気狂い
今回は書いてて楽しくて筆が乗ってしまいました。そのため他のエピと比べて分量が二倍近くなってます。
───殺したの
品田は開いた口が塞がらなかった。三橋が「人を殺した」と言ったからだ。いいや、もしかするとその言葉は予想できていたのかもしれない。できていた上でそれを現実と認めたくなかったから、真実に到達することを恐れていたから、品田は口を塞げなかったのかもしれない。
「六年生の浅井くん、いるでしょ。あの人に終業式前に呼び出されて8月8日に......つまり今日、学校に来るよう言われたの。ちょうど蒼汰と遊ぶ約束もしていたし、ついで程度に行くなら良いと思って」
三橋は軽くえずいた。気持ちの悪いものを想像、想起したのだろう。「ごめん」と言ってトイレに向かった。今度は女子トイレだった。
品田はトイレの床であぐらをかきながら、三橋の言葉を頭の中で反芻していた。
......コロシタ。ころした。ころしたって、どんな字だったっけ。去年習った気がする。国語の成績だけは五のはずなのにな。
いくら漢字を当てはめてもしっくりこない。三橋のことを思い浮かべると、なおさら分からなかった。
もはや言葉のラビリンスだった。探しても探しても、三橋が発した単語は脳内辞書ではヒットしない。三橋と単語を重ねてみても、いまいちピントが合わないのだ。まだ品田の中での三橋は、いつも控えめで上品に微笑み、白のワンピースがよく似合う幼気なただの少女だった。
夏はほんのり茶色に焼けて、季節が動き出すと白い肌を取り戻す。でもさらさらで枝毛一つない長髪はいつも変わらない。テレビに出てくる女優みたいにまつ毛が長くて、深い黒色の瞳を持っている。桜色の唇に筋が通った鼻だ。輪郭はシャープで、前髪を分けておでこを出しているヘアスタイルとの相性が抜群。身長が高くスラッとしているから、余計に大人びた印象が与えられる。品田よりもおでこひとつ分は高い。
そんな三橋が「ころした」。
「ごめん、ちょっと吐き気が止まらなくて......もう大丈夫だから。聞いてくれる?」
表情が抜け落ちた品田の顔を見て心配したのだろう。隣に座って覗き込んでいる。品田は生返事を返した。
「それで校門の前に行くと浅井くんが立っててね。あの人、浅井先生の息子だから学校の鍵も開けられたのね、あたしたちはそのまま校内に入ったわ」三橋はまたのどが渇いたようで、蛇口を捻って水を一口飲んだ。上向きの蛇口だった。
「その後、浅井くんに男子トイレまで連れ込まれたわ。そうしたらあの人、何をしたと思う?」
「......なにを、したの」
「殴ったのよ、あたしを。蒼汰には見えないでしょうけど、あたしの左脇腹には今ちょっとした痣ができているわ。そして怖くなったの。逃げなきゃって思った。でも、浅井くんはそうさせてくれなかった」
三橋の目が灰色に濁るのを品田は見逃さなかった。それは恐怖と嫌悪を抱き合わせた、最悪の色だ。
「あの人、あたしの腕を掴んで、それで」
三橋の身体は小さく震えていた。品田はどうすれば良いのか分からず、黙って手を握った。三橋もその力以上になにか意味を込めて、強く握り返した。
「それで、個室に引きずり込んで壁に押さえつけられたの。後ろで衣服をの擦れる音が聞こえたわ。あの人はズボンを脱いでいたの。左腕であたしを軽く押さえつけながら、器用にも右手だけでね」
三橋の強がりは言葉の表面からしか分からないわけではない。手の力は既に抜け落ちていた。
それでも、品田は手を離さなかった。
「その後、あたしのパンツを脱がせたの。もちろん必死に抵抗したわ。力じゃ敵わないから言葉で。でも、あの人はアソコを見ながら『漫画と同じだ』とか言って、全く取り合わなかった」
三橋の震えは恐怖に最大限抗っていた。身体に刻まれた避難信号だ。
「恥ずかしいけど、あたしはその後何をされるか知っていた。だからその瞬間、怖いとか、悲しいとか、それ以前にもっと根本的な感情で浅井くんのことを嫌ったわ」三橋は深く呼吸した。鳴り止まない心臓を抑えつけようとしているのが品田には見て取れた。
「だから、あたし、殺しちゃったの」品田は三橋の瞳がまた涙で潤うのに気づいた。「言っても駄目なら、もう一度身体に分かる形で抵抗しなきゃいけないと思っただけだったのよ。振り返って、あの人の頭を掴んで、床に叩きつけたの」
三橋は寸でのところで涙のダムの決壊を食い止めていた。
「けどあたし、思った以上に気持ちを抑えられなくて。自分が執拗にあの人を痛めつけてると気づいたのはたぶん、頭の上下が十回を超えた時だったと思う」
「燈夏の怪我は脇腹の痣だけで済んだの?」
品田が口を挟む。
「ええ、それだけ」三橋は無理に口角を上げて品田に見せつける。「あたしもう駄目なの。トイレで放心しながら、ずっと蒼汰のことばかり考えてた。本当はもっと悩むべきことがあったはずなのに」表情とは裏腹に、声からは気持ちが正直に現れていた。
「悩むべきことって、なに?」
「え? それはもちろん、警察への自首とか」
「どうして警察に自首するの? 燈夏は勉強も運動もできる。可愛いし上品だ。それにすっごく優しい」
品田は矢継ぎ早に言う。三橋は無表情のまま固まり俯く。
「今回のことに関して言えば燈夏はヒガイシャじゃないか。それなのに警察にいかなきゃいけないなんて、おかしいよ!」
「蒼汰......」
「燈夏、逃げよう。お父さんが言ってたんだ。警察に捕まったら、人生を棒に振ることになるって。燈夏はこんなところで人生を棒に振って良いような人間じゃないよ」
品田は三橋の目を一切のブレなく真っ直ぐ捉え、自身の主張を訴える。語気は強まり、口調に焦りも含まれていた。
「蒼汰、そう言ってくれるのはとても嬉しいわ。うん、本当にすごく嬉しい。でもねどうしようもないことってあるの。どうせ捕まるし、第一あたしはしちゃいけないことをした。そういう人は警察に行って、捕まって、刑務所で罪を償わなければならないの。そういう風に決まってるの」
三橋は品田とはごく対照的に、母親のような口調で諭した。
「そういう風に決まってるなら、僕がその決まりを無くしてあげる。だから逃げよう。僕が燈夏を捕まらせない」
品田は唾を飛ばしながら言い放った。顔は暑さのせいなのか、はたまた興奮のせいなのか、紅潮しきっていた。
三橋が正しく、品田が誤っていることを二人は理解していた。それが規範だ。社会に属する人としてあるべき姿だ。つまるところここでいう逃げるというのは、単に警察からというだけでなく、社会全体から逃げるということなのだ。
「燈夏は悪くないよ」
今、二人の目の前には二つの道がある。今まで通り辿ってきた真っ直ぐ続く道と、突如として出現したぐねぐねに歪んだ道。両者先が不透明だが、どちらの方が良いのか彼らにとっては明白だった。
品田は後者に片足を突っ込んで、三橋に手を差し伸べる。あとに残されたのは三橋の選択だけだ。手を取ったあと引き戻すのか、引き込まれるのか。
三橋が選んだのは───
「分かった、逃げよう」
後者の道だった。三橋は品田が差し伸べる手を見て、彼の懐に飛び込んだのだ。もはや一切の迷いは消滅し、涙も流してはいなかった。むしろ、笑顔だった。
「あたしのこと、ちゃんと守ってね」
「もちろん、いつまでも」
それから、少年と少女は手と手を繋いで、後ろを振り返らなかった。
これから高校の方でテスト期間なので投稿を一時中断します。ブクマに追加してくださっている方もいるようなので、一応告知しておきます。それでは、最後までご覧いただきありがとうございました。今回個人的に悪くない出来だと思うので、忌憚ないコメントや評価をしていただけると幸いです。