第四十二話
「……分かりました。聞かせて下さい」
私が頷いたのとほぼ同時に……
パチパチパチパチ
私の背後から拍手が聞こえてきた。
……誰?
婚約者を出迎えに行ったはずのエルマ嬢が戻って来たとは考えにくい。
予期せぬ第三者の登場に身体を強張らせると、
「大丈夫です」
シャルル様は私を安心させるかのような穏やかな声で言った。
……シャルル様が『大丈夫』と言うのなら、きっと大丈夫だろう。
……ふう。
溜め息吐くと、強張った身体から力が抜けていった。
「邪魔をしてごめんなさいね」
そうして聞こえて来た声は、私もよく知っている声だった。
振り返った私の視線の先には、私が想像した通りの人物――
「悪いのだけれど、その話はまた後でにしてくれるかしら」
会場の明かりを背にしたミレーヌがいた。
いつからこの場にいたのか。
シャルル様はミレーヌの存在に気付いていたのか動揺している様子はない。
気付かなかったのは私だけ、か。
「……どうしてミレーヌがここに?」
「時間切れなの」
ミレーヌは、眉間にシワを寄せてとても申し訳なさそうな顔をしている。
「……時間切れ?」
「ええ。サイガ殿下があなたを探し始めたのよ」
「……私を?」
「一人で外の空気を吸いに行ったはずのローズが、いつまで経っても帰って来ないからよ」
……そうだ。
私は一人になりたくてここに来たんだ。
付いて来ようとしたサイガをミランダ達に押し付けて。
ここでシャルル様とエルマ嬢と出会ったことが衝撃的すぎて、サイガ達のことも夜会のことも綺麗さっぱり忘れてしまっていた。
アイリスは喜んでサイガを観賞しているだろうが、ミランダには悪いことをした。
……いや、サイガはあれでも攻略対象者なのだから、ミランダ好みの稀有なオーラを持っている可能性はある。
そうすればミランダの暇潰しにはなったかもしれない。
でも……。
「ミレーヌがわざわざ呼びに来たの?」
ミレーヌはカージナス様と一緒に会場を回っていた。
私を呼びに来るだけならアイリスでもミランダでも良かったはずだ。
「あの人の相手をするのは嫌なのよ」
ミレーヌは苦虫を噛み潰したような顔をした。ミレーヌがこんな表情をするのは珍しい。
「……苦手なのね」
「苦手というか、何というか……。まあ、私のことはどうでも良いのよ」
瞳を細めたミレーヌからはハッキリとした拒絶の意思を感じたが、こんな誰が聞いているか分からない所で迂闊な発言は出来ないから言葉を濁して誤魔化したのだろう。
二人の間には一体何があったのか……。
「あなた達が二人でいるところをサイガ殿下に見られるのはとても良くないわ。だから彼女達に足止めをしてもらっているの」
サイガの本心は分からないが……私がカージナス様の婚約者候補の立場であることを知っていた上で、プロポーズしてきたような人物だ。
しかも、サイガはシャルル様とのことも知っていた。今の状況でサイガに新たな情報を与えるのは得策ではない。
カージナス様以外の男性と二人でいたことを理由に脅されるかもしれないし、醜聞として言いふらされる可能性だってある。
サイガには《《優秀な目》》が付いているのだから――
って、まさか……既に見られて……!?
ハッと顔を上げると微笑むミレーヌと目が合った。
「私の手の者に見張らせていたから、それは心配しなくても大丈夫よ。現に私以外、誰も来なかったでしよう?」
ミレーヌは微笑みながら首を傾げる。
確かに……私と同じように外の空気が吸いたくなる招待客がいてもおかしくないのに、誰一人としてバルコニーには出て来なかった。
その足止めまでミレーヌがしていた……?
そう考えた瞬間、ゾワッと全身に鳥肌が立った。
『我が家の手の者に見張らせていた』と事も無げにミレーヌは言った。
私の知るミレーヌは、とても純粋で、放っておけない程に可愛らしい女性だったはずなのに、だ。
『ミレーヌ様には気を付けた方が良いわよ』
ふと、以前にミランダに言われたことを思い出す。
ミレーヌは一体……何者?
私の目の前にいる彼女は、本当に私の知っているミレーヌなの……?
「……アスター公爵家」
シャルル様がボソッと呟いた。
アスター公爵家とはミレーヌの家だが……それが何かあるのだろうか?
私の視線に気付いたシャルル様は曖昧に笑った。
……シャルル様は知っているんだ。
私だけが何も知らない。
無知な自分。歯痒さに唇を噛み締めると、
「ローズ嬢。そんな風に唇を噛み締めたら傷付いてしまいます」
シャルル様の指が私の唇をなぞる様に触れる。
「大丈夫です。後で話しをしましょう。今度は誰にも邪魔をされない所で」
「シャルル様……」
噛み締めていた唇を解放するとシャルル様が微笑んだ。
「今度こそ全部話しますから」
「…………絶対にですよ?」
シャルル様の手に頬を擦り寄せると、シャルル様は一瞬だけ瞳を大きく見開いて驚いた様な顔をしたが……直ぐにはにかんだ様な笑顔に変わった。
「……!」
そんな年頃の少年のようなシャルル様の笑顔に胸がギュッと締め付けられる。
フッと笑みを溢すシャルル様に釣られて彼の顔を見ると、シャルル様の顔が私の耳元まで下がってきた。
シャルル様が囁いたのは……
「愛しています」
――彼の口から聞く初めての愛の言葉。
「……え?」
予想外の言葉に思わず自分の耳を疑ってしまう。
私は自分に都合の良い夢を見ているの?
呆然とする私の耳元で再度、シャルル様が囁いた。
「僕は君を愛しているよ」
「……!?」
シャルル様の蕩けるような笑顔と甘い声。
私の頬は一瞬で真っ赤に染まり、全身の血液が沸騰しているかのように熱い。
腰が砕けそうになるが、シャルル様が支えてくれているので何とか堪える。
……ずるい、ずるい。
不意打ちだ。そんな笑顔は反則だ。
色んな気持ちで頭も胸もいっぱいになる。
…………でも、嬉しい。
感情が膨らみすぎて涙が溢れてしまいそうだ。
「シャルル様……私は……!」
――コホン。
私の言葉を遮るように咳払いが聞こえた。
……あ。
「……あなた達」
ミレーヌが呆れたような顔をしている。
そ、そうだった。今は時間がなかったんだ。
ミレーヌの存在を一瞬忘れてしまった。
「ぷっ…」
「ふふふっ」」
笑いを堪えきれずに吹き出した私達は少し笑った後に、静かに見つめ合った。
「では、またのちほど」
私はにこやかに笑ってシャルル様に背を向けた。
……不思議な気分だ。
今までに感じたことがないような穏やかで温かい気持ちが胸を占める。
もう、何も怖くない。
私はシャルル様をその場しのぎに残し、ミレーヌと二人で会場に戻った。




