友人の独白
それは、皮肉にも晴れた日だった。満天の星空が見え、月明かりがぼんやりと照らす幻想的で美しい夜。
突然の知らせを受け、急遽パーティーをお開きにすることとなった。
その理由は――
ルシア・フローレンス嬢がバルコニーから転落し、亡くなってしまったからだ。
暫くして、葬儀が執り行われた。彼女を慕う人は多く、多くの人が参列した。私と妻のメアも参列した。メアは人目も憚らず、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしていた。私も、涙を堪えるので精一杯だった。
ルシア嬢は変わらず美しかった。動かなくなってもなお、その美しさは損なわれていなかった。誰もが感嘆のため息を漏らさずにはいられず、そして早すぎる彼女の死を悼んだ。
私はその中でも、彼女の婚約者であり、私の親友でもあるディアメリオの事を心配していた。何故なら、ディアメリオは彼女の遺体の第一発見者でもあるからだ。婚約者の突然の死に、さぞ苦しんでいるだろうと。どう声をかけようか散々悩んだが、そんな心配は杞憂に終わった。
ディアメリオは、葬儀でも涙ひとつ見せなかった。ただ、彼女の亡骸をじっと見つめ続けた。悲壮にくれている雰囲気はどこにもない。ただ無感動に見つめていた。
私は居ても立っても居られなくなって、その後、ディアメリオの家を尋ねた。
「ディアメリオ、少し話がある」
「何ですか」
そう言うディアメリオは実務テーブルに齧り付き、私をちらりとも見ようとしなかった。ただ一心不乱に書類を見つめている。目の前の仕事で手一杯だというように。
「お前、悲しくないのか」
「何がです?」
尋ねてきた意味がわからないと言った調子で、ディアメリオは訝しげに眉を顰めた。その様子にも酷く腹が立った。
ルシア嬢は、この薄情な男のために努力し続け、そして命を落とした。このままではルシア嬢が報われない。あまりにも不憫だと、そう思った。
親友ながら、この男には人の心がないのかと。
「……っ、ルシア嬢のことだ。お前は仮にも婚約者だろう?何か思うことはないのか」
「悲しかったですよ」
表情を少しも歪ませることなく、ディアメリオは言い切った。あまりにも淡々とした物言いに、カッと頭に血が昇るのを感じた。
「お前はそうやって……!ルシア嬢がどれだけお前のことで心を痛めていたか、分からないのか?お前のためにあの子は努力していた。なのにお前は、ルシア嬢が亡くなったというのに、そんな何でもない顔をして……」
そこまで言って、後悔した。
ディアメリオが顔を上げた。
いつもの綺麗な笑みはない。ただ、無表情だった。
そういえば、この男が最後に笑ったのはいつだっただろう。確か、ルシア嬢が出席した最期のパーティーだったか。
急に、ディアメリオの考えている事が分からなくなった。ルシア嬢が亡くなって、この男は何を感じているのだろうと。親友だ何だと言っておきながら、自分はこの男のことを何も知らないことに今更ながら気づいた。
「――出ていってもらえますか?」
瞳孔の開いた瞳で言われ、私は部屋を後にした。
それからというもの、ディアメリオと話すことはなくなり、ディアメリオは私の次期宰相候補から外れた。
暫くして、ディアメリオはまたパーティーに出席するようになった。だが、滅多に笑わなくなり、令嬢に対してぞんざいな扱いをするようになった。あれだけ紳士的で優しい物腰で評判だったディアメリオは居ない。近づく令嬢は殆どいなくなった。
そんな中、ディアメリオは、1人の令嬢とよく一緒にいるようになった。その令嬢の名は、マリザ・ソレッド。
ルシア嬢が亡くなった時、バルコニーにいたという。ルシア嬢とは仲の良い友人だったらしい。マリザ嬢はディアメリオに少しずつ入り込むような形で、遂に婚約者の立場に座った。
違和感はあった。
なぜルシア嬢が亡くなった時バルコニーにいたのか。ルシア嬢は事故死として処理されたが、誰も見ていないからその真相は分からない。調べようにもマリザ嬢は家柄が高く、王家でも迂闊に手が出せない。
ディアメリオに急接近したのも気になるし、何より笑顔が胡散臭い。どことなく危険な香りのする令嬢だった。
しかし、それよりももっと大きな違和感は、そんなマリザ嬢を、ディアメリオはどうして新たな婚約者として迎え入れたのか。
親友の考えている事が益々分からなくなった。
―――――――――
そして、ルシア嬢が亡くなってから一年がたった。
パーティーが行われ、メアと踊る。
ふと周りを見渡せば、ディアメリオがいない。
「ごめん、メア。少し席を外す」
「……?分かったわ」
酷く嫌な予感がした。
確かに会場にいた筈だ。先程までマリザ城と話し込んでいた姿を見た。仲が良さそうに肌を寄せ合い、ディアメリオは珍しく楽しそうに笑っていた。
ふと、バルコニーを見る。
あの背中はディアメリオだ。欄干に手をかけて、月を眺めているようだ。
およそ1年ぶりになる。あの時の事も謝っておきたい。私は後ろから近づく。
気配に気づいたのか、ぱっと、ディアメリオが振り向いた。
「ライアン様」
ディアメリオはにこりと微笑む。
その笑みに、背筋が凍った。何かがおかしい。
ディアメリオの黒い髪が、月明かりに照らされてテラテラと光り輝く。青い瞳はどこか炯々としていていながら、落ち着き払っていた。
「ルシアが亡くなってから一年……早いものですね」
「……あ、ああ、そうだな」
「前に、わざわざ部屋を訪ねてくださったのに追い返す真似をしてしまい、すみませんでした」
「いや……」
申し訳なさそうに謝るディアメリオに、どう返事をすればいいか分からず戸惑う。
奇妙な沈黙が落ちた。ちらりとディアメリオの様子を伺うと、じっとバルコニーから庭を眺めているようだった。
「僕は、大罪人です」
「……は」
「大切なものは、無くなってから気づく。遅すぎました、本当に。これだけ――死ぬほど、愛していたのに」
ざわりと、木の葉が揺れた。
悲しそうに呟くディアメリオに、ふと一つの疑問が浮かぶ。恐ろしい答えが待っているような気がする、そんな不吉な疑問が。
「ディアメリオ」
「何ですか?」
「マリザ嬢は、どこだ?」
私がそう言ったのと同時に、下が騒がしくなった。庭の方で警備員が騒いでいるようだった。
「……っ、ひぃ……!」
「お、おい、この令嬢は……」
「とりあえず人を呼んで来るから、お前らはここにいろ!」
バタバタと足音が聞こえる。
血の気が引いた。ゾワっと全身に鳥肌が立つ。ディアメリオは私を見ると、口角だけで笑みを作った。
「お前、まさか……」
「もちろん、事故ですよ。彼女は自分から落ちてしまったんです。痛ましい事ですね」
そう言うディアメリオの表情に悲痛さはない。
ディアメリオは、この世の愛憎を煮詰めたような、どろりと濁った瞳をしていた。
私は、自分の過ちを知った。
恐らく、私が最後に会いにいった時、既にディアメリオは壊れかかっていた。私はその引き金を引いてしまったのだと。
そう考えると、してもしきれない後悔が渦巻く。
ルシア嬢がディアメリオに恋をしていた時、もっとアピールした方がいいと助言していたら。
ルシア嬢が死ぬ前に、ディアメリオに自分の恋心に気づかせることができれば。
亡くなってから会いに行った時に、少しでも気の利いた一言をかけれたら。
ディアメリオがマリザ嬢を突き落とす前に、ここに来て止めることが出来たら――
「……っ」
頭を振った。
あり得たかもしれない幸せな未来なんて、考えたくもないし、考えられなかった。
ルシア嬢は、もういない。
ディアメリオは生気のない瞳でうっそりと笑っている。
何もかも変わってしまった。
いつが、その転機だったのか。
それは、間違いなく――
「……せめて、2人の最後のパーティーまで、時を戻せたら良かったのに」
ぽつりと呟いた言葉は、ほぼ無意識だった。
その瞬間。
辺り一面を、カッと青い光が包む。景色がぐにゃりと歪み、ぐるぐると渦巻いた。
なんだ、これは。何が起こっている?
渦巻いた景色が元に戻った時――私は、部屋のベッドの上にいた。
その後、現国王である父上が飛んできた。
そして厳しい顔つきで告げた。
「お前は、もう時戻しの力を使ってしまったのか」と。
訳が分からないといった顔をしていたのだろう。父上は事細かに教えて下さった。
時戻しの力。その名の通り、時を戻す力である。その力は王位につく人だけに受け継がれる形で存在している。
時を戻す力は、神から為政者へのギフトだとされている。そのギフトは一生に一度だけ使えるものだ。そして代々、この力は政治において重要な場面において使われてきた。
つまり、普通であれば王位についてから、自分の政治をより良くするために一度だけ使える奇跡の力だったのだ。
なのに、私は王太子の身分で、民のためではなく、友人の為に使ってしまった。
王位につくものにとって、これは大罪だ。奇跡の力を、言わば完全なる私情で、身近なものを優先して使ってしまったのだから。
だが、私がそもそもその力の存在を知らなかったこともあり、一応の所は不問とされた。
父上には、こう言われた。
「政治において、お前は一度の失敗も許されない」
今まで国王になるまでに力を使った人は1人もいなかったらしい。この選択は正しかったのだろうか。悩みに悩んだが、それはパーティー会場で吹き飛んだ。
ルシア嬢とディアメリオが、今までにないくらい仲睦まじく入ってきたからだ。
理由は今朝、父上から教わった「時戻しの力」の説明を思い出せば容易に分かった。
時戻しの力は名の通り、「時を戻す」ことだ。言ってしまえば、時だけ戻す、ということである。
人の本質は時を戻す直前と同じだ。
だから、ディアメリオはルシア嬢の恋心を自覚していた。……最早、病的なまでに。
瞳が淀み、異様な空気を放っているが、それに気づいているのは男だけだろう。ルシア嬢に近づいた者はもれなく殺す、と顔に書いてある。
友人が怖かったが、取り敢えずルシア嬢が危ないことを伝えると、ルシア嬢を危険に晒した相手を殺すなよ、というとてつもなく大事な説明を終える前にすっ飛んでいった。
慌てて駆けつける。その時ディアメリオはマリザ嬢に、ルシア嬢に聞こえないように耳元にそっと囁いている所だった。
――殺そうとしたってことは、僕に無様に殺される覚悟はとうに出来てるってことだよね?
ここから突き落とされるのが好み?
それとも、僕が今護身用で持っている短剣で刺されるのが好みかな?それとも――
つらつらと明日の朝食の提案でもするかのように並び立てるディアメリオの瞳は、時を戻す前、マリザ嬢をバルコニーから突き落としたものにそっくりだった。
だが、まだ凶行には及んでいない。
ルシア嬢さえ死ななければ、何かが起こらなければ、ディアメリオはそれ程とんでもない行動には出ないという確信が芽生えた。
私は慌てて止めた。
最初は不服そうだった。脅しではなく本当にやろうとしていたのかどうかは定かではない。しかし、強く言えば大人しくなった。私自身滅多に人に強く言うことは無かったから、それもあってだろう。
その後は2人の様子を見ていないから分からないのだが、無事2人は想いを伝えあうことが出来たらしい。
その後、ディアメリオは私の部屋を訪れた。遂に、次期宰相はディアメリオに決定したと告げられ、その報告も兼ねて私は親友を呼び出した。
そこで、不思議な話を聞いた。
「ルシアが、あの女に落とされるところを夢に見たと言うのです」
「夢に?」
「不安だったらしいのですが、結果的に正夢にならなくて良かったと言っていました」
との事だった。
試しにディアメリオにも聞いてみたが、そのような夢は見ていないとの事だった。
だが、一つ気になることを言っていた。
マリザ嬢を見た瞬間、どうしようもない苛立ちと憎しみが溢れてきたらしい。殺さなければ――そう感じたと。物騒な話だが、ディアメリオも時を戻す前のことを少し覚えていたということだろう。
本来、「時戻しの力」は政治をより良くするために、不特定多数の民に使われるものだ。だが、私はこの2人だけの為に力を使った。だから、その記憶が若干残ってしまったのかもしれない。全て私の考察に過ぎないが。
次期宰相に決定したという話もそこそこに、ディアメリオはルシア嬢の惚気話を語り始めた。
「この前王都に2人でデートしたのですが、ルシアがはしゃいでいて、すごく可愛くて」
「……そうか」
「そんな可愛い姿、誰にも見せたくないから、一生部屋に閉じ込めてしまおうかなとも一瞬考えたのですが。ルシアが僕のために、お揃いのハンカチを買ってくれたんですよね。もう嬉しさで死ぬかと思いました。だからまたルシアと王都に出かけようと思います」
どうやらルシア嬢はハンカチのおかげで監禁を免れたらしい。親友の惚けた顔は本当に幸せそうだった。
私が止めるまで数時間に渡り永遠にルシア嬢の事について饒舌に語るのは、少し面倒臭いが。
それでも、これで良かったと、そう思えた。
何が2人の破滅を呼び寄せたのか。
ルシア嬢が自分の想いを隠し続け、繊細な性格故にディアメリオに想いを伝えることがなかったからかもしれない。
はたまた、ディアメリオがルシア嬢からの好意に気づかず、自分の想いにすら気づかなかったからかもしれない。
もしくは、私が2人の友人でありながら、特に干渉せず傍観していたからかもしれない。
でも、今は違う。
ルシア嬢とディアメリオは想いを伝え合った。大切な友人の幸せな姿を見ていたら、後悔など消え去った。
一抹の不安としては、ディアメリオの様子だが、ルシア嬢さえ隣にいれば恐らく大丈夫だろう。
親友が万が一、凶行に及んだ場合は、絶対に止める。
「さて。父上から任された補佐の仕事、こなさないとな」
ぐっと伸びをし、机に向かう。
時を戻す力が無くても、立派な為政者となってこそ、この選択が間違っていなかったと証明される。
後は、私が頑張れば良い。2人の幸せを願いながら。
今までにも増して強い決意を新たにし、私は書類に目を通し始めた。
ここまで見て下さりありがとうございました。