二人の厄日
六月二十六日 火曜日 四時
(ここ……どこでしょう?)
大きな公園のトイレからこの地方じゃ珍しい金髪に瑠璃色の瞳を持つ美女が物珍し気な表情で出てきた。
夜から朝に変わる地平線が揺蕩う時間。彼女の髪と同じ金色の雲と光が滲む空、そこにたたずむブロンド美人というのは中世の絵画のような美しさがある…………それがトイレの前というのがなんとも締まらないが。
(どこの市に住んでるかしか主様が教えてくれなかったから、とりあえず飛んできましたけど……ホントどうしましょう。昨日は準備やら何やらでそこらへんのことは全く考えていませんでしたから)
周囲に人影はなく、頼れる人もなし。
(よし。これもきっと試練です。大役を仰せつかったんですからしっかりしないとですね。とりあえず歩きましょうか)
なにはなしに歩き出す。あてもなく歩き出す。
結果 六月二十六日 火曜日 七時
『グ~~』
(そう言えば、こっちに降りると体が下界に適応されると主様が仰っていましたね……)
フラフラとあてもなく町をさまよい続けて三時間。空腹と徒労感で最初の天上の美しさに陰りがさしていた。
(なんとなくで進むものじゃないですね。まさか最初の道から間違っていたとは)
グランディーネは一時間ほど前になんとなく目に入った住所表を見るまで、逆に進んでいるなんて気づいていなかった。もっと言えばそれが目に入っていなかったら永遠に進み続けていただろう。
(あそこで気づけるなんで私は運がいいですね。主様に感謝です。それになんだか人が多くなってきましたし、きっとこの先に行けば護衛対象もいるでしょう)
グランディーネが下界に来た理由は単純である。
(“環を崩す楔を守護せよ”なんて変ですよね。まぁ主様が仰るんだから正しいのでしょうけど)
人の波に身を任せていたら、目の前に大きな建物が見えてきた。その奥からは何か連結したものが走っているらしき断続音も聞こえる。
(しかし、ホントにこんな男が楔なんでしょうか? ぶっちゃけ冴えない男の人ですけど)
懐からその護衛対象の写真を取り出す。そこには講義をぼぉっと聞いている、冴えない男性が写っていた。
(改めて見てみても冴えないですね。何というか、パーツが女の子らしいのに男の造形をしているというか、まつ毛長いし肌白いし手足長いし…………ホントにパーツは綺麗なんですよね)
そんなことを写真に写っている男性と同じようにぼぉっと考えていたせいだろうか。いつの間にか建物の中に入っていたことに気づかなかったのは。
ピッポ―ン!
(へっ!?なんです!??)
そこには、少し目のきつい、いかにも才女のような容姿をした美人が改札で捕まって慌てるという風景が出来上がっていた。
グランディーネは驚きのあまりとっさに神の守護天使に許された奇跡の力の一つを使って転移した。
(びっくりしました……なんなんですかあれ。ていうか驚いてとっさに神足通を使っちゃいましたけど大丈夫ですかね。…………。……大丈夫じゃないですよねぇ)
場所は変わり、最初の公園のトイレの中。グランディーネはとっさに使った神足通(転移のようなもの)で逃げてきていた。
(あんまり得意じゃないんですよねこれ。ていうか、別に逃げる必要なかったですよね私。何やってるんだろう私…………せっかく主様に大役を仰せつかったのに)
公園の中のさして綺麗でもない便器に腰かけて項垂れる金髪美女。目の前の『落ち込んだらここに連絡!』という落書きが嫌に目に留まる。
(……。 いいえ!ここでくじけてはダメですよグランディーネ!まずは護衛対象と接触しなければ!!護衛対象と言うことはその人はきっと何かに狙われているんでしょう。それなら早く会わないと!そうと決まればまずはあの中に入りましょう。人の多いところに行けばきっと見つけられるはずです!)
そう決意し立ち上がったその目には、もう強い輝きが戻っていた。
(駅員さんには申し訳ないのですが、いまはお金がないので神足通であの中に入っちゃいましょう。あれから時間も経ってますし、きっと大丈夫です)
グランディーネは目を閉じて集中する。無意識に体は緊張していた。
(失敗しませんように……。行きます。神足通!!)
一瞬の浮遊感のあと、足の裏に先ほどとは違う感触が伝わる。耳には電車というものが来るという旨の放送が聞こえてきた。
(それにしても御不浄の個室は便利ですよね。誰の目にも尽きませんし)
目を開けるとそこはさっきとは違うトイレの中だ。それを確認すると自然と体の緊張も解けた。
(さてと、護衛対象を探しますか!)
意気揚々とグランディーネがトイレから出る。しかし、その足はすぐに止まった。
(多い!!!え? なんでこんなに多いの!?これじゃ探し出せないんですけど!?)
瞳に宿っていた強い光がみるみると消え、あたりを見渡す。
グランディーネは単純に考えていたのだ。人が多いところに行けば見つかると。 しかし、その多さは想像を絶していた。
(どうしよう……どうやって見つけましょう…………)
グランディーネが線路ギリギリでオロオロしていると、不意に嫌な視線を感じた。
(ッ!?)
振り向こうとした瞬間、あちらのホームに電車が到着した。
(何だったのでしょうか? 闇の者の気配が混じっていたような)
そのまま視線を向けていると、こちら側のドアに二人の男性が見えた。
その二人の向かって左側の男性にグランディーネは目を向いた。
「いた!!」
思わず声に出してしまったが、間違いない。妙にパーツが女性的なのに身長が高く、どこか冴えない男。
グランディーネが見ていると左側のどこかぼぉっとした男もこちらを向こうとしていたが、目が合う前にグランディーネ側のホームに電車が到着した。
たまらず自動ドアが開くのと同時に駆け込むグランディーネ。しかし、反対側に到着したときにはあちら側は既に出発していた。
「あぁ…………。 せっかく見つけのに行ってしまいました……」
奇跡的に見つけた手がかりが目の前を通り過ぎていく。
(これからまたどうしましょう……。 もう張り込むぐらいしか…………とりあえず降りますか)
『一番線、東京行き快速。トビラ閉まります。閉まるドアにご注意ください』
降りようと振り向いた先で、無慈悲に閉まっていくドア…………。
「あ、いや、ちょ!」
手を伸ばすグランディーネを無視して電車は加速していく。朝の快速に涙目でひざまずくブロンド美女。
「…………ぁぁ」
『次は△△駅に止まります』
次に止まる駅がだいぶ先を知らせるアナウンスが、打ちひしがれるグランディーネの耳にむなしく響く。
――――――結局グランディーネが元の駅に戻ったのはさんざん乗り換えを間違えて、人々にもまれて電車を嫌いになった二時間後だった。
同日 七時半 相沢宅
メキョー♪
(ん? 藍斗から?)
元気に自主休講中の萌黄のスマホから怪鳥の断末魔を思わせるアプリの通知音がなる。萌黄は朝からソファーに寝転がって、インクでヘッドショットを決めていた。スマホを横目で確認してポップアップだけ読んで無視しようかと思ったが、上には『画像が送られてきました』という文字だけだった。
(藍斗からの連絡とか……めんどーな予感しかしないなぁ)
手元もひと段落したので面倒に思いつつもアプリを開いて画像を確認する。するとそこには男女問わずため息をつきたくなるような女性が写っていた。
「誰これ? きれーな人、だけど…………てかこれあからさま隠し撮りなんだけど……」
萌黄は社会的には兄を名乗っている男性のあまりにモラルに欠ける行為に呆れながらも送られてきた画像に女性を改めて見る。
瑠璃色の双眸にフレイヤを思わせる神々しい金髪。ミロのヴィーナスが完全だったらおそらくこれほど美しかっただろうと思わせる見事な体躯。そのあまりに完成されきった容姿は天上の物と言われても十分納得できる存在感があった。
だが、そこまで完成されきっているからこそ、萌黄は逆に好きになれなかった。
(なんか仲良くなれなさそー、特にこの目がヤな感じ)
無意識に仲良くなれるかどうかを考えるあたり、基本的に人当たりの良い性格で人の好き嫌いがない萌黄だが、この女性は一目で苦手な部類だと判断できた。具体的になんだとは言えないが、漠然とした忌避感を抱いたのは確かだ。
画像の女性を観察している所に藍斗からメッセ―ジが届く。
『コイツは天使だ』
「へっ!?!?」
ソファーから跳ね起きて素っ頓狂な声を出す。しかし、それも無理からぬことだった。
天使とはこの場合、円環の神テレナレクを守護する七天使を指す。その全容は教義や神話にも記されておらず、嘘か真かわからない壁画に書かれているのみだ。それでも強い力を持っていることだけは確かだ。
藍斗も萌黄もその存在は知っていいたがついぞその概要を知ることはできなかった。だが、だからこそよっぽどのことがない限りは手を出してこないとも思っていた。出てくるにしても”環”に直接的な何かがあってからだと高をくくっていた。
驚愕する萌黄に対して続けざまにメッセージが来る。
『あのクソ野郎に見せられた壁画の中の奴と同じ顔だったから間違いない』
『それで、ちょっと親父から作ったあの木剣で刺してきてくれ。アレで刺せないのは流石にいないだろ』
「いやいやいやいや!ムリムリムリ!!」
部屋で一人、スマホに向かって手を振る萌黄。その額には既に冷や汗が流れていた。
(戦力も何もわかってない相手にいきなり喧嘩売ってこいとか頭おかしんじゃないの!?…………あ、藍斗が割と頭おかしいのは今更か)
よくよく考えたら朝の混雑する駅で平然と盗撮するような男がまともな配慮とか持っているわけがない。そこで落ち着きを取り戻した萌黄はこの事態をなんとか断るための言い訳を絞り出しにかかる。
(なんて断ろうかなぁ……てか、藍斗の方が強いんだから藍斗がやればいいのに!!)
と、そこで藍斗から新しいメッセージが届いた。その文は極めて簡潔だった。
『上手くいったらP〇4買ってやる。しかもpro』
『まかせて!!!』
気づいたら、指が高速で了承していた。