第六話
「『羨ましいですか?』と聞きました」
どこか投げやりにも聞こえるシャルル様の質問。
その質問の意図が分からずに困惑している私の姿が、今日初めて視線が合ったシャルル様の瞳の中に写っている。
……これはどういう意味と捉えれば良いのだろうか?
「ええと……カージナス様とミレーヌ様のことでしょうか?それでしたら、仲が良さそうで羨ましいと思いますが……」
「そうですか……」
小首を傾げながら微笑むと、シャルル様の顔が陰ったような気がした。
……私は答えの選択を間違えてしまったのかもしれない。
「あ、でも……羨ましいと言っても、私がカージナス様の隣に立ちたいとかそういう意味ではないですよ?あくまでも、お二人の様に仲良く寄り添える相手が私にもいたら……という意味での『羨ましい』です」
「そうなのですか?」
「はい。ここだけの話にして頂きたいのですが……私はカージナス様と結婚したいとは考えていませんもの」
手に持っていた扇で口元を隠し、シャルル様にだけ聞こえる声で呟く。
このことは決して公の場で口にして良いことではない。それは私ではなく、私を婚約者候補に推したカージナス様の……王子の名誉を傷付けることに繋がり兼ねないからだ。
しかし、私は敢えてそれをシャルル様の前で破ってみせた。
すると、シャルル様の瞳が驚いたように大きく見開かれた。
流石にこの場で『私はシャルル様と結婚したいと思っています』とは言えない……。
「内緒ですよ?」
「はい」
人差し指を口元に当てて小首を傾げると、驚いて丸くなっていたシャルル様の瞳がふわりと弧を描いた。
嬉しそうに微笑むシャルル様。
シャルル様は、カージナス様とミレーヌとの中を引き裂きたいと、私が思ってると勘違いしていたのかもしれない。幼い頃から親交のあるカージナス様の気持ちが誰に向いているかをシャルル様は知っているだろうし……私はそう勝手に結論付けた。
「あなたは……」
「え?」
シャルル様がボソッと呟いたと同時に、ミレーヌとカージナス様のダンスが終了した。
ああ!シャルル様が話しかけてくれたというのに……!
タイミングが悪過ぎる……。
ホールの中央ではミレーヌがエスコート役の男性と一緒にその場から退場しようとしている所だ。
シャルル様と話している時間はない。
小さな溜め息を吐くと、クスッとシャルル様が笑った。
その笑顔に私は思わず見惚れてしまう……。
「行きましょう。あなたの番です」
しかし、シャルル様はそんな私に気付かずに笑顔で手を差し出てくる。
私は頬が染まらぬように意識をしながら、シャルル様の手に自らの手を添えた。
中性的な顔立ちのシャルル様は、ヒールを履いた私との身長差が頭一つ分と、男性としてはそんなに長身ではない。触れた手は滑らかで綺麗だが、剣ダコのある……男性の手だった。
これがシャルル様の手……。
意識をすると緊張から、触れている手が汗ばみそうになる。
早く……早く……。
この時ばかりは、シャルル様から離れて早くカージナス様の元に行きたいと思ってしまった。
カージナス様に引き渡される瞬間……安心感と喪失感が同時に心に沸き上がった。
……不思議な気分だ。
私はいつの間に、こんなにもシャルル様のことが好きになっていたのだろうか?
シャルル様はただ単に、私の選ぶ条件に合っていた人なだけではなかったのか……?
「……ローズ?」
クスクスと笑うカージナス様に耳元で囁かれ、ハッと我に返った。
呆けている内にダンスが始まっていたのだ。
「すみません……」
「転ばないでくれれば良いよ」
ダンスの最中に転ぶのは淑女として失格だ。勿論、リードしている男性側にも責任が生まれる。
私は気を引き締めてダンスに集中した。
「シャーロットの前で随分と可愛い顔をしていたけど、何か進展でもあった?」
「可愛い顔……?」
「なんだ。気付いていなかったのか。君は恋する少女の顔をしていたよ?」
カージナス様はまたクスクスと笑いながら、楽しそうに耳元で囁いた。
こ、恋するっ!?
「ほら、シャルルを見てごらん。さっきから、私を射抜くような瞳で睨み付けているから」
カージナス様はそう言いながら曲に合わせてクルッとゆっくり回った。
シャルル様の姿が自然に視界に入ってくるように、わざわざと回転してくれているらしい。
カージナス様に言われるがままにチラッとシャルル様を見るが……
「いつも通りではないですか?」
一人で待機しているために、笑顔ではなく無表情だが……睨んではいないと思う。
首を傾げる私に、カージナス様は人の悪い笑顔を向けて来る。
「ローズは男心が分かってないなぁ」
「……?カージナス様だって女心は分からないでしよう?」
「そういうことが言いたいんじゃないよ」
カージナス様は苦笑いを浮かべた後に、ニッコリと王子様の顔を作った。
「まあ、良いよ。皆とのダンスが終わったらまた自由になれる時間があるから、シャルルと仲良くしておいで?あ、ミレーヌも一緒に頼めるかな?」
カージナス様の色々と含んだような表情は気になるが……最後のお願いだけは断れない。
「分かりました」
ニコリと微笑みながら大きく頷くと同時に曲が終わった。
「ローズを頼んだよ?シャルル」
「かしこまりました。殿下」
カージナス様に向かって淑女の礼をし終えた私をシャルル様が壁際のテーブルの方へ誘導してくれる。
つい先程、自分の想いを自覚したばかりの私に……その相手と二人きりのこの状況は、内心穏やかではいられない。
気まずい……。私だけが気まずい…!
「先程の……」
「ひゃい?!」
緊張しすぎて変な声が出てしまった。
ううっ……。穴があったら今すぐに入りたい……。
真っ赤な顔を両手で押さえながら、チラッと上目遣いにシャルル様を見上げると……シャルル様は楽しそうな顔でクスクスと笑っていた。
「どうしたんですか?そんな声を上げて」
「すみません……」
「大丈夫ですよ。僕こそすみません。急に話しかけてしまったからですよね」
悪戯っ子のような笑みを浮かべるシャルル様。
そんなシャルル様の笑顔を見た私の心臓は、ギュッと鷲掴みされたかのように苦しくなった。
シ、シャルル様……可愛い!いや、格好いい!!
ど、動悸が!!私の心臓が……!!
「……い、いえ。ちょっと気を抜いてた私が悪いのですから」
ギュッと片手を握り締めながら冷静を装い、ニコリとお手本のような笑顔を作る。
すると、シャルル様は顎に片手を当てながら、何かを思案するように私をジッと見つめてきた。
「殿下とのダンスは楽しかったですか?」
「え?」
私は瞳を丸くしてキョトンとした。
その後、背中から変な汗が吹き出てくるのを感じた。
ど、ど、ど、どうしよう!?
シャルル様の話しかしてないのに、本人がそれを聞いてきちゃう?!
「え、ええ。まあ……普通です?」
焦りながらも無難に返事をした…………つもりだった。
「普通?あんなに頬を寄せ合って、楽しそうにしていたのにですか?」
な、何と?!
無駄に耳元に顔を寄せてくるカージナス様にうんざりしていたが、傍目にはそんな風に見えていたとは……。
これではまた、私がミレーヌ達の仲を裂こうと思われてしまうではないか……。
やっぱりカージナス様は諸悪の根源でしかない。
ジト目をカージナス様に向けると、諸悪の根源であるカージナス様は四人目の婚約者候補であるバン侯爵令嬢のミランダ様と踊り始める所だった。
今すぐに詰め寄って文句を言ってやりたい。
できないけど……。
小さな溜息を吐くと、私の少し上から冷たい言葉が落ちてきた。
「ほら。あなたは殿下を見ると切なそうな顔をする。やはり殿下のことが好……」
最後までは言わせなかった。
持っていた扇でシャルル様の口元を押さえたからだ。
恋心を自覚した日に、その本人から他の人を想っているだなんて言われたくない。
シャルル様はまだ疑っていたのだ。本当は私がカージナス様のことを想っていて、ミレーヌとの仲を裂こうとしているのだと……。
何だこの展開は……。
ミレーヌと友達になった『ローズ・ステファニー』は、悪役令嬢としての役回りを外れたのだと思っていた。はじめて傍観者になった私は断罪をされることなく自由に生きられる。
そう思っていたのに…………。
好きな人から【悪役令嬢】だと思われているなんて……。
やっぱり、ゲームの強制力には逆らえないのか……。
『ローズ・ステファニー』はいつでもどんな時でも、誰かにとっての【悪役令嬢】にしかなり得ないのだろう。
「私の言葉が信じられないのですね。残念ですが……仕方ないですわ」
呆然とするシャルル様の口元から扇を外した私は、泣きたくなる気持ちを必死に堪え……精一杯にこやかに笑った。
泣いたら駄目だ。シャルル様にも……周りの人にも迷惑をかける。
シャルル様から視線を外し、グッと両手に力を込めながら、カージナス様とミランダ様のダンスに集中することで自分の気持ちを誤魔化した。