第三十一話
「……本当に行かれるのですか?」
私の髪を編み込みながらマリアンナが言った。
ドレッサーの鏡には、とても不安そうな表情を浮かべたマリアンナが映っている。
「仕方ないわ。カージナス様からの頼み事は断れないもの」
私はそんなマリアンナを安心させるように笑顔を作る。
「……私はこれ以上、お嬢様に辛い思いをして欲しくありません」
マリアンナの手がピタリと止まった。
「マリアンナ……」
普段のマリアンナは、私とどんな話しをしていても準備の手を止めることはない。
話しながらでもこんなに器用に動くのか、と感心するほどだ。
――しかし、今日のマリアンナはいつもと違った。私の外出が余程嫌なのか、支度をするのを拒んでいる。
「大丈夫よ。もう、大丈夫だから」
「でも……!」
「例え、何かあっても今度はちゃんと相談するし、甘えるから。ね?だからお願い」
鏡越しではなく、きちんと振り返ってマリアンナと目を合わせた私は、彼女の手を握りながら微笑んだ。
「…………分かりました。無茶と無理は絶対にお止め下さいね」
暫く私を見つめた後、溜め息を吐いたマリアンナは、私の手を握り返した。
「うん。できる限りで約束する!」
「そこは『絶対に約束する』……と言って欲しかったのですが」
苦笑いを浮かべるマリアンナ。
「ふふっ。だって、《《私》》だもの!」
マリアンナをこんなにも過保護にしてしまったのは、《《あの日》》の私のせいだ。
――そう。
それは、シャルル様に振られた《《あの日》》のこと。
***
なんとか二人の馬車を見送った後。
涙を堪えきれなくなった私は、ドレスや髪が乱れることも構わずに、全力疾走で邸の廊下を駆けて自分の部屋まで戻った。
そうして自室に戻った私は、誰にも邪魔をされないように内鍵をかけてから、ベッドに潜り込んだ。
――それからの記憶は朧気だ。
泣いても、泣いても、枯れることのない涙。
シャルル様と共に歩める未来がなくなってしまったことが、ただ、ただ、辛くて……悲しくて、泣き続けることしかできなかった。
自分がどれだけこうしているのかも、いつ眠って、いつ起きているのかもさえも曖昧で、お腹なんて少しも空かない。
……とうとう涙が枯れ果てると、生きている意味も理由も分からなくなった。
いっそ、このまま消えてしまいたい。
――そう思った時。
バーン!!
と、大きな音を立てて部屋の扉が空いた。
掛け布を頭まで被ってベッドに丸まっていた私は、掛け布から頭だけを出して、大きな音のした方へゆっくりと視線を向けた。
そこには――
「ローズ!!無事!?」
ミランダがいた。
光をバックに突然現れたミランダ。
「……み……ら…ん?……ど……し……て?」
驚き過ぎているのと、喉がカラカラに渇いていて上手く話せない。
私は呆然としながらミランダを見つめた。
「嫌な予感がしたから急いで来てみれば……どうしてこんなことになっているのよ!」
つかつかと淑女らしからぬ大股歩きで私の元に向かって来たミランダは、私の被っていた掛け布をガバッと剥ぎ取った。
「三日も飲まず食わずで、泣きながら部屋に閉じ籠るだなんて……無茶をして!」
ミランダは私の顔を両手で包み込まれる。
「ああ……もう!ローズの愛らしい顔が酷いことになっているじゃないの……」
そしてミランダに引き寄せられた私は、彼女の胸の中でぎゅうぎゅうと抱き締められた。
……包み込まれるような優しい温もりのお陰でか、徐々に私の思考が回復してきた。
どうしてミランダがここにいるの?
それに……。
「……か、ぎ?」
誰も中に入って来れないように部屋には鍵をかけたのに。
「え?ああ、鍵ね。そんなのは壊したわ」
……壊した?ミランダが?
「忘れたの?我がバン家は魔法使いの家系よ。そして、私もその一員だもの」
私から少し身体を離したミランダは、ニッコリと微笑んだ。
「鍵を壊すなんて簡単な魔法は赤子でもできることだわ」
「そ、そう……なんだ……」
……衝撃的だった。赤ちゃんから魔法を使えるだなんて。バン家凄い。
しかし、衝撃的なことは更に続いた。
「ローズには色々と聞きたいことがあるけれど……まずは湯浴みね」
ミランダがおもむろにパチンと指を鳴らすと……
「…………え?」
気付けば真っ裸で浴槽の中にいた。
少し熱めな湯が気持ち良い……。
って、そうじゃない!
ほんの数分前まで自分の部屋のベッドの上にいたはずなのに……。
「顔色は悪いし、肌の艶もなくなっているし、ゆっくり温まってからマッサージね」
「わっ!ミランダ!?」
急に目の前にミランダが現れた。
私は慌てて身体を隠そうとしているのに、
「女同士なんだから気にすることないでしょう?」
ミランダは不思議そうに首を傾げるだけだ。
……いや、その……ミランダ達みたいにスタイルが良ければ隠さないよ!?
寧ろ、堂々と見せるよ!?
――そんな問題ではない。
「お嬢様……」
ミランダの後ろから、瞳を潤ませたマリアンナが姿を現した。
「マリアンナ……」
「ご無事で良かった。……旦那様も奥様も、邸中の皆が心配したのですからね」
マリアンナにすがり付かれて泣かれた私は、ここで漸く自分を大切に思ってくれている人達の存在に気が付いた。
自分のことで精一杯で部屋に閉じ籠ったところまでは、まだ良いだろう。
……なのに、私は何を考えていた?
『生きている意味も理由もない?』『消えてしまいたい?』
そんな馬鹿なことを思ってしまっていた。
こんなにも私を心配して、涙まで流してくれる人がいるというのに……。
「マリアンナ……ごめんなさい」
マリアンナの服が濡れてしまうかと思ったが、私はマリアンナに抱き付いた。
カラカラに渇いたと思っていた涙がまた溢れ出してくる。
今はまだ凄く辛くて悲しくて……気持ちが張り裂けてしまいそうだけど、きっと大丈夫。
シャルル様の側にはいられないけど……私には優しい皆がいるから。
――その後は更に凄かった。
『チート』とは、ミランダの為にある言葉なんだろうと思った。
魔法をフルで稼働させたミランダは、私の全身をピカピカに洗い上げただけでなく、保湿効果を施しながらマッサージを行い、最後に回復魔法まで使ってくれた。
湯浴みの後、消化の良い食事を少しだけ取った後は、ベッドに寝かされた。
ベッドの上でミランダに経緯を説明し終えると、
「……そう。そうだったのね」
一言だけ呟いたミランダは、険しい表情で考え込むような素振りをした。
「……ミランダ?」
「え?……何でもないわ」
すぐにいつものような明るい笑顔になったミランダに頭を撫でられると、強烈な眠気が襲ってきた。
「今は何も考えずに眠りなさい」
ミランダの声を合図にするかのように、私の瞼が閉じた。
*****
……今思えば、強烈な眠気もミランダの魔法だったのだと思う。
この世界の魔法使いがあんなにも沢山の魔法を使えることを、あの時に初めて知ることになったのだが……。
……流石、カージナス様の婚約者候補に上がるだけのことがある。
あの血は王族の中に取り込みたいと誰もが思うだろう。
あれから丸二日間眠り続けたが、今回はミランダが説明してくれていたようだったので、マリアンナに泣かれることはなかった。
――余談だが、邸の皆で私の部屋の扉を壊して突入する相談をしているところに、ミランダが突然現れたそうだ。
そして、私の状況を聞いたミランダが、魔法を使って突入してきたというのが事の顛末である。
丸二日間眠り続けていた私の目覚めは最高だった。身体は少しも痛くないし、まさに快調そのもので、沈んでいた気持ちさえも晴れた気がした。
ミランダ様々である。
このお礼は必ずしなければ!
――あれから半月。
今日の私は、カージナス様の頼み事である『夜会』に参加する為に準備をしていた。
間もなく迎えの馬車が到着する頃合いだろう。
「マリアンナ。準備は終わりそう?」
「はい。後は着替えていただければ終わりですわ」
「良かった。ありがとう」
「……私のせいで申し訳ありません」
「良いのよ。マリアンナの気持ちはとても嬉しいもの。……だから、私は新しい恋をゲットしてくるわ!」
「まあ……!」
片目を瞑って見せると、マリアンナが微笑んだ。
少しでも前向きに考えよう。
いつまでも悩んでいても何も始まらない。
心の中にあるシャルル様への気持ちにそっと蓋をした。




