第三十八話
――私とサイガの間に微妙な空気が流れる。
ゴクリと唾を飲み込んだ私は、サイガからの反応を待った。隣にいるミランダ達からも緊張が伝わってくる。
……しかし、微妙な空気が流れていると感じているのは私達だけで、サイガは何とも思っていないようだ。
少しも気分を害した様子もなく笑いながら、
「それならば仕方無いな」
あっさりと引いたサイガの態度に拍子抜けしたが、同時に安堵した。
お酒の勢いで言っておいてなんだが……
『それならば今後、我が国との国交は考えさせていただく』とか『そちらがその気なら、こちらも考えがある』なんて、外交問題に発展したらどうしようとドキドキしたのだ。
サイガは甘い台詞でその気にさせて、私を都合の良いように操りたかっただけなのかもしれない。
彼にとって私は『他国に嫁いだ姉がいる』という政治的に都合の良い駒。
だが、私の価値はそれだけしかなく、居たら役に立つが、居なくてもどうにでもなる――という取るに足らない駒でしかない。
思い通りにならないならば『要らない』とサイガは判断したのだろう。
これは私にとって願ったりなことだ。
このまま早く国に帰ってくれたら――――
「カージナスの婚約者が決まったら、改めてローズ嬢に求婚すれば良いだろう」
……へ?
私は瞳を瞬いた。
どうしてそうなった?
「カージナスはミレーヌ嬢を選ぶだろうし」
う、うん。その通り。
カージナス様はミレーヌしか見えていません。
サイガは、私が婚約者に選ばれないのを確信しているが……それもそうか。
サイガとミレーヌは仲が悪くても幼馴染みである。カージナス様とミレーヌの関係も知っているはずだ。
「……未来は分かりませんよ?」
カージナス様の婚約者に選ばれるつもりはないが、それはサイガも同じだ。
「君はカージナスに選ばれたいのか?」
「ええ。カージナス様は素敵な方ですので」
だったら、私を選ばないカージナス様を《《今は》》敢えて選ぼう。
「ふむ……未来は分からない、か」
サイガは口元に手を当てながら、考えるような素振りを見せた後、
「それならば、私との未来も分からないということだな」
真っ直ぐに私の瞳を見ながら微笑んだ。
「それは……!」
「妃としての務めを果たした後なら、愛人の一人や二人作っても構わない」
「それって、ハーレもごっ……!」
「話がややこしくなるから、あなたは黙ってなさい」
ミランダがアイリスの口を塞いだ。
「もごっ……」
口を塞がれたアイリスが、不満そうな顔をしながらミランダを見ているのが横目に見えた。
ここでアイリスを選んでくれたら話はすんなりも解決するのだが、そうはいかないだろう。
「……殿下。私は貴族としての自らの務めを理解しています。ですが、私は夫になる相手には私が唯一であることを望み、私も夫を唯一にしたいのです」
政略結婚であっても相手を好きになりたいと思うし、相手にもそうなって欲しい。
「そうか。ならば問題ない」
「……え?」
「ローズ嬢が我が妃になってくれるというならば、私は君だけを一生愛すると神に誓おう」
私の手を取ったサイガは、自らの口元に手を近付ける。
「……どうして、私なのでしょうか?」
私は今まで感じていた疑問を口にした。
「一目惚れでは、駄目か?」
サイガは私の手を取ったまま、首を傾げる。
「あの日……私を選ばなかった君に恋をしたんだ」
サイガの言う『あの日』とは、去年のデビュタントの日だった。
男爵家の令息に変装したサイガが、ひっそりと会場内に紛れ込んでいたらしい。
他国に勝手に紛れ込んでばかりだな!?
というツッコミは心の中に留めておく。
「令嬢達は皆こぞって、第一王子であるカージナスと踊る為の列に並んだというのに、ローズ嬢はその列には目にもくれなかった」
……それはそうだ。
カージナス様は私にとって論外だったもの。
「そんなローズ嬢に興味引かれた私が、自らダンスに誘ったのだが――」
『失礼ですが、あなたは何人兄弟の何番目でいらっしゃいますか?』
ローズはサイガを見上げ、首を傾げながらそう言ったそうだ。
『二人兄弟の長子だが……』
『そうですか。では、申し訳ありませんが、お断りさせていただきます。私が求めているのは、次男以下の方ですので、あなたは条件に合わないのです』
『……は?』
『失礼いたします』
『ちょっと……!』
止めるサイガに構わず、ドレスの裾を少し上げながらお辞儀をしたローズは、愛想笑いを顔に貼り付けながら、そのまま去って行った。
「……ええと?」
そんなこともあった……かも?
「「…………」」
ミランダとアイリスからの視線が痛い。
「あの時は酔っていたから……!」
あの日は声を掛けられることがやけに多かったのだ。
たくさんの令嬢達がカージナス様に列を作ってしまった為に、婚約者のいない令息達は列に並んでいなかった令嬢に、手当たり次第声を掛けていた気がする。
最初は愛想良く対応していたが、声を掛けてくるのが何故か長子の令息ばかりで……段々と面倒になってきたのでお酒に手を出した。
初めて飲んだオルフォード領のシャンパーニュが美味しくて、夢中になって飲んでいたのだが――お酒を飲みながら適当に対応している中に、恐らくサイガが混じっていたのだろう。
次男以下の令息達の顔は微かに覚えているが、『長子』や『嫡男』と答えた令息達は記憶から即消していたので全く覚えていない。
「私のダンスを断ったローズ嬢は、そのままとある令息の列に並んだ」
……気乗りしないダンスに誘われることも、断ることにも疲れた私は、オルフォード領の三男であるシャルル様を見つけて逃げるようにその列に並んだのだ。
シャンパーニュの感想を言いたいと口実を作って。
それだけに留まらずに、勢い余って告白したところを……サイガは近くで見ていたということか。
「……私は王子という立場から、自分の思い通りにならないことはなかった。ローズ嬢は私の自尊心を生まれて初めて折った相手だったのだ」
「……申し訳ありません。私には家を継いでくれる方が必要だったのです」
サイガが遠い目をしながら言ったので、何となく謝っておく。
兄のいるミランダや、実は弟がいるアイリスとは状況が違うのだ。
「いや、謝る必要はない。お陰で私は真実の愛に目覚めることができたのだから」
……真実の愛。
サイガの言葉は、まだ黒歴史にも、思い出にもできていない……私の中で燻っている心を大きくかき乱す。
「ローズ嬢。私は君を愛している。今すぐに答えが欲しいわけではない。まだ時間はあるのだから、ゆっくりと考えてみて欲しい」
失恋したての心に踏み込んでくるのはズルい。その手にすがってしまいたくなるじゃないか。
でも……私は…………。
「殿下……。私は……」
「私は『まだ時間がある』と言った。今、答えは要らない」
言いかけた言葉はサイガに遮られてしまった。
「良いね?」
そう促されてしまえば、私に言えることはもう何もない。
「分かりました……」
私は瞳を閉じて溜め息を吐くと
「ありがとう!《《ローズ》》!!」
喜びの声を上げたサイガに両手を握られた。
そのまま抱き締められそうになったが、私とサイガの間に身体を滑り込ませたミランダが、やんわりと阻止してくれた。
そして……
「殿下!もっとお話を聞かせて下さいませ!特にハーレもごっ……!」
ズイッとサイガに近付いたアイリスの口元は、例のごとくミランダの手によって塞がれる。
「この子の発言はどうかお気になさらないで下さいませ」
にこやかな笑みを浮かべるミランダの口の端がヒクヒクとしているのは……見なかったことにしよう。
「……ローズ?」
フラリと歩き出した私にサイガが声を掛けてきた。
ちゃっかり呼び捨てになっているが、訂正するのが面倒くさい。
今は少し……一人になりたい。
「少し風に当たって来ます」
「付いて行こうか?」
「いえ、一人で大丈夫です。ミランダとアイリスをよろしくお願いいたします」
ドレスの裾を持ってお辞儀をした私は、サイガの返事を待たずに踵を返してバルコニーに向かった。
バルコニーに出た私は、夜空を見上げながら溜め息を吐いた。
――その時。
誰かが息を飲むような気配を感じた。
先客がいたのか。
そう思いながら視線を向けると、そこには案の定、仲良く寄り添うような男女の姿があったのだ。
謝罪してさっさと去ろうと思った私の視線は、男性の顔を捉えたまま、固まった。
「…………!!」
……私は運が悪いとしか言い切れない。
男性の方は私がよく知った相手。
――――シャルル様だったのだ。




