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時を奪われるほどの楽しさ

作者: 薄氷

 皆さんは「時を忘れるほど」という経験はありますか。


 なにかに熱中してて気づいたらこんな時間に…………という経験をしている人は多いと思います。そして、私は時を忘れるほど楽しむという経験を良くしています。


 それは「ゲーム」です。ですがゲームといっても最近のスマートフォンでできるようなソーシャルゲームではなく、普通の「ゲーム機で遊ぶゲーム」全般です。


 そんなもん、ただのゲーマーの空言だろう、と思っている方もいると思います。確かに書いていることだけを受け取れば長くゲームをやっていればあっという間に時間がたつのは当然でしょう。


 ここで皆さんと考えてほしい事は、似たようなことをしているのに、どうして時間を気にしている場合と時間を気にしないでいる場合があるのかということです。


 ここで出す例として「ゲームソフトを使うゲーム」は時間を忘れるほどやるもの。逆に「ソーシャルゲーム」は時間を少し気にしつつやってしまうもの。という定義だとします。

(もちろん個人差があって当然なので、自分の思い当たる例を考えてみてください。)

もう一つ例を出すのならば、「習字の授業」と「習い事の習字」などでしょうか。これらの違いはどうして起こるのかを考えたいと思います。


 私的にはこれらが起こるのは“熱中できるという物の力が強いから”であると考えます。(少なくとも)私はソーシャルゲームよりもゲームソフトのゲームの方が目標に対しての達成感というか熱中するという“何らかの力”が働くために時間を忘れるほどやりこんでしまうものなのかと思います。

 習字の例に関しても同様で、習字の授業という決まった時間内のものよりも習い事の習字の方が、「作品を完成させるために懸ける努力」というものが変わってくるために、時間を忘れるほどに字を書くことに集中するのだと思います。


 実はこの文章を書き始めた理由は前の行で書いていた“何らかの力”の正体が何なのかという事を考えるために書いたものです。ですが、この文章を書くために考えてはみたものの曖昧な答えしか出ませんでした。その物事に集中することによってそれ以外の情報を排除してしまうという考え方ではありますが、人間がそこまで器用な生物だとはこれまで生きてきてそう思わなかったのです。ではこの時間を忘れている、という時に「時間」という概念を覚えている、考えている、意識しているモノ達はどこに行ってしまっているのでしょうか?長年考え、そして解決しないかもしれない疑問です。


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