高度に発達した“愛着”は、“狂気”と区別がつかない
それは昔のことすぎて、あまりちゃんとしたことは言えないけれど――
――それまでは多分普通だったのではないかと思われる僕のお姉ちゃん――大槻沙弥香の意識が明確に変化したのは、僕たちに妹が生まれた時ってことになるんだろう。
変化――それはもはや、変異とか変質とか言っても良いレベルかもしれない。
もっとも、妹の鳴子が生まれたのは僕が三歳、お姉ちゃんは一つ上なので四歳の時の話で、その頃の僕は自我も意識もぼんやりしてるくらいには幼かったものだから、そうなる前のお姉ちゃんのことはあんまり覚えていないんだけど。
でも、お姉ちゃんをずっと間近で見ていた僕には、彼女の中で起きた劇的な何かについて、感じ取ることができたように思う。
変わったのだ。あの時を境に。
あの日――、
僕とお姉ちゃんはお父さんに連れられて、お母さんと生まれたばかりの鳴子がいる部屋に向かった時のこと。
僕たち家族が室内に全員揃った瞬間、それまで廊下まで聞こえるほどの声量で「いああ!」と元気に泣いていた鳴子は、急にぴたりと泣くのをやめて、僕たち家族をひとりひとり観察するように見つめたのだ。
自分を取り巻く人たち――僕らが、今日から自分の家族になるのだということを、きちんと確認するかのように。
その、目が――、
その時、僕たちを見つめた鳴子の瞳は、まるで宇宙のような――星空のような深淵な光みたいなものを湛えているように見えて、なんだか見ていると吸い込まれてしまいそうな気分さえした。
未だ無垢なる、黒々とした、その、瞳。
――おそらくそれが、お姉ちゃんを変質させたんだ。
その瞳と目を合わせた瞬間をもって、お姉ちゃんは、今の僕が知るお姉ちゃんになったのだ。
そのぐらい、僕たちを見つめるあの時の鳴子の目は印象的で、それに魅了されたように動かなくなったあの時のお姉ちゃんの姿も、印象的だった。
それは意識の不鮮明さでは鳴子とさして変わらない三歳児の僕の記憶にはっきりと、焦げ付いて焼き付いて、未だに鮮明に思い出すことができるぐらいなのだから。
……って、そうやってちゃんと覚えてるってことは、僕自身も鳴子とバッチリ目を合わせているってことなんだけど。
僕は、まあ、そんな変質ってほど大した変化はなく、あの頃から今に至るまで地続きの僕のままであるはずだ。
あれは言うならば、そう――「原初の記憶」とでも呼ぶべき、僕の幼児期の印象的な原体験の一つということになるのだろう。
「決めたわ、ふみのり。わたし、この子のこと、なによりもだいじにする」
「ふうん?」
ともかくお姉ちゃんは、あの時点をもって変化した――「正義」に目覚めたのだ。
そのように宣言したお姉ちゃんの決意がちゃんと理解できず、できてもそんなちゃんと言葉にはできなかった当時の僕は生返事をするだけだったが。
お姉ちゃんは生後間もない妹が泣きじゃくる姿を見るなどして、「この子をこの世に蔓延る全ての悪から自分が守り抜かねばならない」とか、そんな使命感のようなものを抱いたのかもしれない。
まあ、確かに?
そういうこともあるかも。
いかにも、それっぽい美談。
でもそれは今になって改めて考察され得る可能性でしかなく、実際にこの時のお姉ちゃんが感じ取っていたことは、たぶん、違い……はしないけど、正確ではないような気が僕にはする。
なんでかはわからないけどお姉ちゃんのことをよく知る僕からすれば、そういうもっともらしい話よりも、
――鳴子のあの瞳に魅入られて、お姉ちゃんは頭がイカれた。
って説のほうが、不思議としっくりくる。
幼少期の印象って強烈なのだろうし、僕が覚えている原初の記憶に変に固執してるだけかもしれないけど。
……ってか、こんなのお姉ちゃんに言ったら百回殺されるからとても口には出せないけど。
先も触れたとおり、これは僕のはっきりした自我が芽生えるよりも以前の出来事。
記憶はどうにも印象が先行していて、明確に言語化できないことばかりだ。
「名前は、鳴子にしようと思うんだ。ぴったりだろう?」
「え?鳴子……? 鳴子、鳴子鳴子……あれ、なんかすっごく良い名前ね。ぜひそれにしましょう、あなた!」
「そうだろう!そうだろう!ははは」
「すっごく良い名前ね!」
これは後から聞いた話でしかないが、お父さんとお母さんとの間で、鳴子の名前を決める際にそんなやりとりがあったのだそうだ。
鳴子という名前はそのようなお父さんの妙に唐突な思いつきがきっかけで、お母さんも何故か「それしかない!」みたいな気分になってしまったらしく、そのまま決まったそうだ。
本当は生まれる以前から考えていた名前があったのだそうだが、鳴子に関しては生まれた瞬間に、完全に塗り替えられる気分だったのだそうだ。
僕とお姉ちゃんの時は親族全員で協議した末決まったと聞いているのに、鳴子だけがなんだかいい加減な話なように感じられる。
と、言いつつ僕も、鳴子は鳴子以外の名前なんてあり得ないって思うんだけど。
――鳴子。僕たちの妹。
赤ちゃんというのは当然自分では何もできないのだけれど、これまた当然欲望には一人前以上に忠実で、お父さんもお母さんも、鳴子の相手で手一杯になる。
それまで末の弟として、お父さんお母さんの愛情を一身に受けていた僕にとっては、それらの大半を鳴子に奪われたことになるわけで、少しぐらい寂しい思いをしたり、鳴子に対するやっかみみたいなものがあったのかもしれないが、あまり記憶にない。
僕もまた、両親やお姉ちゃんと共に鳴子を世話し、そうやって年相応にあれやこれや泣き叫ぶ妹に応えようと一緒になって頑張るのが嬉しかったように思う。
「おかあさーん、なるこがうんこミサイルしたー!」
「こーら!そんな言い方しちゃ駄目でしょ!」
まあ、そこは子供の限界というか、僕なんかは張り切ってはみたものの結局妹のパワーに押し負けるような感じで、毎回土壇場になったら親に押し付けて結局何もしないみたいな感じばかりだったような気がするけど。
……ところが、お姉ちゃんはそうでもなかった。
「どいて、ふみのり。わたしがなんとかするわ」
「あら、えらいわーさやか。もうすっかりお姉ちゃんね」
自分も子供なのに、毎日毎日妹の望みを叶えようと泣き声が聞こえれば我先に駆けつけていたし、言葉も通じない妹を満足させようと色んな努力を怠らなかった。
僕たちの両親はお姉ちゃんの育児参加に感心して、「もう大助かり~」みたいな感じで、「ふみのりもお兄ちゃんなんだから、少しはお姉ちゃん見習って、鳴子の面倒を見てあげなさいね」などと僕にまで余波をもたらす始末だった。
そんな小言言われなくたって、鳴子の面倒は見るつもりでいたけどね。
「なるこ。かわいいかわいい、なるこ。わたしのだいじなだいじな、いもうと」
妹を愛でる姉。その姿はどこか、祈りを捧げるようですらあって――、
ただ、僕としては、お姉ちゃんがお姉ちゃんらしい責任感を持って振る舞ってたというわけではなく、もっとおかしな、理解に苦しむような発想に基づいて動いていたのだということを、幼心にもなんとなく理解していた。
それがなんであるのかをちゃんと理解するは相当後のコトになるのだが、それこそが多分お姉ちゃんの覚醒させた――言わば、「正義」の心だ。
正義。正義……いや?
その言葉は僕が勝手にそう言ってるだけなので、ホントに適切なのかどうかは実を言うとちょっとわからないけれど、とりあえずわかりやすいし感じが良いので、そう呼ぶことにしている。
……そんなこんなで僕は、そんなお姉ちゃんの正義……と呼んでいいのかよくわからない行動の数々に、延々と振り回され続けることになるのだ。
お姉ちゃんは、悪を許さなかった。
悪を許さぬにも程度が色々あるだろうけれど、小学校低学年ぐらいの頃までは、まあ可愛いモノだった。
吠えてる犬を追い払ったり、鳴子に意地悪するいじめっ子を叱ったり、きまりを守らない男子に怒ったり、ポイ捨てする大人に怒鳴ったり、おばあちゃんに席を譲らない大人を詰ったり、まあ色々あるけどそんな具合。
そもそもこれは妹の鳴子の安寧を守るために始めたことなんだけど、途中から鳴子関係なくなってきてる気がするのは僕だけだろうか。
ひいては巡り巡って世界が平和になり、鳴子も安全になるみたいな理屈なのか。
どうなのか。
先生以上に口うるさいお姉ちゃんは男子からは嫌われていて、下級生であるところの僕の耳にも、その噂は時折入ってきた。
「ふみのりの姉ちゃんってさ、家でもあんなギャーギャー言ってんの?」
お姉ちゃんと同じクラスの兄がいるらしいクラスメイトにそう聞かれ、僕は「うーん」と悩む。
「たしかにいろいろ言うけど、そこまで怒ったりはしてないかなあ」
「え?そうなのかー。仲良くやってんだー?」
「やってるよー。たぶん……」
これはお姉ちゃんを擁護して嘘をついたとかではなく、ホントにそうだ。
お姉ちゃんは家ではそんなガチガチでもピリピリでもなかった。
妹に対しては生まれてからずっと――それこそ現在に至るまで――甘々で、怒ったりするところなんて見たこともない。そんなことするわけないとさえ想う。
僕に対しては、時々ああしろこうしろ言うけど、それはあくまで姉として僕を監督してる程度のもので、僕もまあ、自分で言うのも何だけど割と良い子だったと思うので、お姉ちゃんを本気でキレさせるようなことは当時はそんなになかった。
「ふみのり、あなたもわたしと一緒に、鳴子を守っていかないといけないのよ」
「あれ?そうなの?」
「そうなの。これは大事なことなんだから絶対忘れないようにね。わかった?」
「わかった」
……というか、お姉ちゃん的には、僕は一緒に妹を守っていく仲間というか同志というか、共同戦線というか一蓮托生というか、そんな良い具合の存在としてカウントされていて、特別に何かしたわけでもないのにやけに信頼を置かれていた感じだったのだ。
僕としても、兄として妹を守ってやりたいという意思は当然のようにあったし、お姉ちゃんの言う正しさのようなものについても多少の温度差はあれど、一応の理解は示していたと思う。
「ふみのり、わたしともあそんでー?」
「いいよー」
この頃には鳴子もたどたどしく言葉を話すようになり、よちよち寄ってくる姿がかわいくて僕は一緒に遊んであげる。
一方、お姉ちゃんは鳴子が何か言うよりも前に駆け寄ってって一緒に遊ぶので、最早おねだりすらされない。
僕は、自分で言うのもなんだけど結構ちゃんとお兄ちゃんやってると思うのだが、根本的熱量の差というかそんな具合の何かにおいて、お姉ちゃんには大きく水を開けられていて、鳴子も僕よりお姉ちゃんのほうが好きみたいだった。
もちろん、三人で遊ぶこともある。というかそれが一番多い。
家でも公園でも、旅行先でもどこでも、僕たちはいつだって三人で遊んでいた。
「こうして三人で遊んでいるときが一番平和だわ、ふみのり」
「平和だね。お姉ちゃん」
……そう、平和な時期と言えた。
この頃は。まだ普通の子供で、普通の三人兄弟だった。
ところがどっこい。
小学校高学年になる辺りから、お姉ちゃんが徐々におかしくなり始める。
いや、僕の記憶にあるお姉ちゃんは言ってしまえば総じておかしいのだが、この辺りから顕著になってきて、周囲からの印象も「奇人・変人」というカテゴリで固定化されてきた感じがする、という話だ。
「戦い方を、覚えたいわね」
「なにと戦うの?」
ある日、お姉ちゃんは唐突にそんなことを言い出して、気が付いたら空手だの合気道だの色んな武道を習い始めた。
僕が投げかけた疑問の声は至極当然なものだと思うのだが、お姉ちゃんは「愚問だわ」とのみ答えて黙殺し、僕が意味不明状態になっている間に、お姉ちゃんはケンカがどんどん強くなる。
「お姉ちゃん、ゲームやろうよ」
「わたしは見ての通り勉強中よ。今は手が離せないから。ふみのり、あなたが責任を持って鳴子と遊んであげなさい」
「え?いいけど……」
かと思えばこのように、習い事のない日は図書館とかお父さんの部屋で難しい本を借りてきては、ずーっと部屋に籠もって読書をするようになる。
お姉ちゃんの机には大人でも読むのかわからない分厚い専門書とか学術書がどっさり積まれ、お姉ちゃんは小学生のくせにそれをずいずい読み進めていた。
それは学習だった。子供のみならず、大人すら凌駕する知識を得んがための学習。
お姉ちゃんは簡単にやってるけど、それは並大抵のことじゃないし、僕にはとてもできない。
……狂気ですらある。ナニカに取り憑かれたように、とはこういう一心不乱さを言うのだろう。
僕は普通の小学生だったので、お姉ちゃんのこうした唐突に始めた自己啓発行動について、どういう意図があってのことなのかを最初はあまり深く考えず、ただ、ぼんやりと視界に収めては「すごいなあ」などと言っているばかりだった。
けど、それから何ヶ月かして、気が付いた時にはお姉ちゃんは無敵になっていた。
ケンカになれば男子相手でも軽ーくボコボコにしてしまうし、言い合いになっても相手が泣くまで徹底的に論破してみせるぐらい頭が良くなっていた。
日夜意識高く武道を修め、毎日難しい本を読んで知識を蓄えたお姉ちゃんには、並の小学生じゃ最早戦いにすらならなかった。
お姉ちゃんは、悪を許さない。
鳴子を脅かす恐れのある悪など、僅かばかりも許さない。
――正義だ。
この頃になってようやっと、お姉ちゃんの正義を執り行う準備が整ったのだ。
武道と勉強は、それを成し得るための手段だった。
力と知を獲得したお姉ちゃんは自分のクラスで起こるあらゆる悪を見つけては裁き、その領域は学年中、学校中へと徐々に拡大していった。
「ふみのりの姉ちゃん、マジで正義の味方になってきたな」
と以前にも僕に質問をしてきた、お姉ちゃんと同じクラスの兄がいるクラスメイトがそんなことを言い、僕もこの時にはさすがに「そんな感じだね」と同意する以外のことを言えなかったし、
「でも家では姉ちゃん普通なんだろ?」と問われた時も「うーん……」と言葉を濁してしまっていた。
普通とはなんなのか?普通のお姉ちゃんとはなんなのか?
その辺りが、この頃から僕は正直ちょっとよくわからなくなってきてたとも言う。
僕はお姉ちゃんがちょっと変なのではないかという可能性すら、この頃になるまでほとんど考えもしていなかった。
けど、周りのちょっと引き気味の反応を見ているうちに、「もしかして僕のお姉ちゃんってかなり変なの?」と思うようになってきた。
「ふみのり、あなたもそろそろ戦い方を覚えなさい」
「は?」
夏休み初日に突然そんなことを言われ、僕はお姉ちゃんがいよいよおかしくなってきたと確信するに至った。
「あなたは男の子だから、これからは戦いを主に担当してもらうわ。勉強の方は、とりあえずわたしがなんとかするから。ふみのりの勉強は、ふみのりが十分強くなってきたらでいいわ」
「僕の勉強って?」
「? ふみのりは今後、わたしがまだ手を付けてない部分を勉強するのよ。二人でやったほうが効率が良いでしょう」
「うん、まあ……?」
ここで言ってる「勉強」というのは、夏休みの宿題のことでなく、あの分厚くて難しそうな本を読み漁る行為を示すことぐらいは僕にもわかった。
アレを自分もやらされることになるなど完全に想定外だった僕は思わず嫌な顔をするが、お姉ちゃんは僕の反応など気にしていない。
「でも、それより先に、あなたは戦いを覚えるのよ。男の子なんだから、誰にも負けないぐらい強くならないと駄目よ」
「そうなのかなあ」
「そうなのよ」
「僕、ケンカなんかしないで済むならしたくないんだけど――」
「――逃げるの?ふみのり。鳴子を守るって約束したのにそれを反故にするつもりなの? それは困ったことになるわね」
した覚えのない約束に基づいて僕に詰め寄るお姉ちゃん。
その時の目は、悪を許さないと宣う――妹の敵を全力で排除する時に見せる、恐ろしい色をしてぎらついてる目だった。
憤怒と、憎悪と、強い感情がないまぜになって、狂おしく輝いて、神秘的ですらある――、ガラス玉みたいな目だ。
今まで敵対者にしか向けたことのないその気迫が自分に向けられたことがとても恐ろしく、僕は思わず反射的にお姉ちゃんに全力で謝罪をし、どんな言いつけにも従うと誓った。
「そう、それはよかった。あなたを矯正するのなんて、嫌だもの」
お姉ちゃんは底冷えのする笑みを浮かべてそう呟いて、僕は「矯正って歯並びとかを良くすることだよね?」などと言葉の意味を考えながら、お姉ちゃんの発言の恐ろしさに身震いしつつ、どうにかこうにか僕を改めて仲間として認めてくれた事実にばかり安堵していた。
そうしてお姉ちゃんの口から僕を含めた人生プランが語られ、僕はそれが何を意味するのかを理解できないままに、本格的にお姉ちゃんの妹保護計画という名の正義執行計画に加担させられていくことになる。
まず武道を習わされ、毎日エグい量の筋トレを課され、僕は順調に体と腕っぷしを鍛えていった。
でも、お姉ちゃんが満足するレベルに至っていないのか、当初口にしていた勉強についてはいつまでも始める指示をもらえなかった。
僕はひたすら体を鍛え、武道の修行をし、時々お姉ちゃんと「効果測定」と称して手合わせをしてはボコられ、「もっと頑張りなさい」と怒られながらその後も修行に励んだ。
鳴子も頑張る僕らを応援してくれて、僕はそれだけでやる気になって、張り切って道場に通った。
……ってか、本気でやらないとお姉ちゃんにマジで殺されかねなかったし。
そうして日々の生活の中で、時折目につく悪――お姉ちゃんが妹にとって害であると判断する何かを見つけては、僕たちはそれに対処した。
その基準は極めて恣意的というか、究極的にはお姉ちゃんが定義するものでしかなくって、「こんな裁判みたいなこと僕らの判断でやっちゃっていいのかな?」と思わないでもなかったけど、お姉ちゃんは昔から頭が良いし、僕のすることは何でも決めてくれてたし、最近じゃ難しい本をたくさん読んでますます頭が良くなってるはずだし、そもそも妹のためを思ってやってるから全然間違いじゃないよね、と僕は納得する。
――納得して、思考をやめる。
深く考えずに動き、何も感じずに習得した武力を――暴力を振るう。
それが本当にヤバいことになったのは僕たちが中学生になってからだ。
あれは僕が中1、お姉ちゃんが中2の時だ。
お姉ちゃんは文武両道、僕も格闘に関してはかなりの修行を積んでいた頃で、妹を守るという大義名分――正義という理屈の名のもとに、目につく悪を片っ端から粉砕しまくっていた。
僕らは自分たちが年齢不相応に技術や知識を蓄えてしまっていた事に気づいていなかった。
だからってわけじゃないし、じゃあ何が理由ってわけでもないのだが、……僕らは、ちょっと色々やりすぎてしまった。
「ちょっとそこのあなた、いやらしい目をしているわね。よくないことをしでかしそう」
「やっつける?」
「悪の芽は摘んでしまいましょう」
「わかった」
力と知を得た僕らが認定する悪の基準はより乱暴になり、正義の理屈は強権的になり、介入は過剰になり、暴力は歯止めをなくしていった。
僕らは僕らの勝手な理屈で行動し、振りかざす暴力を犯罪と呼ばれる領域にまで昇華させてしまったのだ。
要するに警察のお世話になった。
僕らは取り押さえられて逮捕され、パトカーに乗せられて連行された。
最初は警察署、その後も色んな施設を転々といくつか。
警察官やら保護観察官やら、なんだかよくわからないけど様々な、公的な感じのする大人たちが入れ代わり立ち代わり現れて、何日もかけて僕たちは反省を促すよう諭された。
訥々と、粛々と。
具体的に僕らが何をしたのかについては、ちょっとあまりに内容が野蛮でおぞましいものであるとのことなので、明言はしないでおく。
僕は一応反省もしているので、あまり言いたくないし……。
僕らは子供でしかないので、最終的にどういう処分が僕らに下ったのかはよくわからなかったけれど、両親は嘆いていたし、随分と苦労をかけたみたいだった。
あれだけのことをして、今、僕もお姉ちゃんも普通に生活できていることを考えれば、随分と寛大な沙汰だったのだと思われた。
……だというのに、僕たち――というかお姉ちゃんの始末に負えないところは、そんな風に世間と被害者に多大な迷惑をかけるようなことをしておきながら、心の奥底では正義だの妹のためだの、言わば良い事をしているような気分だったことだ。
「この国の法律でどのように犯罪と認定され、どのように裁かれようと知ったことじゃないわ。国家や社会、世の大人は正義を語るけれど、わたしには、わたしが信じる正義がある。それは神聖にして誰にも侵させない、崇高なものだと、わたしは信じている。
だって鳴子のためなのよ! 鳴子!鳴子! あんなに可愛い妹、誰だって守るに決まっているのに! その幸運と、責任から逃げたりしないわ!
だから、警察がわたしにどんな前科をつけようと、世間がわたしをどんな悪評で罵ろうと、わたしは考えを改めるつもりはないの。わたしはこれからも鳴子を守るため、鳴子に害あると断じたものについては容赦なく滅ぼすつもりよ!」
……色々よくわからないこと言ってたけど、要するに、お姉ちゃんは全然反省していなかったのだ。
自分は妹のためを思ってやってんだから何をされてどう言われようと何も恥じるところがないとのことで……僕は姉のプッツン具合に初めてちゃんと呆れ果てる。
僕としても、まあ、色々あった当初は似たような気分では確かにあった。
だけど、お姉ちゃんのそういう何も反省してないところや、深刻な顔で悩んだり泣いたりしてるお父さんとお母さんを見ていたら、さすがに申し訳ないというか……目が醒めて冷静に立ち返った思いだった。
これを期に、僕はお姉ちゃんの異常性と、それに唯々諾々と従い続けてきた僕自身の異常性を正しく認識し、今後は社会でちゃんと生きていくにあたってうまく折り合いをつけていかねばならないものだとちゃんと考えるようになっていった。
「お姉ちゃん、もうああいう無茶はやめようね」
「何が無茶だというの、ふみのり。あのまま放置していたら、あの男たちは確実に鳴子に害を成していたわよ」
「それはまあ、そうかもしんないけど、でもだからって僕らが勝手に判断して、何もしてない時点でやっつけちゃうのはちょっとね」
「何を迂遠なことを……、ならふみのりはあのまま何もせず静観しておくべきだったと?」
「さすがにそれはない。調べたら、あいつらヤバいこといっぱいやってたし。鳴子も巻き込まれかねない状況ではあった」
「でしょう!だったら――!」
「でも方法があるだろって話。それこそほら、今回僕らがお世話になった警察に相談するとか、色々、合法的なやり方がさ、あるんだから」
「……鳴子の安全を赤の他人に委ねるなんて、気が進まないわね」
「でもそれが普通なんだよ。兄弟だからって、鳴子がどれだけ可愛くて守ってあげたいからって、なにも僕たちだけで全部解決する必要はないんだ」
「そんなの……心配と自責と無力感で、わたし、発狂してしまうかも……」
「いやいや、たったそれだけのことでそんな思い詰めなくても……」
「だって、鳴子は、鳴子は……」
「はあー。ホントに、お姉ちゃんのシスコンぶりは最早異常っていうか、犯罪的だよ」
「あなたに言われたくはないわね。あなたもわたしと同類なのよふみのり」
「僕らはこんな、「有能ですよ!」「頑張ってますよ!」って鳴子にアピールするみたいに敢えて過激なことをやったりしなくったって、もっと普通でいいんだよ。それこそ休みの日に一緒に遊んだり、他愛ない話で盛り上がったりさ。そろそろ普通の兄弟やろうよ」
「そんなの……迎合的だわ。ふみのりは鳴子を守っていく意志を失ってしまったの……?」
「だから違うってば。意思はあるよ。ただ、ちゃんと色々考えるようになっただけだ。
鳴子は守るけど、それが理由で捕まってたら元も子もないだろ。今回みたいなことしてたら次は刑務所とか入れられちゃうかもしんないし、そうなったらますます鳴子守れないじゃん。鳴子のためにも、社会にちゃんと馴染んだ上でうまくやってく方法みつけないとねって話をしてるんだよ」
「それは、まあ、一理あるわね……」
僕の言葉に納得するようなことを言いつつも、お姉ちゃんの瞳は相変わらず狂信者みたいなガラス玉状態だ。
いつからかお姉ちゃんは、この、妹のことを考えてすぎてギラギラしてる時の目が、お姉ちゃんのデフォルトになってしまっていた。
僕はお姉ちゃん――この「姉」なるものが、自分の兄弟だとか家族だとか、そもそも同じ人間であるのかさえ疑わしく思えるような、その正体が最早なんらかの神秘性を帯びた存在なんじゃないのかという印象さえ抱いていた。
いや、そんな高尚なもんじゃなく、単なる人間だってことぐらいもちろんわかってるけど……。
お姉ちゃんが、こんなハチャメチャな人間になるきっかけは、どこだったんだろう?
鳴子を守るためと言ってるけど、普通そこまでやるだろうか。
鳴子が生まれた時に決意したがきっかけだと僕は勝手に思っていたけれど、そんなことだろうか。というか、そんなことってあるのだろうか。
もっと、こう、それっぽいヤバい理由とかきっかけが、僕が知らないだけでホントはあったんじゃないだろうか。
例えば、お姉ちゃんが図書館やお父さんの部屋から持ち出してきた難しい本の中に、禁断の書物のようなものが紛れていて、お姉ちゃんはそこから触れてはならない真理か何かを獲得するに至って発狂してしまったんじゃないかとか……。
……それはあまりにも乱暴で、突飛な想像だけど、なんかもう、そういうファンタジー的な未知との遭遇を果たしたりしない限り、人間こうはならないのでは?というぐらい、お姉ちゃんはおかしくなってしまっている――正気を失ったかのような状態なのだと僕は気づいた。
何かわかりやすい原因があるのなら、僕はそれが知りたいと思う。
そんな、人間を根本的に変質させてしまうような、強烈な何かがあるんだったら。
それは単なる好奇心であり、僕と僕たち兄弟のこれからの人生において必要な、教訓みたいなものにも思えた。
って、まあ、現実はファンタジーじゃないんだし、そんな魔法みたいに簡単な何かがあるわけでもないんだけど。
良い例えが思いつかなくて、なんか変な比喩を使ってしまった。
人知を超えたナニカに触れて発狂したお姉ちゃん。
そのお姉ちゃんを介してナニカが発する神秘性みたいなものを感じてしまう僕。
……いやいや、違うぞ。なんだそりゃって感じ。
これはちょっと例えの言い方が詩的っていうか、全然正しく言い表してない。
多分。
お姉ちゃんが変なのは、幼少期からの長い期間、妹のことばっかり考え続けている中で、愛着とか責任感とか……色んな強い感情の蓄積があって、そういうものの積み重ねによる過度のストレスとかの結果でしかない。
僕が変なのは、そんなお姉ちゃんの直近にいたものだからその影響を一番強く受けてしまって、僕が生来自己主張の薄い子供だったこともあって、お姉ちゃんの考えに同意するのが当然だと信じてしまっていた思考停止の結果でしかないのだ。
でも、そもそものきっかけは妹のためだ。
二人とも経緯は別だが、要するにアレなレベルに妹が過ぎすぎなシスコンでしかない。のだ。
人間が歪んだシスコンになる理由なんて、そんな順当な経過によるものだ。
成長は何気なく経てくるものだけど、取り返しのつかない経路というものもたまに存在するってことなんだろう。
あーあ、って感じだ。
人生を間違えた。
とはいえ僕もまあ、お姉ちゃんのことがおかしいと、最近じゃ理解してるくせに、「でも、僕にとってはお姉ちゃんだし、鳴子のこと守りたいってのは僕も思うしなあ」とか言って、結局なんだかんだ全部に付き合ってる時点で、大概まともじゃないって話なんだし。
姉も、自分も、狂気の類だと理解してはいるけれど、特に何かしようという気が湧いてこない。
それが狂ってる証拠なのだろうか。
困ったものだ。
いつか時間が解決してくれる問題だとは思うけど、僕たちはちゃんと社会に適合した大人になっていけるのだろうか?
ホントに。
実際のところ、一体、何がきっかけで、僕たちはここまで捻じくれておかしくなってしまったんだろうか?
それこそ僕がさっき妄想した、魔法とかファンタジーがきっかけならどんなに簡単だっただろうか。
いや、むしろ――、
ところで、おかしいと言えば――現在の問題はこれだけじゃないのだ。
「僕たちの通ってる高校に通いたい?」
「うん。小学校と違って、中学は私一人じゃない? だから寂しいな―って」
「小学校だって鳴子が高学年になる頃には僕たちは中学生になってたじゃないか」
僕たちが高校生になり、入れ替わるように中学生になった鳴子が、僕たちと同じ高校に通いたいと言い出した。
「そんなことしたって、鳴子が高校入る頃にはお姉ちゃんはもちろん僕も卒業しちゃってていないんだよ?」
「留年すれば?ふみのりも私と一緒に高校生活で青春やりたいでしょ?」
「いやいやしないよ。妹と一緒に通いたいから留年するとか、僕はそこまで気合入ったシスコンじゃないから」
「まあさすがにこれは冗談だけどねー。でもいいんだよ。さやかも自分の母校だったら私のこと助けに気やすいだろうし」
「またそんな煽るようなことを……、そんなこと言ったらお姉ちゃんマジになって本気でOBOG権限で振りかざしてやりたい放題するようになっちゃうだろ」
現に今も、お姉ちゃんと僕は、自分たちが卒業した中学に定期的に顔を出していた。
鳴子の様子を見るという名目――というかそれなんの保険にもなってないけど。
時として、僕らは鳴子の安全を脅かす問題排除のために暴力的介入を試みることもあって、お姉ちゃんがそうやってキレそうになるのを同伴する僕は全力で阻止している。
言わば、お姉ちゃんの監視だ。鳴子のためと言って思考停止して、言われるがままになんでもかんでもやるのはもう終わり。僕は兄弟としてお姉ちゃんの妹を想う意思を尊重しつつも暴走を止めていかなければならないと感じている。
お姉ちゃんをここから正常に引き戻すのは、常にそばにいた僕の役目だ。
その程度で済んではいるものの、既に校内では周辺をうろつく怖い卒業生として認知されつつあるようだ。
鳴子がその身内として、妙な地位に祭り上げられつつあることも。
……僕としては、鳴子にはそういう、僕らみたいな激しい学校生活じゃなく、普通に友達作ったり部活やったり、普通の青春ぽいことして欲しいと願うばかりなんだがなあ……。
「でも、今、過ごしやすいよ。中学ともなると厄介な人間も増えてくるからねー。さやかとふみのりの威光が効いてて、変なのは私に近づいてこないし。大変良いですねー」
「……なんだその黒幕みたいな発言」
「だから高校に入ってからも、さやかたちがそうやって働いてくれたら、私も安全だし、過ごしやすくなって良いと思うんだよね」
「そのうち騒がしくなりすぎて困っるんじゃないの?知らないよ?」
「いいの。私は騒がしいくらいの環境が好みなのです」
「定期的に攻めてくるお姉ちゃん怖がって、友達寄ってこなくなるかもしれないよ」
「攻めてくるのはふみのりもでしょ。私はさやかとふみのりがいればそれでいーいーの! これからも二人してちゃーんと、私のこと守ってよね。期待してるんだから」
「……そりゃ、まあ」
幼少期からネジ数本ないレベルにおかしかった僕らに守られ続けて育った鳴子は、なんだかそれが普通だと思っちゃってるフシがある。
この子は、僕とお姉ちゃんが鳴子を守ると称して暴走することも、その渦中で色んなゴタゴタに晒されることも最早当然のこととして受け止めている。
気の毒にというか、やれやれって感じがする。
僕らは確かに鳴子がかわいいし大事だけど、鳴子にまで変な子になってもらいたかったわけじゃないのになあ。
鳴子のためを思って、良かれと思って行動した結果が裏目に出て、鳴子がおかしな命運をたどっているのではなかろうか。
「姉と兄が僕たちみたいなのに、それでいいだなんて……、鳴子は図太いというか、強気なことを言う妹だよなあ……」
「あったりまえでしょ。あなたたち二人が生み出す狂騒が、私を最高に快適な気分にさせてくれてるんだよ。
――――なんたって私は、外宇宙の果てからやって来た、外なる異界の神の転生体だからね。
生まれた時にさやかとふみのりっていう頼もしい従者も得られて、二人は信仰心も探究心も正気度も良い具合に侵蝕進んでってるし、私もこれから徐々に力を取り戻して、この星を狂気と混沌にどんどん塗り替えていっちゃうぞーってところなんだからさ。頼りにしてるんだよ、おにいちゃん」
「…………」
鳴子が妙なことを言っているが、気にしてはいけない。
これは鳴子の癖というか、病気みたいなものだからだ。
僕とお姉ちゃんが小学校高学年の頃から、鳴子はどこで覚えたのか、こういうことを頻繁に口にするようになった。
外なる神だの、旧支配者だの、なんかゲームかラノベの設定かなんかのような話。
こういう自分で自分の裏設定とか前世の話とか言っちゃうのは世間じゃ厨二病とか言われて痛がられて気持ち悪がられてるというのに、鳴子は語源になってるという中学二年生になる遥か以前からそんなことを言い続けている。
お兄ちゃんは大変心配でならないのですが……。
「あれれー?今日はいつものアレ言わないの?」
「……アレって?」
「前はよく言ってたでしょ。「人前でそういうこと言ってるといじめられるからやめなさい」って。私がやめないから、ふみのりも遂に諦めちゃった?」
「そういうわけじゃないけど……」
「じゃあいい加減認めてよ。何度も説明してあげたでしょ?
私はふみのりたちの妹って以前に、外宇宙の邪神を身に宿した化身みたいなものなんだって。私の本体が今回この星に接続しようとした時にちょうど生まれかけてたこの身体の適性が高いって気付けたたから、ふみのりたちのお母さんの子宮に開けた門を通って、私はこうして顕現するきっかけを得たんだよ」
「……、……」
こういう話をするのをやめるよう僕は以前からずっと言い続けてるのに、鳴子は聞きやしない。
むしろ半分面白がって、僕の前で敢えてそういうことを言ったりもするようになってってる気さえする。
最近じゃその頻度も増してきてて、まずいなと思いつつも、いくら注意しても直さないし、僕は無言でスルーしがちになってしまっている。
――ああ、僕とかお姉ちゃんと違った路線で、やっぱ妹も大分おかしなことに……。
「でもおかしいね。ふみのりはさやかと違って、私の言葉をまだ「厨二病だー」とか「嘘っぱちだー」とか思ってるんだ。信仰心はちゃんと数値観測できてるのに、わたしの神性とうまく結びついてないのかな? バグ?」
「いやいや意味分かんないから……。妹が好きなのは信仰心とかじゃないし……」
「ああ、私のこと妹として認識し続けてるからズレが大きくなってってるのかー。ふーむ……、さやかみたいにもっとちゃんと理解させないと駄目かな……。そろそろ呪文も教えとくか……詠唱すればセルフでマインドセットできるし」
「ってか、え?お姉ちゃんって鳴子のそういう発言、信じちゃってるの?」
「え?そうだよ。だって真実だもん」
「真実だもんって……」
「最初に伝えた時には感動して涙流してたよーさやかは。私の偉大さに敬服して、「これからは信者として相応しい能力を身に着けます」って誓ってた」
「嘘だ。絶対ウソだ。あのお姉ちゃんに何を言ったら妹相手にそんなになるんだ」
「ホントなのに……。ってか、ふみのりにも同じこと伝えてるつもりなんだけどね。私の呼びかけに一度でも応じた時点で、ホントなら理解できるはずなんだけどなー。やっぱ信仰心と妹愛がごっちゃになってるからバグってるのか」
「…………」
「そろそろ認めちゃいなって。あなたの妹は、世界を侵しに飛来した邪悪な神の一柱なんだってね。いい?
我が真なる魂魄の名は■■■■■■■■!世界に散らばるあらゆる伝承に顔を出す、邪神きってのトリックスター。元来数多の異名と容貌でもって語られる存在たる私ですが、今回はこの大槻鳴子の身体を使って、現世に狂気と混乱を振りまく存在へとすくすく成長中なんだよ。
ってアレか。“彼”がいないこの世界線では私たちの伝承はそこまで浸透してないのかな?アレは邪神たちにとっても異常事態とも言える現象だったからねー。これは多重次元帯を総合観測できる私の本体とか、もっと高次の神性ぐらいしか知り得てない情報。
ま、なんにせよ、この次元においては、この星に根ざしてる旧支配者も、自分に辿り着く探索者を精神の呼応とか使って狂わせて来させるよりも、人間が胎児の時点でその精神に潜伏することで、それを自分のアバターとして稼働させることにより、将来的に自分の発見者として門を開かせる……ってな手法を主な覚醒の経緯として選んでるの。外宇宙から覗いてる私たち外なる神もそれに合わせてるってワケ」
僕のお姉ちゃんはおかしい。
それに付き合い続けきてしまった、僕もまあそれなりにおかしい。
「さやかとふみのりは私の忠実な従者――蕃神と言っても良いかもね。神じゃないけど。なんたって自我も芽生えてない頃にはもう既に、私の精神汚染が始まってるからね。その狂気は特別性だよ。
二人が私に尽くしてるのも、私を守りたいってのを理由にどんなにおぞましい、暴力的で犯罪的な狂った行動にも及べちゃうのも、全部私への崇拝と信仰心のおかげなんだし」
そして、その狂った二つの背中を見ながら育った妹は、いつの頃からか「その理由が自分にある」と主張するようになった。
僕たちの狂気の理由は自分であると、説明付けようとしている。
「理解しなよ。私は生まれた瞬間に最初に見た二人の心に介入して、狂気に堕ちてくるようにように最初から仕向けてるんだよ。覚えてない?この身体で目覚めたナルと目があった瞬間、二人の意識は確かに外宇宙の彼方にある私の本体と交信して、二人は深淵を垣間見てるんだよ」
それは、色々トラブった僕たちを慰撫しようとする、鳴子なりのちょっと不器用な優しさなんだろうな、と僕は解釈している。
――お兄ちゃんもお姉ちゃんも、私がおかしくさせてるんだから自分を責めなくたっていいんだよ。
みたいな?
……、……あれ?
「ま、そういうワケだからサ。さやかとふみのりがそうなのは必然なの。狂気に呑まれてその後どうあるのかなんて別に自由だけど、幼少期からその深淵を覗き続けてる二人は、狂気そのものからはどうあっても逃れられないんだよ?」
……だから、まあ、鳴子のこういう、厨二病にしても若干アレしてる部分に、僕は思いやりとか僕たちへの親愛を感じ取ってしまって、そう認識するようになってからは強く出られなくなってしまったところがある。
自分たちのせいでこうなったのなら、直してやりたいとも思うけど。
「鳴子……」
僕たちがこのまま成長して、進学して、大人になって、社会に出て、そうして色々ある過程でもっとうまい向き合い方があるだろう。
世の中には時間が解決するってこともある。
狂気の淵に立つ者として、僕はそれを考え続け、探し続けていかなければならない。
正気を保つことこそが、今の僕ができる数少ない家族愛だと信じるからだ。
……そういうことにしておこう。
それがきっと、僕と、僕のお姉ちゃんを幼少期から捕らえて話さないナニカに対する、せめてもの抵抗。
存在するのかしないのかも不明な、気のせいかもしれないナニカに対する、対抗だ。
……狂気? 邪神? 外なる神?
聞いたことのない耳馴染みの薄い言葉たちが、それを語る妹の言葉によって僕の中にだんだん自然なものとして浸透していく。
「ま、ふみのりがホントの意味で狂気に染まるまで、仕方ないから■■■■■■■■はもうしばらくの間、あなたの妹としておとなしくしといてあげるけど……ね?」
なんかまるで僕の妹じゃないみたいなことを言って、鳴子は可愛らしく嗤笑した。
大丈夫だ。その名前らしき言葉を、まだ正確には聞き取れていない。
だからそうした引っかかりに、僕はもう少しだけ、気付かないフリを続けてみるのだ――。