4.それは正夢であった
馬車がゆっくりと止まる。扉が開くと、ディアメリオ様は優しく私の手を取り、丁寧にエスコートしてくれる。ここまではいつもと同じ。
そのまま隣に降り立つと、するりと指を絡められる。俗に言う、「恋人繋ぎ」というものだ。今まではディアメリオ様の手に乗せるだけだったのに、まさか自分がする日が来るとは思わず、緊張で手が汗ばむ。
パーティーの会場に入ると、集まっていた人々が一斉にこちらを向いた。しっかりと密着した私たちを見て、ヒソヒソと囁き始める。いつもと違う雰囲気を感じ取ったのだろうか。令息令嬢は驚きの視線を向けてくる。
「今度から、青いドレス用意させるね」
「え……」
「君が可愛いから、男が不躾に見てる。そんな奴には、ちゃあんとルシアが僕の大切な人だと分からせないといけないし」
ね?とディアメリオ様はにっこりと微笑んだ。私は頷く。青いドレスはディアメリオ様の瞳の色。それをまさか着るだけでなく、用意してくれるなんて。今日はあまりにも状況が変わりすぎて、これが夢なのではと錯覚してしまいそうだ。
暫くして音楽が流れ始めた。周りの人々はダンスのパートナーを探そうと動き始める。
そんな中、1人の令嬢が近づいてきた。名前までは分からないが、何回かディアメリオ様と踊った事がある令嬢だと思う。
「ディアメリオ様。私とダンスを思って頂けませんか?」
令嬢は、さも当然のように手を差し出した。ディアメリオ様がその手を取ることを確信しているかのような、そんな素振りに、胸に苦い気持ちが広がっていく。
ディアメリオ様は令嬢をチラリと一瞥して、綺麗な笑みを浮かべた。
「ルシアとしか踊る気はないから」
「……え」
令嬢は予想してなかったというように狼狽えた。うろうろと視線を彷徨わせて、尚食い下がる。
「な……なんでですの?今までお誘いしても、喜んで乗って下さったのに」
「そうだったっけ?とにかく、今の僕は君と踊る気は更々ない」
「でも、一曲くらい一緒に……」
「聞こえなかった?踊る気はないって。ルシアとの時間を邪魔しないでくれるかな」
ディアメリオ様は一歩踏み出し、そう告げた。今までに見たことのない威圧感のある笑みだった。
令嬢は唇をぐっと引き結び、身を翻して戻っていった。
驚きの気持ちもあったが、単純に、嬉しかった。ディアメリオ様が、令嬢のダンスのお誘いをきっぱりと断ってくれた事が。
「じゃ、ルシア。踊ろうか」
「……はい!」
笑顔で返事をすれば、ディアメリオ様はとろりと瞳を蕩けさせ、私に向かって微笑みかける。先ほどまで令嬢に見せていた笑みとは全く違う。
「愛してる」と言われたり、ドレスを贈ってくださる事を約束したり、ダンスを断って下さったり。突然のディアメリオ様の変わりように驚きつつも、心が浮き立った。
何がそうさせたのかは分からない。だが、願ってやまなかった嬉しい変化をすんなりと受け入れつつある自分がいる。
「ディアメリオ」
そんな時、凛とした声がかかった。
見れば、この国の王太子、ライアン様が立っていた。いつもなら隣に居るはずのメア様の姿はない。
「何ですか。今からルシアと踊るところだったのですが。貴重な時間を邪魔しないで下さると助かります」
「……やはり、そうなるか」
「は?」
「いや。とにかく、話がある。本当に大切な話だ」
ただならぬ空気に、ディアメリオ様は眉を寄せ、私を見た。私はこくりと頷く。
「すぐ終わるんでしょうね」
「勿論、すぐ終わらせる。間に合うように」
ライアン様はいつもよりも増して強く宣言した。
「……わかりました。じゃあルシア、行ってくるね」
「はい」
「すぐ戻ってくるから。本当は不本意だけど、ライアン様は王族だから、命令には逆らえないんだ。ごめんね」
「本人を目の前にしていう台詞か、それ」
呆れたようにライアン様は呟いた。不敬罪で咎められたりしないかハラハラしたものの、2人は相当仲が良いようで、空気が悪くなることはなかった。
「僕以外の男に誘われたら、断ってほしいな。ましてや触られたりなんかしたら許せない。触られそうになったら、ちゃんと僕を呼んで、ね?」
「あ、はい」
それはそうだ。ディアメリオ様が令嬢からのダンスを断ったのに、私が令息からのダンスを受けるのは良くないだろう。
そう思って頷いた私とは対照に、ライアン様は何故か若干引いた目でディアメリオ様を見ていた。
「ディアメリオ、行くぞ。ルシア嬢のためを思うならちゃんと話を聞くんだな」
「ルシアとダンスを踊るところを邪魔した時点で、ためになっていないと思うのですが」
「お前……変わったな」
「どこがです?」
そんな軽口を叩きながら、ディアメリオ様とライアン様はその場を離れていった。
ポツンと1人佇む。数人の令息がダンスを申し込もうとするが、ディアメリオ様と同じように笑顔で断った。「ディアメリオ様としか踊らないので」と。
「ルシア様」
その時、声がかかった。見上げると、そこには青いドレスに身を包んだマリザ様が優しい笑みを浮かべながら立っていた。この優しい笑みは虚構だ。唇の端が苛立ったようにピクピクと動いている。怒りを抑えている表情に近い。
「ちょっとお話ししましょう?」
「でも、ディアメリオ様にここで待って欲しいと……」
「そんなの関係ないわ。私とあなたの仲じゃない。ね?」
有無を言わせぬ瞳で、マリザ様は微笑んだ。マリザ様と私は皆、「仲の良い令嬢同士」だと思っている。
そんな中、皆が見ている前で腕を振り払うこともできず、私は腕を引かれてバルコニーへと連れて行かれた。
満点の星空に、大きな月が浮かんでいる。それは柔らかな光で私たちを照らす。決して肌寒い季節ではない筈なのに、吹き抜ける風はやけに冷たい。
会場を背に向けて立つマリザ様が、夢で見た光景と重なる。途端、えも言われぬ恐怖が全身を包んだ。
「私、何度も貴女に言っているわよね。婚約を破棄してって」
「……」
「何なの?今日のパーティー。手を繋いだり、ましてやディアメリオ様が令嬢からのダンスを断るなんて。あり得ないわ。貴女、身体でも売ったの?」
「……売っていません」
「なら、何。あれだけ変わるなんておかしいわ。まるで――人が変わったみたい」
その指摘は正しかった。
あれだけ変わったディアメリオ様の態度、言動。今までとは正反対。何か事情があるのではないか、そう考え、疑うのが当然かもしれない。
だけど。
ダンスを踊れると知って、ドレスを用意して下さると約束して、「愛してる」そう言って下さったこと、全てがとてつもなく嬉しかった。ずっとずっと想い続けてきた。この恋が叶う兆しが見えた時、それを自ら手放すことなんて、どうして出来るだろう?
「その理由は、分かりません。でも、私は、ディアメリオ様が仰って下さった事を信じたいのです」
「……それは、何」
「『愛してる』、その言葉を――」
途端、がっと肩を掴まれた。物凄い力で、振り解けない。
マリザ様は欄干に私の体を押し付ける。
どろりと濁った瞳は、夢で見たものと全く同じだった。
「『愛してる』?そんな台詞、ディアメリオ様が言う筈ないわ。貴女は一生愛されない可哀想な女なのよ……」
「……っ、痛い……」
「――貴女さえ、いなくなれば」
夢と同じ台詞だ。まさか、あの悪夢が正夢になろうとしているのだろうか。心臓が早鐘を打つ。冷や汗が吹き出した。恐怖で何も考えられない。
「ここから落としても、私たちは仲の良い令嬢だから、事故として処理される筈だわ……そう、そうに決まってる……そうすれば、私は婚約者の立場に……」
「……やめ、て……」
「――さようなら」
そう言って翳った瞳でうっそりと笑うマリザ様。私の身体は欄干を乗り越え、ぐらりと傾く。ああ、もうダメだ。諦めながらも、夢と同じように腕を伸ばした。