第一話 何か変だ
「なんだ、こりゃあ随分と豊かそうな家じゃねえか。さすが他人からしぼりとっているだけあるな」
そう呟きひらりと屋敷の塀を超えた男は、素早く周囲に視線を走らせる。
誰もいないことを確認した男が庭を横切り、屋敷の主人の部屋に入ろうとした時。
「そこで何をしている?穆飛炎」
涼やかな男の声が突如闇に響き渡り、穆飛炎と呼ばれた男はぎょっとして足を止め、振り返った。
「なんだお前か───燕暁天。相変わらず役人の犬をやっているのか」
飛炎は嘲笑うが暁天は意に介することなく、涼しい顔で飛炎を見つめていた。そのまま彼は無言で剣を抜き、飛炎に切っ先を突き付けた。
「いい加減盗人などやめたらどうだ?義賊と名乗るなど.......ただの自己陶酔だ」
「それで救われる命があるのなら、俺は自己陶酔と言われたって構わねえ」
しばし睨みあった後、二人はほぼ同時に地面を蹴り、お互いに斬りかかる。
唸り声をあげながら飛炎の剣が暁天の耳を掠める。それをすんでのところで躱した暁天が飛炎の足を狙い、すかさず飛炎は後ろへ飛び退った。
(.......?)
無言で剣を交えていた二人だったが、飛炎はふと違和感を覚えそれを確認する為に、一気に距離を詰め隙をついて暁天の襟首を掴み、その場に引き倒した。
「お前、何をする?!今すぐその汚い手を放せ!」
秀麗な顔を怒りで染め、怒鳴ってくる暁天を飛炎は黙って見つめた。
(何か妙だ……)
暁天が怒鳴り手を振り解こうとしているのを見た瞬間、ようやくその違和感が何なのかを察した。
「………..お前まさか弱くなった?」
これまで何度も彼と戦ったことがあったが、こんなにもすぐに隙を見せるような男ではなかった。
罠かと勘ぐり周囲を見渡すが、何か仕掛けがある気配はなく、ただ暁天が顔を真っ青にしているだけだった。
「お前───これ以上喋ったら殺すぞ!」
低い声で脅すように言っているが、いかんせん迫力に欠ける。
(これはしめた!)
彼をここで殺せばもう邪魔者はいなくなる。剣を握りしめ、地面に伏している暁天の胸を貫こうとすると、急にばたばたと屋敷の中が騒がしくなってきた。
「燕殿!まさかドブネズミが来たのですか?」
使用人だろうか、そう呼びかける声が近づいてきて、飛炎は舌打ちをした。
「行くぞ」
それだけ言うといきなり暁天を抱き上げ、先ほどのように塀をさっと越えた。
「どこへ連れて行く?!絶対に殺してやるからな」
先ほどから飛炎に担がれたまま騒いでいる暁天を地面に放り投げると、逃げられないように腕を掴みながら、そっと彼の唇に指を当てた。
「あんまり騒ぐと人が来るぞ。醜態を晒して笑いものになりたいのか?」
そう言われた途端黙り込む彼を見てにっと笑うと、再び彼を抱き上げて、飛炎は宿屋へと向かっていった。
宿屋に着くなり女将がにこやかに出迎えてきて、親しげに飛炎に話しかけてきた。
「旦那、随分と遅かったですね。すぐに食事を用意しましょう……ってあら、そちらの方は───奥様?」
隣に立つ暁天を見て、彼女は彼を女だと勘違いしたのだろう。暁天の額に青筋が浮かぶのを視界の端に捉えながらも、飛炎はそのままにしておいた。
「そうだ。彼女とは先ほど合流してな。彼女の分も頼むよ」
人好きのする笑みを浮かべながら話す飛炎を、暁天は射殺さんばかりの目つきで睨みつけていた。
そんな彼を彼に無視し、逃げ出さないように腰に手を回しながら、部屋を案内してくれる女将に着いていった。
「………お前、私を侮辱しているのか?」
部屋に入った後、寝台に腰掛けながらこちらを睨む彼を、飛炎は軽くあしらっていた。
「別に女将が間違えただけだろう?」
「では何故訂正しなかった?!」
「女と間違われた方が色々と都合が良い。それに実際、お前は女のような容姿だから」
そう話しながら飛炎は目の前にいる男をじっと見つめた。
目元は涼やかで、それでいてどこか色香が漂い、肌は肌理が細かく雪のように白い。
笑った時には白い歯が覗くが、飛炎は残念ながらまだお目にかかったことがない。
なだらかで細い眉に紅でも塗ったのかと思うほど紅く色付いた唇。
長く艶のある黒髪は無造作に括られており、まるで男装の麗人のようであった。
「その見た目で間違えるなって言う方が難しい」
付け加えた途端拳が飛んできた。それをさっと受け止めれば、次は足を払ってこようとする。
それを躱すと彼を寝台に押し倒した。じたばたと手足を動かす彼の動きを封じると、大した躊躇いもなく暁天の衣の帯に手を伸ばした。
帯をするすると解いていき、衣をはだけさせると、彼の腹の醜い傷が露わになった。
「こんな傷抱えてたら、そりゃあ動きも鈍くなるはずだ」
そう言いながら卓に置いてあった酒を傷口に振りかけ
、手近にあった布を割いて巻き付けていく。
「やめろ!自分でやる」
そう言って布を引ったくろうとするが、飛炎は相手にせず、そのまま処置を続けた。
「自分でやるとか言っておきながら、この状態になるまで放っておいたのは誰だ?」
煽れば彼は分かりやすく怒り出す。口を尖らせ不満を吐き出し続ける暁天の口を手で塞いだ。
「ほら、そろそろ女将が食事を持ってくる。綺麗な奥様がそんなに騒いでいたら、不審がる」
飛炎が宥めようと声をかけると、なんと暁天は自身の口を塞ぐ飛炎の手に噛み付いた。
「痛っ!お前は獣か!!」
二人が取っ組み合い、何とか決着をつけた頃に食事が運ばれてきた。この宿屋の中でそれなりの部屋に泊まったからだろうか、食事もいいものであった。
暁天が食事を拒否するかと思っていたが、予想に反して彼は美味しそうに羹を口に運んでいた。
「それに私が毒を入れてたとしたら?」
ふざけて尋ねてみると、彼は投げやりな口調でぶっきらぼうに答えた。
「別に構わない。どうせ私はもう先が長くない。死ぬ前くらい何も気にせずに食べたい」
「なんだって?!」
揶揄うような軽い気持ちで尋ねたものの、彼の口から飛び出てきた言葉に仰天して匙を取り落としそうになった。
「お前が死ぬ……?」
燕暁天は都で、いやこの国で名の知れた男だった。武術の腕もさることながら、その正義感の強さと真っ直ぐな気性で人望を集めていた。彼の噂は皇帝の耳にまで入っていた。
それに彼はこれまで誰にも負けたことがなかった。飛炎も何度も彼と戦ってきたが、これまで決着がついたことはなかった。
そんな男が少ししたら死ぬ、ということがあるのだろうか。