第三十九話
月明かりの中。
酷く驚いたようなシャルル様の顔がやけにハッキリと見えた。
恐らく、私が《《ここ》》に来るとは思わなかったという顔だろうが……。
私だって、こんな所にシャルル様がいるだなんて思いもしなかった。
それも女性と一緒に、だなんて。
そもそも、今日の夜会にシャルル様が出席していることを私はカージナス様から聞かされてはいない。
カージナス様が《《敢えて》》私に教えていない可能性は否めないが……。
――カージナス様。
もし、私とシャルル様との仲を取り持ちたかったのであれば、遅かったようですよ?夜会を抜け出して、バルコニーで寄り添うような二人の関係なんて、考えなくても分かるじゃないですか。
「……っ」
閉じ込めていた想いが一気に込み上げてくる。
泣いてしまわないように歯を食いしばった。
この場から早く立ち去らないといけないと、頭の中では理解しているのに、身体が動いてくれない。
そのせいで、知りたくもなかった女性の顔までしっかりと見えてしまった。
シャルル様と一緒にいたのは――『エルマ・ユリノイア男爵令嬢』。
私達と同じ十七歳で、ユリノイア男爵家の一人娘だ。
エルマ嬢のことは、一年前のデビュタントの時に見かけたので覚えている。
……彼女は、シャルル様の列の一番最初に並んでいた令嬢だったのだ。
シャルル様とだけダンスを踊った後に、すぐ帰ってしまったみたいなので、話したことはないが。
一年ぶりに見たエルマ嬢は、あの時よりもずっと綺麗になっていた。
庇護欲をそそりそうな細身の身体に、月明かりを浴びた顔は幼さと大人が混同したような甘い色気が滲み出ている。
……あれ?
ふと、エルマ嬢の表情が優れないことに気付いた。
月明かりではエルマ嬢の顔色までは見えないが、とても気分が悪そうだ。
人混みに酔ったのか、元々具合いが悪かったのか、そこまでは分からない。
分かっているのは、シャルル様とエルマ嬢が二人でバルコニーにいたこと。
そして、シャルル様が自ら彼女を介抱しているように見えたこと……。
何とも思っていない令嬢ならば、誰かに彼女を託せば良いだけだ。
夜会には不測の事態に備えて医者が待機しているのだから。
『シャルル様が自ら介抱することを買って出た女性』――つまり、エルマ嬢はシャルル様にとって《《特別な存在》》であることに他ならない。
「ローズ嬢、これは……!」
シャルル様は、エルマ嬢から慌てて手を離しながら口を開いた。
……浮気がバレた男性のようだな。
慌てるシャルル様を見ていたら何だかとても可笑しくて、逆に冷静になってきた。
私に相手に言い訳なんて必要ないのに。
私とシャルル様との関係は、あくまでも私の一方的な片想いだったのだ。
ああ、そうか。もしかしたら二人の関係は、まだ誰にも知られたくない秘密のものだったのかもしれない。
しかしそれならば、少し迂闊だったと思う。
秘密にしたいのであれば、もっと誰にも来ない所に潜まないと、私が偶然見つけたように誰かに見付かってしまうではないか……。
「安心して下さいませ。お二人のことは誰にも言ったりしませんわ」
私はシーッと人差し指を口元に当てながら微笑んだ。
「では、お邪魔虫はそろそろ退散させていただきますわね」
そう言いながら踵を返す。
これらは私が無意識に取った行動だった。
そんな自分の行動に驚きつつ、私は口元を歪めた。
――やっぱり私は悪役令嬢でしかないのか。
私が無意識にした行動は、ゲームの中でカージナスとミレーヌの密会を目撃した悪役令嬢のローズが取った行動と全く同じだったのだ。
その場では二人を祝福するかのように微笑んで見せておきながら、ローズの心の中は嫉妬で煮えくり返っていた。
そして、ローズはミレーヌを排除するために行動を起こす――――。
今の私には、ゲームの中でローズが味わった気持ちが痛いほど理解できる。
好きな人の本命が自分ではなかったことに対する深い絶望と悲しみと、その相手がいなくなれば自分の方を振り向いてくれるのではないか?という浅ましくも身勝手な心……。
これは【ゲーム補正】なのかもしれない。
私を正しい立ち位置に戻そうとする【強制力】……。
振られた事実だけでは飽き足らずに、更に絶望を味わわせようとするだなんて……酷いな。《《私は》》何もしていないんだけどな……。
だけど、私はエルマ嬢をどうにかしようとは思わない。
シャルル様が選んだ相手ならば…………心から祝福する。
『お幸せに』――そう言葉には出せなかった。
代わりにせめて少しでも早くこの場から立ち去ろうとした私の腕が、強く掴まれた。
「待ってくれ!」
私の腕を掴んだのはシャルル様だった。
「……!?」
腕を掴んで引き寄せた私の顔を覗き込んだシャルル様は、大きく瞳を見開いた。
そしてすぐに、とても傷付いたような顔をした。
……どうして、シャルル様がそんな顔をするの?
傷付いているのは私の方なのに……。
シャルル様の表情の意味が分からない私は、無言で首を傾げた。
すると――
『ポタン』と滴が一つ床に落ちた。
……え?
私は落ちたその滴が石造りのバルコニーの床にじわりと染み込んでいく様子をぼんやりと眺めていた。
ポタン……ポタンと一つ、又一つと滴が落ち、その度に床に染み込んでいく――。
……雨?屋根のあるバルコニーなのに?
さっきから頬を熱いものが伝っているけど……これは?
「……っ!?」
私はここで漸く滴の正体に気付いた。
これは……私の涙だ、と。
頬を触った手はしっとりと濡れていたから。
「……ど……うし……て」
我慢していたはずなのに、どうしてこうなったのだろう。
ここで……シャルル様の前で泣くつもりなんかなかったのに……。
擦っても、擦っても、止まらない涙。
思わず両手で目元を隠すと、温かいものに身体を包み込まれた。
その《《温かいもの》》を咄嗟に理解した私はギクリと身体を強張らせた。
――それはこの場において、私が一番触れることが許されないはずのもの。
「泣かせて……ごめん」
私は何故かシャルル様に抱き締められていた――――。




