少年少女
「とっ、燈夏!」
動揺が声音に滲み出ている。手汗が止まらないのに、氷で締め付けられたような感覚が全身に走った。心臓の鼓動がうるさいくらいで、脈拍に痛さすら感じる。
「どうしたんだ! ここで、なにがあったの?」
硬直した身体をなんとか動かして、品田は三橋に駆け寄る。肩を掴んで、地面に落ちた三橋の視線と合わせようと顔を覗き込む。同時に、浅いながらも呼吸はおそらく正常にされていることを確認し、床に膝からへたれこんだ。
「......」
三橋は依然として沈黙を保っている。というよりも、反応できていない。
「大丈夫だよ、僕が来たから。安心して、息を深く吸い込もう」
カラカラに乾いた雑巾を絞ったような声で言う。またしても品田は涙がこみ上げてきたが、それを誤魔化すように三橋に抱きついた。肩の上に自身の肩を置き、優しく焼けた三橋の頬の肌と不健康なくらい白く透き通った品田の頬の肌が触れ合う。二組の肋骨と、筋肉と、肌と、洋服しか阻むものはないのに、品田には三橋の鼓動を感じられなかった。
「......そ、うた?」
学校に入ってから初めて聞いた、自分以外の声。自分の名前を呼ぶ声。小さな安堵を胸の中心に感じ、それは三橋にも伝わったようだ。品田は目の前の少女に、自身の速すぎる心臓の鼓動が分け与えられるのを感じ、徐々に身体の緊張がほぐれていった。
「そうだよ。僕だよ、燈夏」
「そう、た......そうた、そうた、蒼汰!」三橋は品田以上の力で抱き返す。「蒼汰。あたし、ああ、あたし、ごめんなさい。こんなことして、ごめんなさい」
「大丈夫、大丈夫だから。何があっても僕は燈夏の味方だよ。だから、一旦落ち着こう」
二人は腕を緩めて見つめ合う。五秒経って、三橋は我慢できずに品田の背中に腕を回し、胸に飛び込んだ。品田は後ろに仰け反って倒れそうになったが、なんとか耐え、今度は小さな背中を手で優しく擦った。
「......ありがとう。ねえ蒼汰、ちょっと汗臭い」品田は何も言わずに笑って受け入れる。「でも、ひんやりしてて落ち着く」
「僕、燈夏のこと探してたんだよ。それもけっこう頑張ったんだ。でもまさか、男子トイレに居るなんて、そりゃあ見つからないわけだ」長くて細い指をしていて、けれどなぜか自分のほうが大きい手の小さな温かみを感じる。「燈夏、立てる?一回水でも飲んで落ち着こう。そこの水、すごく冷たいんだ。僕なんか顔にかかっちゃって、冷たすぎるくらい」
「ふふ、だからお腹が冷たかったのね」
二人は微笑みを見せあって立ち上がる。白色を纏って赤黒く濡れてしまった少女と、灰色が深まって黒で濡れてしまった少年。液体のあたり具合と色こそ違うが、二人の見た目はどこか似ていた。
───キュッ、キュッ......サーッ
三橋は品田に言われた通り水を飲むために、下向きのまま蛇口を捻った。透明に弱く流れでるそれを両手ですくい上げて飲んだ。
「燈夏、前から言おうと思ってたんだけど、そうするよりもこうした方が沢山飲めるよ」
そう言って、品田は蛇口を上向きにしてから水圧を強めた。
「こうやって流れる水を口で受け止めるんだ」
「どう、だろう。あたしには難しい......いや、そうした方がいいわね」
───ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ
いつかの光景と同じように、三橋の喉も上下に揺れた。
「どうかな、落ち着けた?」
三橋は蛇口を軽く締めて息を吐く。
「ええ、ありがとう。暑さも少しはマシになったわ」
「そっか。じゃあ、教えてくれる?」品田は固唾をのんだ。「どうして......そんな風になってしまったのかを」
「うん、分かった。でもその前に、一つ約束してほしいの。あたしの話を聞いても裏切ったりしない?」
三橋は睨むわけでもなく、しかし力強く品田の目を見た。
「もちろん。言ったでしょ、僕は何があっても燈夏の味方だよ」
「そう、ね。じゃあ話すわ。あたしに、何があったのか」