レストラン岸田屋
2019年一本目の短編小説。
大した話じゃないかもしれないけど、でも一人でもこの作品から何かを感じてくれたらいいなって。
「へい、らっしゃい」
港区に立ち並ぶ高層ビルの陰にひっそりとたたずむ洋食屋『レストラン岸田屋』。
創業50年は経つこの洋食屋は知る人ぞ知る名店のレストランだ。
昼夜問わずサラリーマンで賑わっているこの店の店主は二代目で先代であるおじいさんの息子が店長兼料理長として働いている。
息子、と言っても年は既に40代後半。そして料理長と言っても従業員は料理長の『岸田』と接客担当の奥さんの二人だけ。所謂『家族経営』のレストランだ。
そんな店内で今日もまた客席にフライパンが宙を舞う。いや、何を言っているんだと思うかもしれないが、文字通り『フライパンが宙を舞っている』のだ。
「おいコラクソガキども!テメェら壁に貼ってある文字が読めねぇのか!?うちは『店内での電話は禁止』だって書いてあんだろうが!電話したけりゃ外でやれこの野郎!」
フライパンが飛んできた20代くらいの大学生だろうか?男女のカップルは料理を注文する前に慌てて荷物を掴み転びそうになりながらも店から出ていく。
常連客は「ああ、またか」と言った表情でため息をつきながらも静かに料理を楽しむ。毎日来ている常連客は「そう言えば昨日もフライパンが飛んでいたな」と思い出す。
昨日の原因は何だったか。ああ、そうだ。確か昨日も大学生くらいの男の子が数人来て「ねぇ、店員さん。この店なんか音楽流しなよ。静かすぎてつまんないよ」と接客担当の奥さんに言ったのだ。勿論大学生は態度が悪かったわけでも、言い方が偏屈だったわけでもない。だが『岸田』をキレさせるには十分な内容だっただけだ。
「おいコラクソガキども!うちは飯屋だ!音楽聞いて楽しみたいならディスコにでも行きやがれ!」
案の定大学生たちは震えあがり泣きそうになりながら逃げる様に店を出ていく。
ディスコなんてもうないだろ、と思いながらも常連客達は何も言わず静かに食事を楽しむ。
店を出た常連客は口々にこう言う。
「全く岸田さんも困った人だよな。あれくらいでキレるなんて」
「全くっすよ。だけどあれで店が毎日満席なのは凄いっすよね」
「まぁ岸田さんだもんな」
「ええ、岸田さんですもんね。だって」
「「飯は最高に美味い」」
常連客は皆そう言う。
岸田の外見は怖い。スキンヘッドに目には刀で斬られたような切り傷、そして格闘技でもやっていたんじゃないかというくらい体つきが良い。道を歩けば人々は道を開き、子供は泣き叫び犬は吠える。そのうえ無口ときたもんだ。人睨みすれば気の弱い人間ならそれだけで気絶するだろう。
因みに目の傷は岸田が父親である先代に弟子入りした時に喧嘩し包丁で斬られたものだ。決して極道にいたわけではない。
奥さんでさえ岸田がしゃべっているところをあまりみない。聞くのは店で「へいらっしゃい」。何か話しかければ返事は「おう」というだけ。先代に似て無口な性格だ。
店は古典的な洋食屋。ハンバーグにオムライスにナポリタンと言った昭和の時代に流行ったものばかりだ。そして店を追い出された大学生が言っていたが店ではBGMなどは流れず店内に響くのはいつだってフライパンで何かを焼いている音だけ。客は皆一切喋らずその音と店内に流れる香ばしい香りを楽しみながら食事を楽しんでいる。
そんなう今の時代珍しい古風な男にも頭を悩ませる客がいる。まぁその客も何か悪いことをしているわけではない。ただ岸田にとって嫌いな奴がいるだけだ。
そいつは毎週水曜日の決まった時間にやってくる。奥さんの話ではそのお客さんのつけているバッジは外交官の物らしい。まぁつまり近所にあるフランス大使館で働いているのだろう。
カラン、と店のドアが開きドアに来店を知らせるために備え付けた鈴の音が店内に響く。
「チッ」
岸田はその客にはいらっしゃいも言わない。何故なら岸田は彼が嫌いだからだ。
体格のいいフランス人はいつもの角のカウンター席に座り「奥さん、今日はハンバーグをお願いするよ」と流暢な日本語で注文する。
岸田はフランス人の注文を聞いていたが聞こえないふりをし、奥さんから注文を聞いてから調理に取り掛かる。
フランス人はそんな事お構いなしと言った感じでニコニコしながら岸田の手際のいい調理を眺めている。岸田はそんな視線を感じながらも無視して料理を作る。
料理を提供し彼が食事を終え店を後にした様子を眺め岸田は「チッ」とまた舌を打つ。岸田は彼が嫌いだ。何故ならあのフランス人はお客さんが食事中膝にかけるナプキンをわざとくしゃくしゃにしてテーブルに置いて出ていくのだ。
常連客はそんな様子を眺めながらほっと溜息をつく。今日も何もなかった、良かった、と。日本人は食べ終わった後ナプキンを丁寧に畳んで出ていく。それに対してあのフランス人はわざとくしゃくしゃにしてから出ていく。岸田をキレさせるには十分な理由だった。
あのフランス人が店に来始めたのは三カ月ほど前の事だ。その時ナプキンをくしゃくしゃに置いて出ていこうとした時「てめぇ!これは何の嫌がらせだ!」とフライパンが宙を舞ったものだ。だがフランス人は毎週何事もなかったかのように店にやってきてはナプキンをくしゃくしゃにして出て行く為、さすがの岸田も怒るのがめんどくさくなったのだ。
岸田をキレさせて尚また店に足を運ぶのは彼くらいなものだろう。
そんな古風な男にも毎週楽しみがあった。定休日である木曜日の夜九時。その十分前から岸田はソワソワし、胡坐をかいて目の前のちゃぶ台にケータイを置いていた。
九時丁度になると携帯が鳴る。だが岸田はすぐには電話には出ない。奥さんが「貴方、携帯が鳴ってるわよ」というと「おう」と言って電話に出る。奥さん曰く、これは照れ隠しだそうだ。電話にすぐに出ると相手にまるで電話を待っていたかのように思われる。そして電話に気づかなかったふりをして奥さんに呼ばれるまで出ない。このやり取りは毎週行われていた。
「あ、お父さん!!美和だよ!元気?」
「おう」
電話の相手は一人娘の美和で、現在オーストラリアに留学中。古風な男が良く海外留学など許したものだと思われるかもしれないが、その条件が毎週ちゃんと元気にしてるか電話してくる、だった。要は流石の岸田も可愛い一人娘のおねだりは断れなかったのだ。
「お母さんも元気?あ、そう言えば今週学校でね……」
「おう」
「それでね!ホームステイ先のお母さんがね!……」
「おう」
岸田は娘に対しても基本「おう」としか言わない。だが娘もそれが分かっているから一方的に話し続ける。だが威厳のある父のふりをしても奥さんから見れば岸田の口元はゆるゆるなのがわかる。
「って事があったんだ!本当に楽しかったよ!」
「おう。金は足りてるか?風邪ひいてないか?」
「大丈夫だよ!ちゃんと節約してるし!あ、そう言えばお父さん知っている?この前ホームステイ先のお母さんにレストランに連れてってもらったんだけどさ!海外のレストランって食事を終えた後、膝に置くナプキンをくしゃくしゃにしてテーブルに置くんだってさ!それがレストランでは「美味しかったです。ごちそうさまでした」のサインなんだって!私その時もしお客さんがお父さんの前でそれをやったら絶対お父さん怒るだろうなって思って笑っちゃってさ!でさ……」
娘の話に岸田は思わず固まる。英語が話せない岸田は海外には行ったことない。話せる英語と言えば「はろー」と「ないすとぅーみーとぅー」だけだ。後は知らないし、「はろー」と言って何か返事をされても「おう」としか返せない岸田はそんなマナーがあったなんて知らなかった。
「でね?……ってお父さん聞いてる?」
「……おう」
「もう!聞いてなかったでしょ!あ!ごめんもう消灯時間だ!お休みお父さん!大好きだよ!」
「……おう」
岸田は電話を切り携帯をテーブルに置き腕を組む。傍から見れば威厳のある父親のように見えるかもしれないが、奥さんからしたら携帯画面の待ち受けにしてある娘の写真を眺めて寂しそうにしているのがバレバレであった。
次の日からまたいつもの何かを焼く音と香ばしい香りが漂い、そして偶に客席にフライパンが飛び交う忙しい店内に戻る。
そして次の水曜日、またいつものフランス人がやってくる。岸田は「チッ」といつもの舌打ちをする。フランス人はいつものように流暢に奥さんに注文を頼み、そして食事を楽しんだ後ひざ掛けのナプキンをテーブルにくしゃくしゃにして置く。
だがフランス人はいつも聞こえる「舌打ち」がその日はない事に気が付く。ふと岸田の顔を見上げれば岸田が真っ直ぐそのフランス人のナプキンを見ていた。
「……また来いよ」
岸田がぼそりと言ったその言葉は奥さんも常連客達も聞こえなかったが、不思議とフランス人の耳にははっきりと聞こえた。
「……ええ、また来ます」
フランス人も微笑みながら小さくつぶやく。その言葉もまた不思議と岸田の耳にしか入らなかった。
カラン、とドアに備え付けてあった鈴の音がフランス人が出て行ったことを知らせる。