第六話 蹴撃! ヒーローは空から蹴りを放つ
拳に残る感触に、カケルは勢いづいた。
続けて放った蹴りはドラゴンの後脚を捉え、硬い鱗を通して内部にダメージを届かせる。
(生命力を魔力に変換、光属性を除去せず魔導鎧に付与しています)
『これ効いてんな! ははっ、イケんじゃねえか!』
体高5メートル。
小さなアパートほどの体格を持つドラゴンの攻撃は脅威だ。
足踏みだけで木々を押しつぶし、硬い鱗に覆われた尻尾が当たれば人間などひとたまりもない。
爪や牙はミスリルさえ貫くと言われ、先ほど放たれたブレスは山の一部を崩落させた。
そのドラゴンを前にして、カケルは踊るように拳と蹴りを叩き込む。
全身にまとった黒い魔導鎧に、青いラインが光る。
生命力を利用して魔導鎧自体に光属性を付与することで、カケルは邪龍マルムドラゴにダメージを与えていた。
たとえわずかずつでも、積み重ねていけば命に届く。
そう信じて、自らに言い聞かせて、カケルはドラゴンの攻撃をかわして四肢を振りまわす。
決して諦めることのないヒーローのように。
コロナとユーナがいないことで、カケルは自由に動けるようになった。
前脚に拳を振るい、脚の間を抜けて後脚に飛び蹴りを叩き込む。
振り回された尻尾を飛んでかわしてドラゴンの体に駆け上がる。
背中を踏み抜いて手刀で翼に傷をつけ、飛び降りついでに胴まわし回転蹴りを翼に浴びせる。
(自己修復、完了。高速行動、感覚強化、身体強化、防御強化、すべて最大発動中。光属性付与も同時に展開しています。残生命力81%、このペースでは)
『んなこたわかってんだよ! Eランク冒険者がドラゴンと戦ってんだ、無理しなきゃ相手にならねえだろ!』
魔導鎧を流れる青い光は、カケルの「生命力」をエネルギーに転換したものだという。
消費ペースの速さに、無表情なのに心配そうなアルカが進言するも、カケルが聞き入れる様子はない。
Eランク冒険者がドラゴンと渡り合う。
文字通り命を削って、奇跡を為しているのだ。
カケルにとって、いまが『その時』ゆえに。
たとえわずかずつでも、積み重ねていけば命に届く。
繰り返されたカケルの攻撃に、ドラゴンの鱗は一部ひび割れて肉が露出し、翼膜は破れた。
『最大じゃ足りねえ! 120%を絞り出せ!』
(……了解しました)
アルマの進言を聞き入れるどころか、カケルはさらに消費ペースを速める。
守るもののためには自らの命を顧みない、ヒーローのように。
『くははははっ! やるではないか、人間よ!』
ドラゴンも攻撃を受けてばかりではない。
時に爪を振るい、時に噛み付こうと大口を開け、尻尾を振りまわし、体をぶつけようと横にタックルし、意表をついてボディプレスを仕掛ける。
だがカケルは思考や反応、動きが速まる高速行動と、いち早くドラゴンの動きを察知する感覚強化ですべての攻撃をかわし、避けきれないものは防御強化で受け流していた。
受けたダメージはドラゴンの方が多いだろう。
一瞬の判断ミスも行動の遅れも許されない状況で、カケルは死線に踊る。
それは魔導鎧の能力を活かしたカケルが、一人でドラゴンと渡り合った、奇跡の時間だった。
けれど、いつまでも奇跡が続くはずはない。
『しまっ』
踏み込んだ場所に魔導鎧の破片があった。
先ほどのブレスで破損して落ちたものだろう。
魔力を使った自己修復機能で魔導鎧は直っても、破片が消えるわけではない。
もしここで足を滑らせなくとも、同じことが起きただろう。
つまづく、判断ミスをする、動きを見落とす、予測を外す、ドラゴンがフェイントを使う。
どれも些細な、どれか一つがあっても、いずれ同じことが起きただろう。
カケルは、それほどに狭い死線に踊っていたのだ。
カケルは足を滑らせて、右足がわずかに地面から離れた。
『終わりだ』
目の前にドラゴンの口が迫る。
ミスリルをも穿つ牙による噛みつき、ではない。
邪龍マルムドラゴは、口腔に黒い闇を溜めていた。
一瞬後には、ドラゴン最大の攻撃であるブレスが放たれるだろう。
高速行動で伸びた体感時間の中で、残る左足でブレスをかわす方法をカケルは必死に探して、気づいた。
ブレスが放たれる方向に、街があると。
もしもこのままブレスをかわしたら。
大半は避難したものの、いまだ街に残る人々は死ぬかもしれない。
例えば冒険者を仕切る役目を受けた受付嬢や、望んで炊き出しを申し出た宿の従業員が。
高速行動で伸びた体感時間の限界さえ超える刹那に、カケルは思考し、心を決めた。
左足を踏み切る。
横に飛んでブレスをかわして地に足をつけるのではなく、上へ。
『最期に英雄足らんとするその意気やよし! 英雄の死を知った者の絶望はさぞ甘美だろうなあ!』
口をわずかに持ち上げ射角を修正して、ドラゴンはブレスを吐き出した。
稲妻混じりの黒い奔流が放たれたのは三度目。
カケルがブレスに飲み込まれるのは二度目だ。
『くっ!』
(魔導障壁展開! 残魔力0%。残生命力71%、68%、急速に減っていきます。このままでは拾得人の命が)
宙に飛んで逃れられないカケルに黒い奔流が向かい、アルカが障壁を張ってダメージを防ぐ。
エネルギーに転換したカケルの生命力が減少していく。
『いい。アルカ、抵抗するのは最低限にして吹き飛ばされるぞ』
(は? それでは遥か上空へ、私に飛行機能はありません)
『俺に考えがある。無駄にエネルギーを使わねえで、いいから飛ばされろ』
(……はい)
防ぐのでも受け流すのでもなく、カケルはブレスに吹き飛ばされることを選んだ。
カケルの指示を受けて、アルカはカケルの命を守る最低限の障壁を張って、抵抗することなく上空に吹き飛ばされる。
上へ、カケルに合わせてドラゴンが射角を修正してさらに上へ、ブレスが曇天を割ってもまだ上へ。
ブレスが減衰して上昇するスピードが落ちて、やがてブレスが止んだ時。
カケルの姿は、はるか上空にあった。
吹き飛ばされた勢いが徐々になくなっていく間に、カケルは眼下に目を向ける。
『ずいぶん飛ばされたことで。よく生きてんな、俺』
ブレスが空けた雲の穴から、米粒ほどの大きさのドラゴンが見える。
(私に飛行機能はなく、落下した衝撃から拾得人を守る防御力もありません)
ブレスが直撃しても、カケルは生き残った。
アルカの言葉を信じるなら、死は確定されたと言えるかもしれないが、ともかくいま、カケルは生き残った。
『気にすんなって。アルカのおかげで生きてんだからな。ありがとよ』
残るわずかな時間を気にも留めずに、カケルは微笑みを浮かべて穏やかに言う。
(拾得人よ、先ほど言っていた考えとは?)
魔導心話に心配そうな感情が乗ったアルカの声音とは裏腹に。
『アルカを拾って魔導心話で会話して——最初に言ったろ?』
(アレは亜龍人です)
『どう考えてもそれじゃねえだろ。アレは真龍なわけで』
(ではどの会話を————まさか)
『はっ、思い出したか。そうだ——』
地面からはるか上空で、上昇の勢いが止まる。
ふわりと空中に浮かんだ、わずかな時間。
カケルは左足を下方に伸ばし、バランスを取るように右足を曲げた。
『ヒーローは、キックするもんだろ?』
顔までおおわれた魔導鎧で、カケルの呟きは外に聞こえない。
アルカに伝えるには、外に聞こえる必要もない。
(それでは拾得人の命が)
『Eランク冒険者がドラゴンに勝とうってんだ。いまさら迷いなんかねえよ。四十は不惑、ってな』
いつになく、この二十二年間はないほど晴れやかな表情を浮かべて、カケルは言った。
約束された死を前にして。
『さあアルカ! まわりの魔力でもなんでも、俺の魔力でも生命力でも魂でも、すべてを使えッ! ヒーローのキックのために、アイツに勝つために、俺が守りたいものを守るために、お前の力を俺に貸せ!』
徐々に、落下が始まった。
黒い魔導鎧の表面に走る、青い光が輝きを増す。
(……かしこまりました、私の主人)
魔導心話の向こう側で、アルカがぺこりと頭を下げた気がした。
青い光がカケルの足先に集まる。
魔力を溜めて必殺の「ブロウ」を放った時とは違い、生命力を溜める。
足先から腰を通って頭、バランスを取る腕へ。
カケル自身を、一本の矢とするように。
『衝撃は重さ×速さの二乗×1/2だ! そんで俺がいるのは遥か上空! 速さイコール高さ×9.8m/s2ってな!』
アルカに二度も指摘されて覚えた公式と、二十二年前の、カケルが元いた世界で習ったうろ覚えの公式を叫ぶ。
(主人は馬鹿ですね。魔力が存在するこの世界で、重力加速度が同じだと思っていませんか?)
アルカの冷静なツッコミは、カケルには届かない。
『ただし空気抵抗は考えないものとするッ!』
(考慮してください。魔導”大気操作”発動)
アルカの冷静なツッコミは、カケルには届かない。
どこか呆れたような声音なのに、アルカが微笑んだ気がした。
米粒のような大きさのドラゴンに向けて、カケルが落ちていく。
徐々に加速して、アルカの風魔法で方向を修正して、空気抵抗による限界速度は魔導で超えて、カケルが落ちていく。
生にしがみついて『生き恥』と呼ばれた四十歳のEランク冒険者が、生を捨てて、死に誇るために落ちていく。
幼い頃に憧れたヒーローのように、守りたいものを守るために。
空を落ちながら、カケルは笑っていた。
いま『その時』を迎えて、行動した自分を誇って。
あるいはそれは英雄的な行動ではなく————
くたびれた四十男の胸の底に、最後に残った誇りの破片か。
飛鳥馬 駆が、空を駆ける。





