ダルマールの偉大なる驚異の岩について
[Divarilim hár Djémelér]
'Hemerya,
Orídel,
Glosára,
Khartz eói el'emeró, el'išmó ói'h el'glosó 'Hérkér,
K' aynóch', naskóch' ói'h jaflóch'
Rhaz fortzoch' kói ói'h dj'uróch'f.
[Orhema]
« Ker Natzalim seá esiír ó it'kheér hértze vitriír Adjísia, dj'ur'hanoch'f sen Góroi rakhsee, ker Léire séa-Ne'emér sen-Kérmezísia vanitoch' ar Dármalói »
[Divarilim e-Sákhói]
Néhem dj'urkhetónch'f eói, ói'h rašdoch' ar Kérmezis, tondóch' Chúrn Šašfotzk, faškhahóch Divarilói Šabör'kan ói'h vírdanó.
【より正確な表題】
レイレ・セア=ネーメル・セン=ケールメジシャが塩の荒野で発見した、猛烈なるゴラより生まれし崇高にして偉大なる驚異の岩の研究
【書への名乗り】
我はネヘムの祝福を受け狐の丘に育ち、林檎蛇の毒に打ち勝ち、獣たちの呼びかけに応え放浪す。
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塩の荒野は打ち捨てられた塩混じりの土地で、大陸で最も物寂しい場所、乾いた風が吹き荒び、作物も家畜も育つことができず、灰色の神殿の世捨て人たちだけが暮らしている。
まあそんなことを言うのはつまらない連中ばかりで、ネケサル砂漠であれタルミイェ氷河であれ、どこにでも驚くべき生物は存在するものである。
ベクロイマイのドゥーケンによる『博物誌』には塩の荒野に住む歌う角という大型の獣についての断片がある。半透明の大きな角を持ち、繁殖期にその角が打ち合わされると音楽のように美しい音がするのだという。この獣に会うために人々が群れをなしてそこを訪れないのは甚だ疑問である。
塩の荒野に行くには頑丈な革袋にいっぱいの水や食料、乾燥した風から皮膚を守るための油などが不可欠である。我が鎧猪は一節(30日)もの間食事抜きでも歩き続けられるので、水も草木も乏しい広大な土地を行くのに最適だ。この素晴らしい獣を手懐けられたのは大いなる幸福だった。
西風月の第一週に、私は塩の荒野にたどり着いた。他の土地では陽気も暖かくなり花々が目覚め始めるというのに、風は冷たく鋭く、雑草はおろか松の木さえもなく、灰色のひび割れた土地だけが広がっている。ところどころに黒ずんだ岩が転がっており、北東に進むにつれてその数は増えていく。
手頃な岩にツルハシを当ててみると、水晶よりは柔らかいくらい、切り口はあまり鋭くない。ぱっと見たところ火山岩に似ているが、この土地には火山もなければあった記録もない。非常に興味深いことだ。
石灰質の大地に手を当てたが、ネヘムが私に与えた《水源探し》の祝福を持ってしても、地下水は遥か深くにあることしか分からなかった。水は慎重に使うべきだろう。
辿り着いて二日ほど経つと、黒っぽい大きな毛玉のようなものが風に煽られて大地を転がったり宙を舞ったりしているのを見かけるようになった。これは歌う角のものと思われた。
もう二日進むと、私は三人の灰色の神官たちに出会った。彼らはくすんだ色の粗末な衣装を着ており、厳しい生活をうかがわせる痩せた体格をしていた。
彼らは毛の塊を集めているようだった。これで彼らの衣装を作っているのかもしれない。
歌う角について尋ねると、聞いたこともないという顔をされたが、一人が岩喰いのことではないかと言い出した。彼によると、角のある大型の獣、もとい生き物といえばそのくらいしか存在しないらしい。彼らには地を這う地虫や曇天を飛ぶ鳥の姿が見えないのだろうか?
件の獣はもう少し北東に進めばいるかもしれないとのことだったので、私は喜び勇んで向かうことにした。神官たちによると、歌う角は大人しいそうだが、刺激するようなことはするなと念を押された。
はたして、我が待望の獣を発見した。六頭ほどの群れだ。私はでかいの(※鎧猪の呼び名)を待機させ、跳ね回りたくなるのを堪えながら慎重に群れに近づいた。
「大きい」という点については『博物紀』も神官たちも正しく、平均して四クリシュ(約4.3m)ほどはあった。本来は恐ろしく毛むくじゃらのはずだが今は換毛期らしく、黒っぽい毛はぼさぼさと抜けて禿げかかり、ひどくみすぼらしい。全体としてサーマンダエ地方やファルサヘ地方に生息する犀に似ている。
角も美しい色とは言いがたかった。水晶というより塩の結晶のような濁った灰色をしており、表面は凸凹で歪だ。
何にせよもっとじっくり眺めよう、あわよくば触れてみたいと考えていた矢先に、近づきすぎた二頭の角がぶつかった。硬い音ではなく、明るく澄んだ鉄の鐘のような音が響いた。カーンともキーンとも表現できない、トーン?ポーン?ちーん?(以下、一ページに渡り音の考察が続く)
(神官バルバスによる歌う角、あるいは岩喰い)
ともかく、この獣を歌う角と名付けたドゥーケンは非常に詩的な人物である。よく地面を見れば、砕けた角の欠片がいくつか落ちていたので、拾い集めて拡大鏡で眺めてみた。曇天の下ではっきり見極めることは難しいが、六角と四角を組み合わせた星の煌めきのような構造をしており、これが美しい音の由来なのかもしれない。
気がつくと周囲を岩喰いに囲まれていたが、彼らは私のことなど眼中になく石を喰らい続けていた。
ずっと響き渡っているゴリゴリという低い音は巨大な臼歯(一エソフ(約36cm)ほどありそうだ)にすり潰される岩の音らしい。いったいどのくらいのシュマン(重さの単位)の力になるのだろうか。
わくわくを抑えきれない私は彼らのぼさぼさの毛をぜんぶ三つ編みにしたいくらいの気分だった。この生き物を前にして無関心でいられる灰色の神官たちは相当な鍛錬を積んでいるのだろう。
(沈黙の神のアトリビュート、割れた卵、出来事が過ぎ去った後)
すっかりこの地に居座る意思を固めた私は灰色の神殿を拠点とすることに決めた。
神殿は概ね灰色の石を重ね合わせて建てられているが、修繕したのか一部は岩喰いの餌である黒っぽい岩が使われている。その部分をよく見ると、風化のせいなのか侵食のせいなのか、岩たちはお互いにくっつき合っているようだった。それどころか基礎の方にまで侵食しているように見えた。非常に興味深く、成分や特性について調べる必要がある。
私は神殿の中に足を踏み入れ、近くにいた神官を捕まえた。それから自分はケールメジスのレイレ(注:「《狐の丘》の毒ニンジン」を意味する)だと名乗ると、いつも通り絶妙な顔をされた。灰色の神官たちはもっと無味乾燥だと思っていたが、思ったより感情豊かであるようだ。
神官長と交渉すると、でかいのに対して難色を示したものの、食べ物も快適な寝床もないが、それで良いなら好きにして構わない、鎧猪が畑を荒らさないように注意しろと言われた。まあでかいのはその辺に放っておけば好きにやるだろう。どこへ行っても笛を吹けば二、三日以内に戻ってくるはずだ。おそらく。
一応、神官たちの生活にも触れておこう。
彼らは全部で二〇人ほどで、それぞれに緩やかな役割があるようだった。神殿を清める者、岩喰いの毛を集めたり狩りに出たりする者、畑の世話をする者、水汲みをする者など。
神殿のすぐそばには井戸が作られていた。何世紀か前の神官が作ったものらしい。例の岩が一面に張り巡らされ、塩や土の混入を防いでいる……それは岩を積んだだけでは難しく思われたが、やはりここの岩も自然に切り出したにしては妙にぴったりと組み合わさっている。相当な深さから汲み上げるので、神殿内の水桶を満たすには一アトゥーオ(約1時間)ほどかかる。特にやることのない神官にとっては割に合った仕事なのかもしれない。
歩いて四刻も南にある畑では(井戸があれだけ近くにあるのだから、畑を遠ざける必要はなさそうに見えるが)、細い穀物(痩せた麦と呼ばれており、見たところ固有種)としわしわの果実が育てられていた。神官たちは萎びた果実だと言っていたが、これはツヴラエ地方などでメネㇸロリットと呼ばれる瑞々しい果実と思われる。本来なら大きなもので一エソフ(約36センチ)にもなるが、ここのものはせいぜい三マハット(約5.5センチ)ほどだ。
痩せた麦と萎びた果実の他に、分けてもらった干し肉は岩喰いのものだった。臭みは少ないが、少なすぎるというのか、肉厚の藁の様な食感で、ただ胡椒のような刺すような辛さがあった。神官たちは狩をするのではなく死んだ個体から肉を得るようなので、若い岩喰いの生肉ならもっと風味があるかもしれない。
神殿は非常に簡素で、祭壇らしい祭壇もなく、灯りは四隅と中央にある松明と小さな油灯籠のみ。壁には絵や彫刻やタペストリーもなく、風を避けるために窓も小さい。床には岩喰いの毛で折った敷物があったが、手触りはごわごわと硬い。
神官たちは私をほとんど無視しており、挨拶の声をかけるとまるで私が非常識なふるまいをしたような視線を向けてきた。その反応がいつまで続くか確かめるため、私は挨拶を続けることにした。
神官長を含む何人かは私を気にかけてくれた。あるいはそこらじゅう荒らし回らないように見張っていたのかもしれないが。
岩喰いに極力近づくなと言われたので、私は監視が緩むまでかの獣たちが餌としている岩について調べることにした。
手始めに五十個ほどの岩の大きさを測ってみたが、最も大きいのは三クリシュ四マハット(約3メートル31センチ)、見つけられた中で最も小さいものは二マハット(約3.3センチ)。石炭のような歪な割れ方をするが、磨いてみると黒曜石とも異なる風変わりな艶がある。色が暗いので構造は今ひとつ分からない。研究室に持ち帰る必要があるだろう。
この土地は一年を通じて気温が低く、地上の水分をすべて吸い上げたような曇天が広がっている。大地の貧しさから、岩喰いの他にはその糞を食する地虫(蠍とフナムシをかけ合わせたように見える固有種)と、さらにそれを食らう鳥(まだ捕獲できていないが、小型の鷲のよう)くらいしか見かけない。探索のしがいがあるというものだ。
私が本当に居座ることが分かると、黒い肌のソルハという神官が私にいろいろと尋ねてきた。私がアリトゥリの学者で、たまに殿堂に見習いの学生の前で教鞭をとっていると言うと、彼はためらいがちに、実はここで預かっている子どもがおり、彼に簡単な学問を教えてくれたら調査のために風馬も呼んでくれると言い出した。
灰色の神殿に子どもが?大人ですら生きるには厳しい《塩の荒野》に?
子どもは私がどんな人物か分かるまで隠されていたらしい。九歳と八節と言っているが、食べ物が少ないせいか七歳くらいに見えた。それでも《無関心》の神官たちは精一杯努力しているようで、痩せてはいるが不健康そうではなく、一番柔らかい織物(なんと模様まで織り込まれている)を着せられ、肩で切り揃えた灰色の髪の毛もきちんと梳られ、肌には油をすり込んですさまじい乾燥から守られているのが分かった。首には岩喰いの角の欠片で作られたビーズの飾りが揺れ、動くたびにぶつかってカラコロ?チリン……?と音を立てた。
この日は子どもの名付けの日(注:名を与えた日を祝う)だったらしく(ラルラーと呼ばれていたが、その意味は釈然としない)、神官長が町で買った日持ちのする菓子類や燻製肉、蜂蜜などで祝いをしていた。客人である私にも振る舞われたが、神官たちは形程度に口にするのみだった。彼らはぎこちなく《言葉の神》グロサーラや《幾何の神》ニヴォー、《探究の神》ダウケマに呼びかけ、子どもへの祝福を願っていた。
子どもの持つ色からして、風か水から祝福を受けたのだろうか?さすがに《沈黙の神》メノーが祝福を与えたということはないだろう。どんな経緯でここに来た子どもかは分からないが、ともかく私がここに居座る名分ができたので良かった。
前述の通り、ここの神官たちは精神的にも非常に慎ましい生活を営んでおり、基本的に神官長ラッシェンとソルハ、バルバス、ディハキム以外は子どもに対しほとんど注意を払っていなかった。子どもは私の持っているさまざまな道具に興味を示し、私の描いた様々な生き物の素描を見て首を傾げた。私の画才は同僚をして「味わいのある悪夢」と言わしめているが、子どもは何枚か気に入ったらしいので譲ってやった。
神殿の一角には土と植木鉢を置いて豌豆を育てている場所があった。土の神殿出身のディハキム(これは《献身》の南方訛りであろう)が一日中それに向かって農耕神ダナハの辞を呟いており、その甲斐あってか豆は元気よく鈴なりに房を垂らしていた。あれは何なのかと尋ねると、一度馬を買ってみたものの飼料の確保が難しく手放したが、その時に買った豆の面倒を見続けているとのことだった。砂糖と一緒に炒るか、良い油が手に入れば揚げて、子どものおやつになるのだという。
(神官バルバスによる神官長ラシエン)
馬の代わりに、神官長ラッシェンは風馬を呼ぶことがあった。半透明の馬のような前半身に長い鬣、渦巻く色のような後半身の美しく荒々しい生き物だ。この生き物を制御するのは難しいので、彼は相当に強い祝福を持っているか、強い辞の使い手であると思われた。そんな人物がなぜこの地に来ることになったのか、興味はそそられるが、がらんどうの器に回帰することを目的とする灰色の神官に過去について尋ねるのは憚られた。巻き舌や大きな抑揚のある訛りと極光という名から推測するにコルィヴァエ地方あたりの出身と思われるが、あのあたりには巨大生物が多く非常に愉快な土地だ。極光と共に現れる精霊ナイェレメスキャは出会った者を狂わせるというが、私には特に影響がなかったので非常に残念だった。
風馬に乗せてもらえそうになった矢先に、かの生き物は興奮しすぎた私を蹴り飛ばした。(数少ない)神官たちは慌てていたが、ネヘムより強い祝福を受けた私は無事だった。しかし風馬が去ってしまったのでどうにもならなかった。
今日は珍しく雨が降り、いつも以上に寒い。
神殿の中で気もそぞろに過ごしていると、子どもが石の壁にぴたりと背中をくっつけていることに気づいた。理由を尋ねると、彼はそうすると身体が暖かくなるのだと答えた。試しに岩肌に手を押し当てると、子どもの言う通り、それは僅かに熱を抱いていた。その部分は岩喰いの餌となるあの岩だった。熱!そんなことは一切気にしておらずまったくの盲点だった。熱を抱く鉱石……成分も気になるが、どこからやって来たのかますます気になってくる。
結局落ち着かなくなった私は蝋を擦り込んだ外套を羽織って外に出た。神殿に使われている黒い岩を調べると、石灰岩よりはるかに撥水しているのが分かった。だがあまりに寒いのでそのまま神殿に戻った。
西火節に入り、そろそろ岩喰いに近づけそうだと判断し、私は北に向かった。時間を短縮するため、ある程度の距離まででかいのに乗ることにした。研究には子どもも連れて行くことにし、甲羅の一番高い所に乗せてやったが、当たり一面塩の荒野なので、岩たちと色の濃淡しか目を楽しませてくれないかもしれない。
十二頭ほどの群れを見つけた。岩もそれなりに大きなものが揃っているので、角とぶつかって妙なる音を奏でていた。私はでかいのを待機させ、子どもを降ろして近づくことにした。驚くことに、子どもはこっそりかの獣の角を撫でに行ったことがあるという。なかなか見どころがある。
換毛期を過ぎ毛はすっかり生え揃っていた。この地は年中冷たく乾いているのであまり見栄えは変わらないらしい。三本の指趾を持つ足の大きさは一と二分の一エソフ(約55cm)ほど。吻の先は尖り岩を削り取るのに適しており、大型の個体の角は二クリシュ(約216cm)ほどもあろうかと思われた。自然に折れてしまうこともあるはずだから、ここまで立派なものはめったにいない。
競争相手がいないためか、岩喰いは非常にゆったりと動き、我々やでかいのに気づいても特に反応しなかった。あるいは視力があまり良くないのかもしれない。彼らはひたすらゴリゴリと岩を食たり体を擦り付けたりしていた。寄生虫を取っているのだろう、何とか手に入らないものか……。比較的若そうな個体も親の砕いた岩を齧っている。恐らく生まれてしばらくは乳で育つのだろうが、いつ頃から岩を食い始めるのだろう。妊娠中の個体が見つかると良いのだが(その予定はないが、岩喰いの乳を採取するのは命懸けの仕事となるだろう)。
観察から分かったのは、彼らは一度にそれほどたくさん食事をしないということだった。岩に食いでがあるのか、消化の関係で細かく食事をするのかは不明だ。
五アトゥーオほど経って(そろそろ神官ソルハが怒るかもしれないと子どもが言うので)引き返すと、でかいのが驚くべき行動をとっていた。やつは前足で岩を砕き、それを喰らっていたのだ!この岩を食することができるのは岩喰いだけではないのか?試しに欠片を口に含んだところ、私の胃では対処できないほどの熱さを感じたので慌てて吐き出した。いったい岩喰いの舌と消化器官はどうなっているのだろう……何としても解体の現場に居合わせねばならない。そういえばでかいのの胃は無事なのだろうか。そう愚かな生き物ではないので様子を見ることにする。念のため、目を丸くして私を眺めている子どもには「これは人が食うには危険かもしれない」と言っておいた。
この岩はかなりの熱量をもっているらしい。
二マハット(約2.8cm)ほどの石に火をつけてみたところ、めらめらと静かに六アトゥーオ(約6時間)ほど燃え続けた。神官長ラッシェンに伝えたところ、これまで石に火をつけようなどとは思わなかったらしくひどく驚いていた。これまでは岩喰いから取れる油を細々と使っていたらしかった。これからは油を節約できるはずだ。
さらに、採取した岩喰いの糞に火をつけてみるとよく燃えた。だが、その成分が何なのかはっきりとは分からず、もしかすると未知のものかもしれない。ついでに糞を餌としている地虫にも火をつけてみたところ、花火が弾けるような面白い燃え方をしたので爆ぜ虫と名付けた。
調査に伴った子どもにとっても興味深い出来事だったようで、神殿に帰ると神官たちに色々と話して聞かせていた。神官バルバスは熾火のように静かに子どもを褒めていたが、神官ソルハは私に「子どもに妙なことを教えるな」と小言を言ってきた。子どもこそ妙な行動が許される存在ではないか?ということで適当な相槌を打っておいた。
さて、ラルラーを連れて地質の調査を始めた。この地がかつて海であったことは風土記にも記されている。硬い大地を四エソフ(約1.5m)ほど掘ったところで案の定ソルハがやってきて、まさにアザミのようにちくちくとお小言を始めた。そこで私は採掘した貝殻などを見せ、色々なものに触れるのが教育上よろしいだろうと力説した。彼はあまり腑に落ちていなかったが、ひそやかなラルラーが楽しそうに見えたのかしぶしぶ引き下がった(ただ、穴はすべて埋めるようにと言われた)。無関心の神官と暮らすためか、この子どもの感情が私には今ひとつ読めない。まあ他人の顔色など窺って生きてはこなかったので仕方あるまい。
ラルラーは貝殻を箱にしまうというので詳細を聞くと、これまでに拾った岩喰いの角の欠片などを溜めこんでいるらしい。何か興味深いものが見つかるかもしれないと思い見せてもらった。
燕の羽根などが多かった(そして私の素描も入っていた)が、岩喰いの蹄の骨や結石と思われるものなど非常にときめく品もあったので、私は大小の貨幣との交換を持ちかけた。すると例によってソルハがやって来て子ども相手に商売をするなと言ってきたため、私は研究者として公正取引をするつもりであると憤慨してみせた。幸運にもラルラーは貨幣に興味を示したのでいくつかの骨と交換することができた。箱にしまっていたのだから子どもにとっては金より価値のあるものだったかもしれないが、彼が神殿を出る時に役に立つだろう。
骨のほかに興味深かったのは梟山猫の卵である。アリトゥリの殿堂街には十年ほど前までアルゴンダエ地方アズレトの森出身の学者がおり、その人が飼っていた梟山猫の卵を貰ったことがあるので間違いはないはずだ。この辺りに生息はしていない生き物だが、ラルラーによると「ニスミレがくれた」とのことで、神官の一人かと思ったがそうではないという。唖の名を持つ未知の生物かとも考えたがどうも人であることは間違いないようだ。この神殿には色々な人物が流れ着くらしい。
さて、ソルハの目を盗んで三〇ヶ所ほど穴を掘ってみたが、あれだけやっても土の中に岩が見つからないどころか、岩喰いの大型の骨すら見つからなかったのは心沸き立つ事態である。この物質は後になってから持ちこまれた可能性がある。
北にゆくほど、つまり環境が厳しくなるほど岩が増えるのはなぜか?これは北からやって来たのだろうか?
さらに岩喰いがいくら少食でも、私の見たところ彼らの数は一万頭は下らない。あの調子で岩を食っていたらこの土地はとっくに丸裸になっているはずだ。そもそも風の侵食で小さくなっていくのでは?
そこでふと思い立ち、三節(三ヶ月)ほど前に大きさを測った岩-27を計ってみると、五分の一マハット(約3mm)ほど大きくなっていた。
ここの岩は成長するのだ!いや、こう言い直させてもらおう。
はたしてこれは岩なのだろうか?
私は小ぶりな岩-42を、ディハキムが豌豆を育てている鉢に入れてみることにした。もちろん彼の許可は取った。そして毎日大きさを測り続けた。
その結果はまさしく驚異的だった。なんと十日で四分の一マハット(約5mm)も大きくなっていたのである!これは何らかの方法で土中の養分を得ていると見て間違いないだろう。
もっと様子を見たいところだったが、豌豆がすっかり元気をなくしてディハキムが怒ってしまったため、この実験は打ち切りとなった。
養分を得て成長する岩……高い熱量を持ち、炎を蓄える……。
私は自分の頭の中の知識と手持ちの資料を持ち寄り、更に観察を続けた後、こう結論づけた。
これは岩ではなく、大昔に滅んだはずのゴリシャ、つまり《小さなゴラ》だ。
大地の下に己の力を閉じ込めた破壊的な力を持つ《熱》ゴラが唯一創ったとされる生き物。本来なら何クリシュもの大きさに成長し、その中心にとてつもない熱を蓄える力の塊。同時に高い知性を持っており、かのことばを讃えた《犬の町》では人びとと共存していたという。
肥沃な大地や豊かな海の中では、彼らはどんどん大きく、強く、そして恐ろしい破壊力を持っていくはずだ。不毛な土地を選んだのは彼らの選択なのだろうか?何者かが彼らをここへ集めたのだろうか?
私はさらに彼らの分布を調べた。神殿からだいたい二十レドーズ(約21.5km)ほど進んだところででかいのが歩くことを拒否しため、陸の端まで行くことはできなかったが、ある程度の確証を持つことはできた(しかし、果てに何があるのかは非常に興味深い)。
燃ゆる巨岩の群れは不毛な土地に行くにつれて増えていく。大きなものは半レドーズ(約54m)もあり、さながら渓谷のようだった。そこまで大きくなったのは彼らを食らう岩喰いすら寄りつかないからだろう。
彼らはいつからここにいるのだろうか?少なくとも、ドゥーケンが『博物紀』を書いた時には彼らはいなかったはずなので、この一〇〇〇年以内の出来事だろう。
ひょっとすると、これは彼らの選んだ生き方なのかもしれない。不毛な土地で風や岩喰いにかじり取られることで成長を抑え、数少ない獣の死骸で細々と生きながらえる。長い歴史の中で、彼らの力を利用する者は後を絶たなかった。彼らが己の強大さを理解するほどに賢いなら、静かに過ごすことを望んでいるのかもしれない。
できることならいくつか小さなゴリシャを連れて帰りたいところだが、研究者たる私とて大きな禍いを招くのは抵抗がある……。
この問題について考えるのは後回しにして、この前見つけた妊娠中の牝の岩喰いの観察に専念することに決めた。上手くやれば岩喰いの出産に立ち会えるだろう。
**********
この地へ来て一年が過ぎ、神官たちも若干うんざりした様子を見せ始めたので、いったんアリトゥリの研究室へ戻ることにした。やはり乳の採取を試みて踏み潰されたのが悪かったのだろうか。あれはさすがに完治に二週間もかかった。しかし子どもには反面教師となったのでは……?私としては、その岩喰いが一八〇デモラ(約6.5トン)ほどであろう、という推測が立てられたのは怪我の功名であった。
ゴリシャの意志を尊重し、一欠片も携えることなく泣く泣く置き去りにすることに決めたが、いくつもの瓶に詰めた岩喰いの糞は検分の価値があるだろう。でかいのはかなり嫌そうだが致し方あるまい。私だって早く詳しい調査をしたい。
ゴリシャの発見という一大事にもかなり反応が薄かった神官たちとの別れは淡白なものだったが、ラルラーは岩喰いの吻の骨をくれたので、彼もアリトゥリに連れて帰りたくなった。神官ソルハが許さなさそうなので、大きくなったらぜひ学問の都を訪ねてくれと言っておいた。
そういえばこの土地を離れる道すがら、奇妙な人物とすれ違った。白い髪に踊るように歩く……精霊のようだが、人であることは確かだった。彼は私を見て手を挙げたが、そのまま進み続けた。私は糞のことで頭がいっぱいだったので適当に手を振ったが、この塩の荒野を訪れるくらいだから何か面白いことを知っていたかもしれない。まあ気にしないことにしよう。
・林檎蛇 (Šašfotzk):オツカルヴァエ地方にいる毒蛇。咬まれれば死はほぼ確実だが、林檎のような大きな毒壺を持っているため動きが鈍いので「彼は林檎蛇に咬まれた (Dj'toravóch'f artúr séa Šašfotzkir)」は「とてつもなくのろまな」を意味する。だがレイレは「めったに咬まれない毒蛇に咬まれた」と大興奮していた。なお、彼は《水》ネヘムより毒を中和する力を与えられていたので腹を下すだけで済んだ。
●単位
・長さ
1 redoz= 1.08㎞
1 kliš = 108cm(1/20 redoz)
1 esov =約 36cm (1/3 kliš)
1 makhat = 約1.8cm (1/20 esov)
・重さ
1 demora = 36㎏
1 šman = 1.8㎏
1 kaniy =9g (200 šman)
・時間
1 atúo = 1時間
1 tzuf = 1分
1 yemura = 1秒
(地図:地域)
(地図:都市)