第76話 勇者の妃
「ゼオジルド」
本来国王が座るはずの玉座に腰掛けている青年に、黒髪の美女が笑いかける。
「ねえ、そろそろ準備は整ったとは思わない? いつまでも小細工してるんじゃあつまらないわ」
「うん、たしかにそうだね、愛しのカレン。そろそろ始めてもいいのかもしれない」
王宮の外から聞こえてくる、民衆の期待に満ちた声。
彼はゆっくりと立ち上がると陽の光の当たるバルコニーへと出た。隣にはその美女――カレンを連れて。
「王子様ー!」
「我らが勇者様!」
彼が姿を表したことで、歓声は更に大きくなった。
目の前には大量の人、人、人。
「我がジルダ―王国の民たちよ」
ゼオジルドが言葉を発した瞬間、あたりは一気に静寂に包まれる。
「時は満ちた。我々は強大な味方まで手に入れた!! 古き戦いにて屈辱を味わった勇者の思いを今引き継ぐときだ! このゼオジルド・ヴェザーという真の勇者がいる限り、この国はもう二度と屈辱を味わうことはないだろう。今こそわが国の宝を取り戻そう!」
「その目を開き、私達の勇敢な勇者を焼き付けなさい。全てはこの国のため!新たな勇者伝説を、今度は最高の結末に変えるのよ!」
そこで言葉が一旦切れる。それから、ゼオジルドの大きな声が響いた。
「これより我々はジルダ―王国勇者軍として大陸に進軍する!ともに戦っってくれる民たちよ、我らとともに歴史にその名を刻もう!」
まずい。まずいまずいまずい。ディアネス神国の王宮で、ウィルフルは落ち着かない様子で廊下を歩いていた。
傍を通った官僚たちは皆良くない気配を察知して、顔を青くしながらそそくさとその場を離れる。
「我が妃よ」
目的地につくなり彼はそう行って乱雑に扉を開けた。
「陛下? どうかされたんですか?」
「まずいことになった。ジルダー王国が宣戦布告してきたんだ」
「え!?」
シェレネからも思わず大きな驚きの声が上がる。
「あまりにもいきなりすぎる! ちょこまかと小細工しているだけだと思えば……ジルダー王国の国民はすっかり勇者伝説を信じているし……」
「し?」
ウィルフルが少し口ごもったので、シェレネは思わず聞き返した。
それを聞いて言いにくそうにしつつ、彼はゆっくりと口を開く。
「この間、何故かジルダー王国の中で急速にゼオジルド王子の支持が上がってきているという話をしただろう? そのことについて調べさせていたんだが……どうもゼオジルド王子は自分こそが真の勇者だと宣言し、神の加護を持って、勇者軍としてともに進もうなどと抜かしているらしい」
そうやって本来父王にあるはずの権利をどんどん自分で引き継いでいって、今ではゼオジルドがほぼ国を治めている状態だ。
「一体何がしたいんでしょう……勇者伝説の復活? そんな話、この間まで聞いたこともなかったのに……」
自分の記憶を辿って、シェレネが不思議そうに首を傾げる。ジルダー王国はリデュレス王国の、海を挟んだ隣の国だ。当然情報はいろいろはいってくるし、こちらに来てからはもっと他国の情報も知りやすくなった。だが、この騒動が起こるまでそんな話微塵も聞いたことがなかったのに。
「それが……このよくわからない馬鹿げた話が急速に広まり始めたのは、ちょうど、ゼオジルド王子が結婚したときから、だそうだ……」
「あれ、ゼオジルド王子って結婚されてましたっけ……?」
王族が結婚するなら普通、他の王族は式典に呼ばれるはずだ。
リデュレス王国は無視されているかもしれないけど、少なからずそういう話は流れてくる。
はずなのに。
「式典はしていないし連絡もされていない。きっとどこもジルダー王国の王子が結婚しただなんて話、知らないはずだ」
そうなると考えられるのは。
「ゼオジルド王子の妃は大して身分が高くないのではないかと思う。他国の王族と結婚したのなら、式典をしないわけにはいかないだろう。高位貴族と結婚したのなら、式典は国だけでやったとしても連絡くらいするはずだ。しなくていい、というかしたくないのは、かなり身分の釣り合っていない相手と結婚したときだと思わないか?」
「確かに……平民の方と結婚されたんでしょうか? 下町の方と結婚してあんな豪華な式典をするのはリデュレスだけだってことぐらい、さすがの私でもわかります……」
あまりにも正論。やはりそうなるな、とウィルフルはうなずいた。そのお妃は、彼を勇者として奮い立たせるほど可憐で勇者に憧れを抱いた夢見がちな少女なのか、それとも。
「そのお妃様がそんなにゼオジルド王子に影響を与えたなん、て……いったい……?」
突然、シェレネの様子が変わった。それは、誰かが来たという……
「陛下! 聖妃様! 大変です!」
「ララ? どうした」
慌てた様子のララに、ウィルフルが眉をひそめる。この期に及んでまだ何か起きたというのか。
「アレス様が、アレス様は、」
「アレス、様……? 確か……最近、姿が……お見え、に……ならない……って……アフロディーテ様、が……」
この間の、宴会での出来事を思い出して、シェレネは首を傾げた。
「どうか、された……の……?」
不思議そうに問いかける彼女に、ララは顔を歪ませた。
「アレス様が、ジルダー王国側に囚われた、と、アテナ様がそうおっしゃるのです!」
さーて、愛しのカレンちゃん。誰でしょう。
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