第二話
誰にも話してない私の秘密。
それは……私に前世の記憶があることだ。
思い出したのは、去年のデビュタントの翌日の朝だった。
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「何これ……二日酔い?……気持ち悪っ……!」
ズキズキと痛む頭を片手で押さえながら、もう片方の手をベッドに付いて起き上がろうとするものの……どうしてか上手く起き上がれなかった。
……まだお酒が残ってるのかな。
起き上がることを一旦諦めて、寝転がった状態のまま天井をボーッと眺めていた私は、段々と意識がはっきりしてくるにつれて徐々に違和感を覚え始めた。
家の部屋の天井って……こんな柄……だったっけ?
室内灯はこんな……?
……違う!
私の部屋にシャンデリアなんてない!!
「……っ!!」
二日酔いなのも忘れて勢い良く飛び起きた私は、視界が真っ白になる位の激しい痛みに思わずギュッと瞳を閉じた。そうして痛みをどうにかやり過ごしてから……そっと瞳を開けた。
「……ここはどこ?」
見回した室内には見るからに分かるほどの高そうな調度品の数々が設えてあり、私の寝ていたベッドは大きく豪華な姫系のベッドだった。
思わず着衣の確認をしようとして……そのまま固まった。
何……この服……。
薄くてヒラヒラした……ネグリジェ?
……え?何?……意味が分からない。
ベッドの上で立ち上がろうとして……
「うぎゃっ……!」
ネグリジェの裾を踏み付けてまた転がった。
……馬鹿だ。私……馬鹿だ。
仰向けの状態で真っ赤に染まった顔を両手で覆った。
室内には私一人で、誰に見られたわけでもないのに、とてつもなく恥ずかしい。
今なら恥ずか死ねる気がする……。
はぁ……。
それにしても、全くさっぱり状況が分からない。
昨日はどこで誰と飲んでた?
こんな二日酔いになるまで飲んだのは二十歳の私の誕生日に、お酒好きの両親が『自分の適正酒量を知っておくべきだ』と言い出し、次から次へと飲まされ……見事に潰れたあの日以来である。
室内を見る限りだと……セレブにでもお持ち帰りされた?
それとも誘拐?……まさかね。
私なんかを誘拐するメリットなんてどこにもない。
顔を覆っていた両手を退けると、そこには白銀色の絹糸の様な物がまとわり付いていた。
何……これ…………絹糸?
日に透けてとても綺麗だ。
ふと魔が差した私は、白銀色の糸をえいっと思い切り引っ張ってみた。
すると……
「痛っ!」
頭皮からプチプチと髪の毛の抜けた音と共に……ヒリヒリとした痛みを感じた。
は?! 何?!このプラチナブロンドが私の髪の毛だっていうの?!
えっ……嘘……。私の髪は焦げ茶色でこんな綺麗な白銀色ではない。
……何?何?何?! 怖い!
ストレスとかで一晩で真っ白になった……とか?!
パニックになりかかった所で、トントンと部屋の扉がノックされた。
「お嬢様。入りますよ」
ガチャッと開いた扉の外から現れたのは、紺色の無地のロングのお仕着せの上に、控え目なフリルの付いた白いエプロンを身に付けた……綺麗なメイドさんだった。
これは夢だ。私は夢を見ているのだ……。
「お嬢様。もしかして、寝惚けていらっしゃいますか?」
メイドさんはクスクスと笑いながら、私の手を引いてベッドから起こしてくれる。
そうしてそのまま私の手を優しく引いて、大きな鏡の付いたドレッサーの前の置かれた、背もたれ付きの椅子に誘導した。
……目の前の鏡の中には、目の覚めるような可憐な美少女が座っていた。
白銀色のさらりと長いストレートの髪に、アメジスト色の宝石の様な綺麗な瞳。
肌は透けるように白く、手足はほっそりと長い。
え……?ちょっと待って……こ、この顔は…………!
「『ローズ・ステファニー』……!」
私はその瞬間に全てを思い出し、そして全てを理解したのだった。
***
『神山 悠夏』二十四歳。
日本という国に生まれ、アパレルの販売員をしていた。
大好きなのは乙女ゲームとお酒。焦げ茶色の髪と瞳のごくごく平凡な容姿も持つ日本人。それが私だった。
父と母、兄と妹の五人家族で、仕事場の都合上、家族から離れ一人暮らしをしていた。
高校卒業と同時に付き合い出した彼氏とは数年前に自然消滅した。
遠距離になるのは分かっていたのに、それでも良いと言われて付き合った。
まぁ……若かったのだ。お互いに。
元彼と別れてからは誰とも付き合う気にはなれず、そうこうしている内に乙女ゲームにハマった。
結果的に、現実の男性には全くときめかなくなってしまったのだ。
それならば……と、『三十歳までは好きに生きよう』と割り切った。その内に出会いがあるかもしれないし、やっぱりないかもしれない。それでも自分の決めた人生なら後悔はしたくないと、私はこれまで以上に乙女ゲームやお酒にのめり込んでいった。
そんなお一人様を満喫していた悠夏の人生は突然終わりを迎える。
***
仕事帰りの夜。
キキキー!!
街中に響くクラクションと急ブレーキ音。たくさんの悲鳴が聞こえる方向を見れば、遠くの方から徐々にこちらへ向かって暴走して来るトラックのライトが見えた。
「逃げなきゃ……」
逃げ出した周りに合わせて身体を翻そうをした所で、ギクリと身体が固まった。
歩道の真ん中に一人の子供がいたのだ。
「ママぁ……!」
三歳位の男の子だろうか。涙をボロボロと溢しながら、キョロキョロと忙しく視線をさ迷わせている。
母親はどこにいるの!?
周りに視線を巡らせると、少し離れた所で誰かの名前らしきものを叫んでいる女性がいた。
きっとあの女性が男の子の母親だろう。逃げる人々に巻き込まれて、繋いでいた手を離してしまったのかもしれない。
そうこうしている内に、トラックはもうその姿を大きく捉えることができる所まで迫って来ていた。
今すぐに逃げなければ私も巻き込まれる。
………っ!!
格好良いことなんて何も考えてなかった。
この時に考えていたのは、幼なじみの親友の瑞希のこと。友達の中で一番最初に結婚した瑞希の子供は、確か三歳になったばかりの男の子だった。
目の前で泣いている子供が親友の子供に重なった。
だから…………身体が勝手に動いた。
走馬灯の様にゆっくりと流れる景色の中。
私は迫るトラックと男の子の間に立ち、恐怖に顔を引きつらせている男の子を抱き上げ、もつれる足を懸命に動かしながら必死に手を伸ばしてくる母親へ向かって、男の子を思い切り投げた。
『火事場の馬鹿力』
切迫した状況に置かれると、普段には想像できないような力を無意識に出すことの例えだが、私はこの身を持ってそれ体験した。
投げ出された子供は無事に母親が受け止めてくれた。
良かった……。
ドンッ!!!
ホッとした私を襲ったのは、今までに感じたことがないくらいに凄まじい重量の衝撃だった。
衝撃を受けた私は、糸の切れた凧の様に空へと投げ出された。
『人間って飛べるんだ……』と、投げ出された私はそんな馬鹿なことを考えていた。
不思議と痛みは感じなかった……。それが救いだったかもしれない。
そうして…………私はそのまま意識を失った。
**
神山 悠夏。二十四歳の短い人生だった。
もっと色々な乙女ゲームをやりたかったし、色々なお酒も飲んでみたかった。
人助けだったといえ、親よりも早く死んでしまうなんていう親不孝をしてしまった。
……ごめんなさい。そして、今までありがとう。こんな人生でも悠夏は充分に幸せでした。
さて。
そんな私が生まれ変わったのが……まさかの『ローズ・ステファニー』。
私が死ぬ前にハマっていた乙女ゲーム【My Lover Prince】。略して【マイプリ】のヒロインの一人である。
私は大きな溜め息を吐いた。
今、流行りの……転生もの。
妄想したことはあるが、まさか自分の身にそれが訪れるだなんて誰が思うだろうか?
大好きな乙女ゲームの世界だが…………ローズはあり得ない。
いや、ローズは好きだよ?!
ヒロインの中で私の一番の推しの容姿だったし、平々凡々の容姿だった自分がローズのような美少女になれたなんて純粋に嬉しい。顔だけなら間違いなく人生の勝ち組だ。
……問題なのはローズの立場というか、立ち位置なのだ。
【My Lover Prince】は、乙女ゲームでは珍しい仕様になっている。
実はこのゲーム、通常でいう所の攻略対象キャラを自分で育てるのだが、パラメーターの振り分け次第で自分好みのキャラに育てられるのだ!
育てた攻略対象キャラと数人いるヒロインとを結婚させるゲーム。
乙女ゲームとギャルゲーを足して二で割ったような珍しい仕様だった。
発売前には、『育てるなんて……』とか『母親かw』等の批判がたくさんあったが……発売してみれば、新しい育成型の乙女ゲームに世の中の女性達は夢中になった。
私もその一人である。
ショタコンの気なんてなかった私が、攻略対象キャラの幼少期のぷにぷにの頬や手足には萌え死にさせられるかと思った。
マイプリの攻略対象者はメルロー国、第一王子のカージナス、第二王子ユージン、第三王子ルカ。隣国ブラン王国の第一王子サイガと第二王子のリュートの五人だ。
シークレットキャラは、全員をハッピーエンドで攻略後に現れてくる《《らしい》》。
『らしい』というのは、私がシークレットキャラを攻略する前に死んだからだ。
攻略対象キャラの中で、素直で可愛く育てやすいという理由もあってメルロー第三王子ルカが一番好きだった。女の子みたいに華奢で可愛いのに、『僕だって男なんだからね?』と、ヒロイン相手に壁ドンする姿には……キュン死しそうになった。
育てゲー最高!
……しかし残念なことに、ルカ王子ルートにローズは出ない。
ローズが出るのは、第一王子のカージナスルートと第二王子ユージン、ブラン王国のサイガとリュート。
つまり、ルカ以外のルートには必ずいるのだ。
……解せぬ。
四人いるヒロインからメインヒロインが一名選択されると、残りのヒロインは傍観者や悪役令嬢の役に成り代わる。
しかし、ローズはメインに選ばれない限りは、必ず悪役令嬢になるキャラクターなのである。
綺麗な顔をしてえげつない行動をし、メインヒロインを虐めまくる悪役令嬢。それが、私なのだ。
そして……悪役令嬢の最後には必ず『ざまあ』が待ち受けている。
つまりは、断罪だ。ローズの受ける断罪は軽い謹慎から処刑までと幅広い……。
私はそんな人生なんて真っ平だ。
せっかく好みの顔に生まれ変わったのだから、攻略対象キャラやヒロイン達とは関わらずに幸せに生きたいのだ!!
そう!大好きなお酒をたくさん味わいながら!!