第四十一話
「……離して下さい!」
身体を動かしてシャルル様の腕の中から必死に逃れようとするが、力強いシャルル様の腕はビクリとも動かない。
今の状況が上手く理解できないが……今の状況がとてもマズイことだけは分かる。
想い人であるエルマ嬢の目の前で、第三者を抱き締めてどうする。
「止めて下さい!……離して!恋人が見ている前で、どうしてこんなことができるのですか!」
「恋人とは……誰のことですか?まさか……あの王子のこと……?」
シャルル様は不思議そうに首を傾げた後に、夜会の会場の方を睨み付けるように見た。
「違います!」
咄嗟に私の口から出たのは否定の言葉だった。
「……そうですか」
私の言葉を聞いたシャルル様は、瞳を見開いた後に、ほっとしたような柔らかい笑顔を浮かべたが……なんだか会話が噛み合っていない気がする。
恋人がいるのはシャルル様で、目の前に恋人がいるのもシャルル様の方では…………?
困惑する私の前に、エルマ嬢が歩み出た。
エルマ嬢は私に向かって頭を下げながら、ドレスの裾を少し持ち上げる。
「……ローズ・ステファニー様。お話の途中に失礼いたします。私はエルマ・ユリノイアと申します」
すると、先ほどまでピクリとも動かなかったシャルル様の腕が、微かに弛んだ。
そんなシャルル様の反応とは逆に、私の身体は強張った。
シャルル様は心配そうにエルマ嬢を見ていたから……。
本当は今すぐにエルマ嬢に駆け寄りたいと思っているのかもしれない。私を抱き締めていた腕の力がそれを物語っている気がした。
……だったら、さっさと私を離して彼女の元に行けば良いのに。
そう思いながら唇を噛んだ。
ギュッと胸が締め付けられて息が詰まる。
「エルマ様。ご挨拶ありがとうございます。ローズ・ステファニーですわ」
この場での邪魔者は私だ。私がいなくなれば物事が収まる。
シャルル様に抱き締められている私はエルマ嬢にとっても不愉快な存在だろうに……どうしてそんなに気遣わし気な顔で私を見ているの?……憐れんでいるの?
彼女は私に何を言うつもり……?
「本当は黙って成り行きを見守ろうといたしましたが……どうやらローズ様が勘違いなさっているようですので、お話しの間に入らせていただきました」
「……勘違い、ですか?」
思いがけないエルマ嬢の言葉に、私は瞳を瞬いた。
「ええ。単刀直入に申し上げますが、ローズ様は、私とシャルル様が恋仲だと思っていらっしゃいませんか?」
「…………」
まさに単刀直入。ここまで突っ込んだ質問をされると思っていなかった私は思わず黙り込んでしまう。
「やはりそうでしたか」
私の沈黙を肯定と受け取ったエルマ嬢は、苦笑いを浮かべた。
「そんなこと……!」
「シャルル様は黙っていて下さいませ」
慌てたように口を挟みかけたシャルルをジロリとエルマ嬢が睨む。
私に向き直ったエルマ嬢は、
「私とシャルル様はそのような関係ではありませんわ。寧ろ、家族……と言った方が正しいかもしれません」
眉間にシワを寄せながら苦笑いをした。
「家族…………ですか?」
「ええ。家族です。私はシャルル様の二番目のお兄様……ディーン・オルフォード様の婚約者なのです」
……エルマ嬢がシャルル様のお兄様の婚約?
エルマ嬢の言ったことは私にとって『寝耳に水』だった。
そんな情報はどこからも聞いたことがないが、シャルル様のことではなかったので、特に気にも留めていなかっただけなのかもしれない。
「それもあと数日ですれど」
エルマ嬢はそう言いながらお腹に手を当てた。愛しそうにお腹を擦る様子は……。
「エルマ様、もしかして……」
「ええ。ディーン様の子供ですわ。先に子供を授かってしまいましたの」
エルマ嬢は、照れたように頬に手を当てた。
ポッと赤らんだ頬が彼女の幸せを物語っている気がした。
「シャルル様は、夜会に遅れて参加なさるディーン様の代わりに、私をエスコートして下さっただけなのです」
エルマ嬢の話によると――――
一年前のデビュタントの時には、既にエルマ嬢とシャルル様の二番目のお兄様であるディーン様は婚約をしていて、シャルル様とは挨拶を兼ねて踊っただけなのだそうだ。
目的を達成したエルマ嬢はあれ以上あの場にいる必要がなかった為に、早々に帰って行った。
――というのが、デビュタント当日の経緯だったそうだ。
……全部、私の勘違いだったの……。
シャルル様をチラリと見た後に、エルマ嬢へ視線を向けると、
「私とシャルル様との間には疚しい関係は何もありません。私はディーン様一筋ですもの」
エルマ嬢は口元に手を当てながら、ふふっと微笑んだ。
「では、私はそろそろ退散しますわね。本当のお邪魔虫は私ですもの」
「エルマ様、待って下さい!まだ具合いが悪いのでは……!?」
ドレスの裾を翻してバルコニーから去って行こうとするエルマ嬢を呼び止めた。
エルマ嬢の話を聞いたので、彼女の不調の理由が悪阻だと分かっている。
その悪阻だからこそ、新鮮な空気を吸いたくてバルコニーに出たであろうエルマ嬢を会場に戻すのは…………。
一瞬、キョトンとした表情をしたエルマ嬢は、すぐにニッコリと微笑んだ。
「大丈夫ですわ。それに、そろそろディーン様が到着するお時間ですもの。ご心配は要りません」
「ですが……」
「私のことよりも、お二人は一度しっかりとお話をされた方がよろしいと思いますけど……」
エルマ嬢がチラリとシャルル様を見た。
「誤解は早めに解いておかないと――《《先ほどのように》》後悔することになりますわよ?」
「……っ」
挑発するようなエルマ嬢の言葉に、シャルル様は悔しそうな顔をしながら唇を噛んだ。
「まだ間に合いそうで良かったではないですか。私に泣き言を言うよりも先に本人に想いを伝えるべきですわ」
エルマ嬢は悪戯が成功した子供のように笑いながら瞳を細めた。
……二人が何の話をしているのか全く分からない。
取り残されたような気持ちで二人を見ていると、私の視線に気付いたエルマ嬢が私の耳元に顔を寄せた。
そして、
「……シャルル様は、ローズ様と並んだサイガ殿下を射殺しそうなほどに睨み付けていましたわよ」
シャルル様には聞こえない大きさの声で囁いた。
それって……まるで……。
弾かれたように顔を上げると、笑顔のエルマ嬢が大きく頷いた。
「さて。お邪魔虫はこれにて本当に退散いたしますわ。後はお二人でごゆっくり」
「エルマ様……!」
「ローズ様。よろしければ今度ゆっくりお話しを聞かせて下さいませ」
「ええ、是非!」
「ふふっ。ありがとうございます。では、また」
ヒラヒラと手を振りながらエルマ嬢は会場の中へ戻って行った。
エルマ嬢がいなくなったバルコニーには、私とシャルル様の二人だけしかいない。
シーンと静まり返ったバルコニーには、会場内の賑やかな声が漏れ響いている。
なんとなく気まずい沈黙の中。
『サイガ殿下と一緒にいたところを見てヤキモチを妬いたのですか?』
……思い切って聞いてみようか?
そう思いはしたが、一度振られただけあってかなかなか勇気が出ない。
だけど……私はまだシャルル様の腕の中にいる。
シャルル様は何とも思っていない相手に、こんなことをする人じゃない。
……でも、そうじゃなかったら?
本当はシャルル様は遊び人で、誰にでもこんなことをするような人なのかもしれない。
私は、《《今の》》シャルル様のことをよく知らないのだ。
――――《《今の》》?
ふと、自分の思考に疑問が生まれた。
確かに今のシャルル様のことを本当はよく知らない。だからといって昔のシャルル様のことを知っているわけでもない。
なのに……何故?
昔にシャルル様と出会っている……とでも?
フッと頭の中に何処かの情景が浮かび上がった。
しかし、それは、
「……ローズ嬢?」
シャルル様が私の名前を呼ぶ声に気付いた途端に、霧散して消え失せてしまった。
今のは一体…………?
「ローズ嬢、大丈夫ですか?」
「……え?」
心配そうな表情で私の顔を覗き込んでいるシャルル様。
考え込むのは私の悪い癖だ。
シャルル様の様子からして、何度も名前を呼ばれていたに違いない。
「すみません。考えごとをしていました」
「……考えごとですか?」
「はい。少し」
「一体何を……じゃないな」
大きな溜め息を吐いたシャルル様は、私を自らの腕の中から解放すると、私の顔を両手で包み込んだ。
「僕の話を聞いてくれますか?」
シャルル様の真っ直ぐな視線が私の瞳を捉える。
両頬を押さえられているので、首を横に振るのは難しいだろう。……そもそもシャルル様の話を聞かないという選択肢はない。
何を言われるのだろうか?という不安はあるが……。
「……分かりました。聞かせて下さい」
私は頷きながらシャルル様を見た。




