第62話 きみがたいせつなんだ
「我が、妃よ……」
春の大精霊祭の終わり。
役目を終えたシェレネは、ウィルフルと共に城に戻りすぐにアポロンのもとへと連れて行かれた。
あらかたの治療を受け終わって王宮に戻ってきた後、彼女は自室で居心地悪そうに座っている。
そんな彼女の前に立っているのはほかでもない、表情の見えないウィルフルだ。
「私は、気をつけろと言ったはずだ」
「気をつけてました」
怒気を孕んだその声と、冷酷で非情な王という呼び名にふさわしい圧。
そんな誰もが怯えて言葉も出なくなるような状況で、シェレネは気丈に言い返す。
「警戒を怠るなと」
「怠ってません」
別に、自分を目標に切りかかってきたわけではないのだから。
「君が傷つくのを、見たくないと!」
静かだった声が、いきなり大きくなる。
それは怒っているというより、悲痛な叫びだった。
シェレネは声量にびくりと肩を揺らしたが、ひるむ様子はない。
そして負けじと言葉を返す。
「では陛下は」
彼女は今、神である前に、
「陛下は罪のない街の人々を見殺しにしろとおっしゃるのですか」
王族であるのだ。
「あの場で私が身代わりにならなければどうなっていたと? 私が刺客に刺されるのと、民が刺されるのとでは事の重大さが違うのです。もし私が見殺しにしていればあの場はさらに混乱し、人々は怯えて家に閉じこもる。私が行ったから、あれで収まりました。どちらの方が損失が少ないか、一目瞭然です」
ウィルフルが若干ひるむ。
彼女のいうことは正論だ。
一見、王族が刺されたというほうが混乱を招くと思いがちだが、身近な人が何の罪もなく刺されて重傷を負うほうが人々は怖がりその経験は心に刻まれ離れなくなる。
「ましてや私は不死の身。最悪のことがあっても死にません。でも人は違う。普通なら大量の出血でとっくに死んでます。それでも私にあそこで動くなと?」
「だ、だが」
ああ、最初に怒っていたのは自分のはずなのに、どうして。
内心彼はそんなことを思っていた。
本当に本当に、目の前の少女のことを彼は大切に思っているのだ。
制限された世界で生きる不自由だらけの彼女を。
彼だって遥か昔から国王をやっているのだから、国民の命を一番にすべきなのは百も承知だ。
無下にして滅んだ国を幾度も見てきた。
でも、傷ついてほしくないのだ。
愛しているから。
「私は、ロゼッタのようにはなれません。あの子は神と神から生まれた神で、私とは違う。かと言って同じエル様と同じかと言われるとそんなこともない。陛下。私は異端です。だからなに? 自分が犠牲になって誰かが助かるのなら、ただのエゴだっていい。それじゃあだめですか?」
愛しているから――
「……ごめん」
ウィルフルはシェレネと目線を合わせようとゆっくりと膝とつく。
「君が怪我したってなって焦ったんだ。また消えてしまったらどうしようって。僕はシェレネのそんなところが大好きなのにね」
ふわりと風が吹いて、彼は彼女を抱きしめた。
小さい、柔らかい、儚い、大きくて力の強い自分では壊してしまいそうだ。
いつもどうやって抱きしめていただろう。
当然のことがいきなり分からなくなって、混乱する。
「でも、できるだけ自分を大切にしてほしい。君のそれと同じように、これも僕のエゴ。でも僕は、そんなぐちゃぐちゃの感情を抱くぐらい深く、君のことを愛してるんだ」
シェレネの黒い眼が大きく見開かれた。
「わたしも……」
彼女のか細い声が響く。
「わたしも、おんなじです……陛下のこと、愛してる、から」
ずっとこの人だけを見つめて生きてきた。
遥か遠かった存在を、なんとか自分のところに寄せて、手を取って。
「ねえ、お願い、ずっとそばにいて……」
あなたのために、わたしは。
今日ちょっと短かったですね。
次の更新予定日は十一月十日です