒心が解れ表向きの婚約者の座を掴んだ。
彼女に報告しながら、彼女との逢瀬を楽しんで癒されるとまで言えば彼女は機嫌を直してくれた。
それからあの男の娘と婚約者のフリをするために甘い言葉に愛を囁き、贈り物にデートも重ねて。かなり私に傾倒してきているのが分かったので、頃合いを見計らってあの男の悪事の証拠を手に入れるために、手引きをさせようと考えていた。
そんな時だった。
「話があるの」
あの男の娘がいつになく真剣な顔だったから、もしや企みがバレたのかと思ったのだが。もちろんそんなことは顔に出さないで、どうしたのか尋ねる。
「あのね。私、立場が立場でしょう? 誘拐されかかったことも何度かあるの。護衛に助けられているから未遂で終わるのだけど。でもね。十代半ばの頃の誘拐未遂で失敗を悟った犯人が逆上して。腹いせに粗悪な避妊薬を大量に無理やり飲まされたの。医師に診てもらってね。子が出来る可能性が低い、と言われたわ。なんで避妊薬を持っていたのか、そういう疑問も吹っ飛んだわ。もうどうでもいいと思ったの。だから婚約者どころか結婚する気もなかったの。でもあなたが現れて、結婚してもいいかなって思えて。だからこそ、子どもを持てないかもしれない、と伝えておきたかったの」
目の前に居る女は、痛みも悲しみも苦しみも何もない、苦労知らずのお嬢様だと思っていた。呑気で甘やかされた女だ、と。
そんな女の日常を壊すことに罪悪感なんて無かった。自分が壊されたのだから、お前も壊れろ、と。
それだから。
それだから、こんな話を聞かされるなんて思わなくて。
この目の前に居る女は、この人は、あの男の犠牲者なのだ、と知った。
子が産めないかもしれない、ということを婚約者に告げるというのは、とても勇気がいったのかもしれない。そう思ったら演技で甘やかして愛を囁いていることに罪悪感を抱いてしまった。
そんな気持ちが無意識に出ていたのか、なんだかいつもと違う、とあの男の娘からも、彼女からも言われてしまうことに。
あの男の娘の方は気のせいと言えば、納得したが、彼女はそんな曖昧な言い方では納得しない。それはそうだ。恋人である私が演技とはいえ他の女と婚約しているのだから。辛いに違いない。
だから、彼女と話す内容に、あの男の娘を疎ましく思うようなことまで口にしていた。憎い男の娘だし気にすることも無い。そう思っていたのに。
そんなことを彼女に言い出した頃から、あの男の娘があの男の悪事の証拠を掴ませるような行動をしてくるようになった。
父親を陥れようとする男にそんなものを掴ませるなんて愚かな女だ、と蔑む気持ちもあった。
そうしてあの男の娘と婚約してからおよそ一年経った頃。だいぶ悪事の証拠は掴めたし、父上を陥れた証拠も見つかって。これであの男を追い落とせる。好きでもない女との婚約を解消できる、と思いながらも、本当にそれだけでいいのか悩んだ。
何も知らない女に婚約解消を突き付けて、その父親に復讐して、それで彼女と結婚する。
今になって、その計画が苦しくなった。
なぜなのか。分かる気がするが、分かりたくなくて見て見ぬフリをする。
でも苦しさは積み重なり。
結局、彼女と結婚するのではなく、あの男を自分の手で殺して自分も死ぬのが、苦しさから抜け出す方法か、と思った。
だから。
あの男の娘に全てを知られて、あの男をこの手で仕留めることすら読まれていたことを知って動揺した。
あの男の娘から愛されていたことも気づいていて、その気持ちを利用していたのに、それすらも受け入れられていて。
中途半端に優しくしてしまったツケのように、最後の最後にあの男の娘から眠り薬を嗅がされて。
意識が半分朦朧としながら、誰かに、あの男の娘の言葉から察するに専属侍女だろうが、その者に支えられながら歩いて。
そうして外に連れ出されたらしい、と分かった。彼女が心配そうな顔をしてこちらを見たから。
そこで意識を失った私は、翌日の夜に私の復讐を手伝ってくれた恋人の彼女から、その後のことを聞かされた。
彼女があの男の娘の専属侍女から聞かされたことによると、父親の悪事を知って動揺し、心を痛めた娘が父親が捕まるのも見たくないから、と眠り薬を父親に飲ませて父親を殺し、自分も自害した、というもの。
これで私になんの瑕疵もなく婚約が無くなり、更には周囲から同情も受けられる。その上に、彼女が献身的に私を支えてくれたことで二人の間に愛情が育ち、頃合いを見計らって私と彼女は婚約する。
そういう流れになっている、とのこと。
中途半端にあの男の娘に同情してしまい、優しさを分け与えてしまったことで、結果的にあの男の娘は私を助けてしまった。
彼女との関係がバレていたから、彼女と結婚して子どもを作って幸せになればいい、と考えて、父親との無理心中を図ったのだろう、と理解出来てしまった。
そしてそれは、現実となった。
元々頃合いを見計らって彼女と結婚すると言っていたのだから、婚約しやがて結婚し、夫婦となり子どもたちも生まれ。仕事も順調でそれなりに貯えもあるし裕福な暮らしをしている。
傍目には幸せな私の現在、ということになる。
実際、幸せだと思う。
父上を陥れられ、母上も死んでしまった私に新たな家族が出来たのだから。
普段は幸せで、悲しみや辛さや苦しさを忘れて幸せを享受しているのに。
ふとした拍子に、実の父親を殺してしまったあの男の娘を思い出す。
私の復讐心を知りながらもそばに居て。私の幸せを願って、私に人を殺させない選択を取って死んでいってしまった人のことを。
そこまでされて、ようやく知る。
本当の本当に私を好きだったのだ、と。
だから私に人殺しの罪を着せないために、自分で父親を殺めて、父親と共に死んだ人。
幸せであればあるほど、ふとした瞬間に差し込む罪悪感は、きっと簡単には消せない。
そしてその罪悪感に気づいているように妻が私に疑いの目を向ける。
あの男の娘を好きになっていたのではないか、という嫉妬塗れの疑い。
私は宥める。そんなことはない、と。
そう思いながらまた訪れる罪悪感。
きっと、死ぬまで罪悪感は消せないし、妻に疑われながらも結婚生活を続け、ふとした時に、妻と子どもたちと一緒に笑いあい、幸せだと思い、そう思ってまた、罪悪感を募らせるのだろう、と。
それが中途半端な優しさを分け与えながら、復讐心を止めることも徹底的に復讐する気持ちも持たずに復讐を決行した愚かな私への罪と罰なのかもしれない。
(了)
お読みいただきまして、ありがとうございました。
異世界とも言い切れないのでジャンルは【その他】
女性は自己陶酔というか悲劇のヒロイン的な感じですね
男性は復讐相手の娘に中途半端に優しいのでこんな結果になりましたね
情が移ったのなら復讐止めるか
情が移っても復讐するのなら優しさを捨てればこんな結果にならなかったのかもしれませんね