第60話 優しき王女は見殺しにできない
若干の残酷描写ありです
「さあ我が妃よ。行こうか」
精霊祭の日。
衣装に着替えて、暇だったので指に髪を巻き付けて遊んでいたシェレネのところにウィルフルが現れた。
ウィルフルもいつもの軍服とは違う服を着ているので珍しい。
「やっぱりそれ微妙ですね」
「なんで」
似合ってますねじゃないのか。
この衣装は布をベルトで占めるタイプのもので、どちらかというと布をたっぷり使った神々の服装と近い。
だが残念なことに、ウィルフルにはヒマティオンが似合わないのである。
神なのに。
「今日は絶対に警戒を怠らないでくれ。街の要所には近衛騎士団と特務師団を配置しているが、その他の場所には一般兵も配置している。先頭には私もいるが、離れているから本当に気を付けてほしい」
突然神妙な顔つきになり、ウィルフルはシェレネの肩を掴んだ。
本当に危ないのだ。
ランの時とは比べ物にならない。
「わかってますよ。それに私の周りにもクロフォード様達がいらっしゃるんですから」
「それでもだ」
「うう……」
今日はやけに彼の推しが強い。
ので、シェレネは仕方なくうなずいた。
内心は自分は神なのだから、民の心配だけしていればいいと思っているはずだ。
さすがリデュレス王国の王女、自己犠牲精神が強すぎる。
「とにかく、君が傷つくのを見たくないんだ」
懇願のように言われてしまっては、自ら身代わりになどいけない。
少し不満げに彼女は彼の手を取ると、大人しく抱き上げられた。
さあ、そろそろ春の祝祭を始めなければ。
「ララ……サラ……リラ……エラ……準備、は……いいかし……ら……?」
ウィルフルが出発して程なく。
シェレネの前に集まった四人はこくりと頷いた。
美しい装飾品を身に着け、軽やかにステップを踏む。
はじけるような笑顔を浮かべて、春の象徴に感謝を。
「来たぞ、聖妃様だ!」
「年々お美しくなっておられるわ!」
熱気あふれる街に出た瞬間、民の歓声が上がった。
普段滅多にお目にかかれない聖妃が、自分たちの目の前で舞ってくれるのだ。
「もうあと一年もしたら、この国に輿入れされるのよ」
「結婚の時もさぞお綺麗に違いないわ。楽しみ!」
きゃあきゃあと少女たちの楽しそうな声が響き、
「国王陛下も素晴らしい方をお妃になさったな」
男性陣の感嘆の声が聞こえる。
この瞬間がいっとう好きだ。
シェレネは心の中で微笑んだ。
貴族たちは時に自分の娘をウィルフルに嫁がせたいがために彼女を貶める。
だが民は、心の底から彼女のことを好いていてくれるのだから。
「聖妃様ー! どうかこちらもご覧になって!」
後ろから聞こえてくる声に振り返ると、負けじと前からも催促が来る。
そうしてふっと前を向いた時に、彼女の心に映ってしまったのだ。
そう、民にまぎれて不自然な動きをする男が。
まずい。
気付いているのは、全体を高いところから眺めている自分だけ。
「今年も盛況ですねえ」
自分の一段下で踊っているララ達も気が付いていない。
「どう、しよう……」
ついさっきウィルフルと約束したばかりなのに。
でも。
「あの、男……いったい……誰、を……狙って……」
とても自分を狙っているようには見えなかった。
光を受けて手元がきらりと光る。
ナイフで、いったい誰を。
自分でないのなら、彼が狙っているのは民だ。
「あぶ、ない……」
その式ができてしまって、彼女は焦った。
近い。
でも、自分じゃ届くほど近くはない。
届かないなんて理由で、民を気付つけるなんて自分が許せない。
「ララ」
踊る手を止めずに彼女はぼそりと呟いた。
その声に、忠実な女官は振り返る。
いつになく真剣な目だ。
「私、の……こと……押し、な、さい……」
「え?」
突然の主人からの命令に、ララは戸惑いの声を上げる。
だがシェレネは説明しようとしなかった。
「いいから……これ、は……命令、よ……私、を、ここから……押しなさい……」
「は、はい!!」
強く、はっきりと命令と言われてしまえば、従わない選択肢はない。
ララは、全く訳が分からず、そのままシェレネを強く押した。
ザシュ、と鈍い音がした。
その場にいた民を怖がらせまいと、シェレネはその場で虚勢を張る。
「私、は……大丈夫、だから……はやく、私、から……離れ……なさい……」
驚きと恐怖と心配で、駆け寄った民を自分から離して。
「あの者を追え、逃がすな! 民よ、聖妃様はご無事だ。騎士団がいるから不安になることはない。このまま続行する!」
氷の騎士の冷静な声が、混乱のこの場に落ち着きをもたらした。
シェレネちゃんが動かないわけないだろ。
次の更新予定日は十一月三日です!